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2022年2月27日 (日)

かような時代には、かような時代の「文学と革命」を!

一昨日から、島崎藤村の『新生』を読み出した。『新生』は、女房を失った後、藤村宅の家事手伝いをしていた姪を孕ませ、1913年に日本から逃げるようにしてフランスに渡った藤村をモデルにした小説で、芥川龍之介は「『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった」と評した。藤村の小説はこの『新生』だけ未読であったので、晩冬の夜の手持ち無沙汰に買い置きした本を読み出したわけだが、昨晩読んだ上巻後半には、思いもかけず、戦争の始まりが描かれていた。「岸本がオーストリア対セルビア宣戦の布告を読んだのは、ちょうどその自分の仕事に取りかかっている時であった。・・・底気味の悪い沈黙は町々を支配し始めた」「来るべき大きな出来事の破裂を暗示する空気の中で、岸本は仕事を急いだ」「平和なパリの舞台は実に急激な勢いをもって変わって行った」「壮丁という壮丁は続々国境に向かいつつあった。・・・はやドイツ軍の斥候が東フランスの境を侵したという報告すら伝わっていた」と。そして明け方、眠る前に朝刊を開けると、その1面トップには「ロシア、ウクライナ侵攻」の大見出しのシンクロニシティ。そして昨日は、SNSもテレビも「ロシアのウクライナ侵攻」一色で、私も上記の藤村のような気分で一日を送り、深夜にそのつづきを読んだら、『新生』上巻末には藤村の父への回想が書かれてあった。上記にある藤村の「その自分の仕事」とは、「東京浅草の以前の書斎で書きかけた自伝の一部」であり、これは後の『桜の実の熟するとき』であろうか。そして「父への回想」は、『夜明け前』につながるものであろう。島崎藤村は3人のこどもを犠牲にして日本の自然主義文学の名作『破戒』を書き、名を成した後は姪を犠牲にしてフランスに渡り、これも近代文学の大作『夜明け前』を構想する。島崎藤村は「老獪な偽善者」である一方、やはり「文豪」なのであろう。それにしても、世界はすごいことになってきたなと思うところ。日本の底が抜けただけでなく、世界の底も抜けるかもしれない、もうなんでもありだ。柄谷行人は「近代文学の終わり」を語ったが、文学が終わったわけではない。私的には、Photo_20220227090701 

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2022年2月11日 (金)

晩期木下尚江論覚書

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2月に入って本作りが一段落したが、生活が昼夜逆転してしまったのと外は寒いのとで、深夜も日中も蒲団の中で本読み、時々起きて酒飲みという巣篭もり生活がつづく。何を読んでいるのかというと、前に読んだ木下尚江の小説を再読しながら、晩期の木下尚江について考えているところ。当初私は、キリスト教社会主義者である木下尚江を等閑視していたわけだが、鄭玹汀さんの『天皇制国家と女性』(教文館2013)を読んでいたく反省し、あらためて読んでみれば、木下尚江は日本の社会主義運動の中で、とりわけ天皇制や家族制度、いわば国体批判において際立っている。それは木下尚江が、同時代の中で稀有のキリスト者であり共和主義者でありえたが故であると思われるが、私にとっての関心は、木下尚江が1901年の社会民主党結成に参加し、日露戦争中の平民社を支え、1906年6月に幸徳秋水がアメリカから帰国するといっしょに社会党に参加するという日本の初期社会主義運動を代表するひとりでありながら、1906年10月には社会党を脱党して以降、1937年に69歳で死ぬまで、社会主義運動から手を引き、長く沈黙しつづけたことである。そこで昨年末来、社会主義離脱後に書かれた小説類を中心に、「晩期木下尚江論」を構想するわけだが、これは文学論を書くつもりではない。今日の日本の政治状況の中で起こっている改憲策動とは、謂わば国体復古の策動であって、要は、木下尚江が直面した問題、謂わば「近代日本における共和主義の実現=天皇制の廃絶は可能か」という問題は、軍国主義国家の敗戦と戦後民主主義を経ても、何も解決されないままに現在に至っているということであり、いちばんの問題は、改憲派による国体復古の策動は、昨年と今年の衆参の選挙を経て、実現しかねないところまで来ていることである。木下尚江の沈黙は、明治維新後の日本の擬制の近代化と闘った真の近代人の挫折と沈黙であったのか、沈黙の果てに見たものは何か。木下尚江は、最晩年には再び執筆をして過去を省み、1937年4月の総選挙では無産党の鈴木茂三郎に投票し、同年7月に日中戦争が始まる中、同年11月5日に永眠した。私には、いま時代は1937年に還りつつあるように思えてならず、木下尚江のつづきをやらねばと考えているわけである。

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