ディケンズ
ここから話しが、大正時代の日本から19世紀のイギリスへと飛ぶ。飛ぶと言うよりは、時代的には逆戻りするのだが、世界はつながっているのだから、どこから書こうが、どこから読もうが、あまり変わらない。要は、明治・大正の黎明期の社会運動に、日本の社会運動の原点を探したように、そのまた原点になったイギリスの労働組合や協同組合の原点を探りたい訳である。
そこで、19世紀のイギリスはどんなであったであろうかと、とりあえずディケンズの小説を読んでみた。例えば、『クリスマス・キャロル』である。『クリスマス・キャロル』が出版されたのは1843年で、1843年は生協に長くいた私にとっては、ロッチデールに世界最初の協同組合が発足した年の前年であり、不況と失業の中で先駆者たちが「共同社会(コミュニティ)」を創ろうとしていた正に真最中の時である。
『クリスマス・キャロル』は、けちな老人がクリスマスイブに昔の同僚の幽霊と出会って、優しい老人に生まれ変わるという他愛ないと言えば他愛ない物語なのだが、心温まる物語が少しも臭くないのは、ディケンズ一流のレアリズムで、当時のロンドンの下層市民の生活と生業が実によく描かれている。
次に『オリバー・ツイスト』を読んだ。ディケンズの描くロンドンは貧民街ばかりで、産業革命の先頭を走る大英帝国の首都としては驚きだった。19世紀前半の初期資本主義社会では、蓄積と恐慌、競争と収奪の結果、多くの労働者階級が生み出され、「イギリスにおける労働者階級の状態」的貧しさの中から多くの貧民と孤児が生み出された。オリバー・ツイストも、行き倒れの女から生まれ、救貧院で育てられる。イギリスの救貧院は、1834年制定の救貧法によってできたのだが、そこでのあまりのひもじさに「もっとおかゆをください」とオリバーが言うあたりが、この本の一番の出来である。
『オリバー・ツイスト』の書かれた時代は、世界初の政治的大衆運動であるチャーティスト運動が盛んになった時代であったが、イギリスにおける階級闘争が暴力革命路線をとることはなかった。オウエンは労働組合や共同社会(コミュニティ)づくりを提唱し、ロッチデールでは協同組合が生まれ、ディケンズは慈善に期待していた。
次に、ディケンズの代表作である『デイヴィッド・コパフィールド』を読んだ。書かれたのは1849~50年ということであり、ちょうどマルクスが『共産党宣言』を書き、ロンドンに亡命した頃であるが、ディケンズの小説には、唯物史観では見えないディテイルが描かれている。私にとって登場人物の中で魅力的なのは、ベッチー伯母、ミスター・ペゴティー、トラドルズなどである。ベッチー伯母は、巻頭の登場からして余韻を残す。養父にいじめられて逃げ出したデイヴィッドがベッチー伯母の家にたどり着く場面、デイヴィッドを養育しながらも自らは破産したベッチー伯母が、デイヴィッドの下宿にやってくる場面、実直な漁夫のミスター・ペゴティー、いじめられっこの学友で脇役ながらいい役をするトラドルズ、これらの描き方を見れば、ディケンズが例え貧しくとも善意をもって努力する人々の味方であることはよく分かる。貴族などほとんど登場しない。登場人物は、エキストラであろうと、貧しかろうとみな生業を持って生きている。
ディケンズの小説は、会話が多いが写実は確かで、19世紀のイギリス社会がよく描かれている。フローベールやモーパッサンなどの19世紀フランス小説を読んでもそう思うが、これは世界史の教科書などでは学べないことである。ただ、フローベールやモーパッサンとディケンズはどこか違う。資本主義はイギリスの方が先進的だが、写実主義でいえば、フランス文学の方がより自然だし、優れている。近代社会の成り立ちのちがいだろうか。そこで、次は『二都物語』を読んでみた。
「二都」とは、ロンドンとパリのことである。物語は1767年から1793年にかけてのことであり、クライマックスは1789年のフランス革命とジャコバン主義の渦巻く1793年のパリである。フランス革命を背景にしているとはいえ、この小説は社会的な歴史小説であるわけではなく、ディケンズ流の読み物であるが、そういった評価とは別に、現代から見ても興味深い構成になっている。物語の中心人物は、一人の女を愛した二人の男である。女の愛を射止めたのは、元フランス貴族のチャールズ・ダーニーで、彼はアメリカ独立戦争でアメリカの味方をしたという理由でイギリスで裁判にかけられる。彼の弁護士の手助けをしていたのが主人公のシドニー・カートンで、後にフランスに戻ったダーニーがジャコバン派によってギロチン刑にかけられる寸前に、カートンがその身代わりになって断頭台に送られるというのが、物語の中心である。
物語の時代背景には、アメリカの独立戦争がある。アメリカは1776年7月4日に『独立宣言』を発表し、イギリスとの独立戦争の後、1783年のパリ条約でイギリスはアメリカ合衆国の独立を承認した。イギリスとフランスは、17世紀以来、インドやアメリカ大陸の植民地をめぐって戦争をつづけていたが、イギリスは戦争に勝ち、フランスはアメリカ大陸ではアメリカの独立を応援したものの、旧制度(アンシャン=レジーム)の下で抑圧体制をつづけたフランスでは、アメリカの独立も契機になって、1789年に革命が起こった。
