私的「お台場」考
昨晩は街に飲みに出て、帰ってきてそのまま眠ってしまったら、今朝は早く目が覚めて、天気が良いので散歩に出た。私の住宅はお台場と夢の島のちょうど真ん中にあって、西に30分歩くとお台場で、東に30分歩くと夢の島であるのだが、今日はお台場まで歩いた。
休日には観光地のようなお台場であるが、平日の早朝の浜にはまるで人気がなく、対岸の高層ビルが朝日に映え、ビルとビルの間には、富士山が見えた。お台場独り占め状態で、素晴らしい景のお礼に、富士山に手を合わせた。
やがて、ビーチサイドの高層住宅から仕事に向かう人が出て来る。通りを自動車やバイクが走り抜けていく。私には走り抜けていく先が、まだ見えない。ラッシュアワーに逆らうように、帰りがけにテニスの森公園で一服、家に帰って風呂につかった。
mixiというヴァーチャル・コミュニティ・サイトがあって、そこの私のページの日記欄に、本日、以上の書き込みをしたら、サイト仲間の梶山こうじさんから以下のコメントをいただいた。
「葉山とか 湘南の海岸独り占めとは また違った趣がありますよね。 お台場では 海に向かって叫ばないだろう とか。(笑) 青春路線は やっぱり湘南が 似合いますよね~。 お台場は どんな感じだろう? どうでしたか? 」
横浜生まれで葉山に住む梶山さんからすると、「お台場が海とは!」といった感覚なのかもしれない。もっとも、昔から浦安辺りでヨット遊びをしていると、湘南で遊んでいる人からは、「海から100マイル」と揶揄されたものだったが・・・。この場合の海とは、三崎以南をいうらしいのだが、湘南に住む梶山さんの感覚も、多分似たり寄ったりなのだろう。そこで、海のある街! 下町は江東区の海辺! に住む私としては、我が家の近くにあるお台場について、時々の写真を添えて少し記しておこうと思ったわけです。※写真はクリックすると大きくなります。
まづ最初の写真は、約25年前のお台場で、ヨット仲間のディンギーを持ち込んで遊んだ時のもので、いっしょにいるのは私の息子です。この頃のお台場は、行くのに道も悪く、来ているのははぜ釣りをする人くらいでした。
2枚目の写真は、約20年弱く らい前のもので、お台場がウィンドサーフィンのメッカになった頃のものです。もうほとんど湘南と変わらない風景でしょう。正面の林のある一帯は、今ではフジテレビをはじめ、高層ビルが林立していますが、当時はサーファー用のハウス以外は、まだ何もありませんでした。
3枚目の写真は、約15年強くらい前のもので、夏になると当時のお台場では、ビキニ姿のたくさんの若い女性が甲羅干しをしていました。来ている若い人は、だいたい都会派系でしたから、湘南顔負けでした。
4枚目の写真は、建設中のレインボーブリッジが写っていますが、15年弱くらい前のものでしょうか。当時まだ晴海でボートショウが開かれていて、ヨット仲間と見に行ったら、展示品のセーリングカヌ ーが安く売りに出されていたので、一緒に行ったヨット仲間をそそのかしてそれを買わせて、その試し乗りをお台場でやった時のものです。
5枚目の写真は、7年前くらいのものです。屋形船と称して、お友達などをお客さんにして、クルーザーでお台場の中まで入って行って、船上で飲み食いするのです。ただし、お台場は浅いので、ちゃんと潮位を調べて行かないと、時々、キールを海底にひっかけたものでした。
このように、お台場では湘南でやれるようなことは全てやれましたし、さらに、その名の元になっている史跡の第三台場では、昔まだあまり人も来なかった頃には、孤島的雰囲気の中で、勝手にバーベキューなどもできました。そして現在では、銀座まで10分で行けるのです。 こうなると、青春路線もオヤジ路線ももうお台場しかありません。
とかなんとか馬鹿なことを書いているうちに、この間の鬱の気がすこしずつ晴れてきたような気がします。これまた、梶山さんに感謝です。
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