イギリスにおけるチャールズ・ダーニーの裁判では、弁護士の弁護と陪審員による評決でチャールズ・ダーニーは無罪になり、フランスでは、イギリスへの亡命貴族だという密告とジャコバン主義下の熱狂の中で、彼の断頭台送りが即決される。
フランス革命におけるジャコバン主義、「自由、平等、博愛、しからずんば死か」という独裁と粛清をともなう「(“人民の意志”と称する)人民主義的共和主義」が、隣国のイギリスに与えた影響は大きく、直後にそれを分析したエドマンド・バーグは『フランス革命についての省察』を書いて、「フランスの現状は、人間の権利なる名のもとでの民主的な専制であって、断じて自由などではない」として、「徹底した水平化の行き着く先は結局のところ軍事独裁いがいにはない」ということを喝破して、ナポレオンの登場を予測した。政治家の間だけではなく、民衆の間にもフランス革命とジャコバン主義への恐怖があって、それがディケンズの『二都物語』が読まれる背景にあったのであろう。
トクヴィルの『アメリカにおける民主主義』の問題意識もそうであったが、フランス革命とジャコバン主義の教訓は、民主主義を徹底すると、それは独裁政治に転化してしまう危険性があるということであり、それはロシア革命にも中国革命にも、どの革命にも当っている。1848年にヨーロッパ各地で起こった2月革命は、当時のイギリスのチャーティスト運動にも影響を与えたが、名誉革命(イギリス人はこの無血革命を誇ってGlorious Revolutionと呼んだ)の国のイギリスでは、いわゆる革命は起こらなかった。
これは、同じ頃にヨーロッパで盛んであった共産主義者同盟的革命運動が、秘密結社と暴力革命路線、唯物史観と階級闘争主義にシフトしていったのと比べると際立っている。産業革命と初期資本主義の時代、恐慌や不況がくり返され、階層分化と階級対立も先鋭化した時代でもあったろうに、そこにロバート・オウエンのような発想や、ロッチデールにおける協同組合づくり、ディケンズのような小説家が出てくることに、階級対立の中で革命に向かうのとは違うベクトルの出てくるイギリス社会の奥深さがある。
1948年にドイツやフランスで出版された『共産党宣言』がイギリスで出版されたのは、なんと40年後の1888年であった。ロンドンに亡命したマルクスは、イギリスの資本主義社会を分析して、その原理論となる『資本論』を書いたが、大英帝国の時代へと突き進む19世紀のイギリス資本主義社会は、大英図書館でその社会を分析する貧しい亡命ドイツ人をも飲み込んで、急速にダイナミックに展開したのである。イギリス人にとってはマルクス主義も、ドイツ観念論的な当為であるというよりは、ヨーロッパ思想の one of them だったのであろうか。
一方、新大陸が発見されて貿易が興隆する中で、イギリス、アメリカ、ヨーロッパの関係は、個別に成立するものではありえなくなっているのも分かる。イギリスのピューリタンがアメリカに渡り、アメリカ革命はフランス革命に影響を及ぼし、フランス革命はまたイギリスに影響を及ぼすように、いうなれば、既にグローバル化が始まっているわけである。これを書いたブログに大内秀明先生から以下のコメントをいただいた。
「『二都物語』よみましたか?ディツケンズはじめ、スミスなど、当時は新大陸=アメリカ、仏革命=パリを強く意識していたんですね。マルクスもイギリスで市民権が採れず、アメリカに渡ろうと考えていた位ですから。ディケンズとマルクスは直接関係ないようですが、2人が同時期に大英博物館の図書室で勉強していたそうです。」と。
『アメリカの民主主義』でトクヴィルは、イングランド人がつくったアメリカの開放性と、北アメリカにおけるフランス人入植地の閉鎖性との違いを書いている。しかし、『クリスマス・キャロル』を出版する前年にアメリカを旅したディケンズは、『アメリカ紀行』に、白人に追われて滅び行くインディアンへのオマージュを書き、アメリカの奴隷制度を手厳しくくり返し批判し、アメリカにおける自由と共和主義、「商売とドル」にしか関心がないアメリカに違和感をもって帰国し、『クリスマス・キャロル』には「商売とポンド」を超える価値を書いた。
一方、ボストンに立ち寄ったディケンズは、そこからおこった超絶主義について、こう書いている。「大地の実は腐敗した物の中で育つ。ボストンでは、これまで述べてきたような腐敗した物から、超越主義者として知られる哲学者たちの一派が出現した・・・もし私がボストンの人間だったら、私は超越主義者になるであろう」と。ディケンズは、超絶主義は「私の友人のカーライル氏から影響を受けている」とするが、前に「グレイト・ウェイヴ」にエマソンに始まるアメリカン・ルネッサンスを書いたように、かように世界はつながっていて、このブログもどこから読み出してもいいわけである。
※このブログは、2006年1月 前後に書いた「ディケンズ」関係のブログをリライトしたものです。
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