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2018年10月24日 (水)

「労働力なる商品の特殊性について」

10月21日に、専修大学で「マルクス生誕200年シンポジウム」があって、参加した。午前中は、大内秀明氏による基調講演「晩期マルクスとコミュニタリアリズム」で、聴衆は100名を超えていた。自らも晩期であると語りながら大内秀明氏は、これまでの『ドイツ・イデオロギー』『経哲草稿』を書いた初期マルクス、『経済学批判』を書いた中期マルクス、『資本論』を書いた後期マルクスの3区分に対して、1870年以降のパリコミューンに対するスタンス、ベラ・ザスリッチあての手紙などを通して、唯物史観の見直しに到った晩年のマルクスを「晩期マルクス」とする。フランス語版『資本論』を読んだモリスとバックスは『社会主義―その成長と帰結』を共著して、そこに「中世期における労働は・・・連合・アソシエーションの原理によって、明確に支配されていた」と注記したわけだが、大内秀明氏は、そこから唯物史観の前提となる「所有者の労働に基づいた私的所有」の見直しという晩期マルクスの「所有法則の転変」に注目して、「晩期マルクスとコミュニタリアリズム」=「共同体社会主義の可能性」を導き出すわけである。

上記を語った後、大内秀明氏は、『農民芸術概論要綱』を書いてモリスにシンパシーし、農学校を辞めて「羅須地人協会」を立ち上げた宮澤賢治が「羅須地人協会」でやろうとしたこと、1924年に書いた「産業組合青年会」の詩を遺書の如くに遺したことなどにふれて、宮澤賢治と産業組合について熱く語るわけだが、ここまでで2時間の講演時間が過ぎてしまい、上記の「Ⅰ)マルクスからモリスへ」、「Ⅱ)モリスから賢治へ」につづく「Ⅲ)ポスト『資本論」とCommunitarianism 共同体社会主義」は語られずじまいになってしまった。今回私がいちばん聞きたかったのがそこであったので、以下にレジメからその部分を記しておきたい。要は「社会的連帯経済」といいながらも、そこで語られる経済的な在り様は「経済学」というよりは、クロポトキン的な相互扶助論、「協同社会」とか「協働労働」とか謂わば初期社会主義的なレベル、もしくは「私的所有から共同所有へ」といったマルクス主義の所有論的把握によることが多いわけだが、それに対して大内秀明氏の所説は、資本主義の矛盾を「労働力の商品化」にみる宇野経済学に拠って、「労働力商品化の止揚」から「共同体の形成」を見すえるわけである。

Ⅲ)ポスト『資本論』とCommunitarianism共同体社会主義
初期マルクス・イデオロギー的作業仮設「唯物史観」、そして「所有法則の転変」の超克『資本論』純粋資本主義の抽象「自律的運動法則」の定立 第1巻7篇23章と22,24章
*経済法則の純化 「経済法則」と「経済原則」の明確化、「経済法則=資本主義の自立的運動法則、「経済原則」=超歴史・歴史貫通的・類的存在としての「世界人類共同体」→変革の「対象]と「主体」の明確化
*変革の主体設定 労働力商品化の止揚、①負の効用の労働→人間の喜びの表現としての労働、②可変資本の回転と労働力の再生産→家庭・家族の意義(宇野「労働力なる商品の特殊性について」『唯物史観』1948参照)、③生産と消費の「経済循環」→資本循環と単純流通、「地産地消」と地域共同体(コミュニティ)
*変革の組織と運動 コミュニティの構成、①地域労組、各種協同組合(賢治「産業組合」)、NPO、ソーシャルビジネス、ベンチャーキャピタル等、②ICTネット、スマートコミュニティ、ソーシャルデザイン③地域共同体連合、連邦共和国、「世界人類共同体」(モリス・連邦制)

とりわけ私は、共同体のベースになるだろう「可変資本の回転と労働力の再生産→家庭・家族の意義」など聴きたかったわけだが、それは宇野弘蔵が1948年に書いた「労働力なる商品の特殊性について」に書かれているというので、『宇野弘蔵著作集』を持っている友人の矢作さんに頼んで、「労働力なる商品の特殊性について」のコピーをしていただいた。「労働力なる商品の特殊性について」は、私にはたいへん難しい文章で、以下が「労働力なる商品の特殊性について」の要諦と思うところでノートしておく。ここからどう共同体社会主義に向かうものか、それについては大内秀明氏のつづきの講演を聴くしかない。

「可変資本が労働者によって賃銀を通して消費せられるというのは、前にも述べたように労働力としての可変資本が、資本自身を生産しつつあるからに外ならない。労働者は賃銀を通して資本としての生活資料を消費するものとしなければならないが、いずれにしてもそれは労働力の使用価値としての労働が生活資料を資本として新しく生産しつつあることを示すものに外ならない。勿論、不変資本部分は、価値としては生産もされず、再生産もされないで単にその価値を移転せられ、保存せられるに過ぎないが、しかしこのことは剰余価値の資本化によって新しく資本が労働によって形成せられることを否定するものではない。剰余労働が単に資本家の生活資料にとどまらず、労働者の生活資料と共に生産手段をも生産し、資本の生産過程を拡大し得ることはいうまでもない。労働力の商品形態は、この関係を隠蔽する。」(『宇野弘蔵著作集』第3巻「価値論」p495)

「資本は、本来商品として生産せられたものでない労働力を商品とすることによって、個人的消費過程をも労動力の生産過程とする。そしてこれに対して商品として生産するに必要な労働時問によってその価値を決定するのであるが、それは他の商品と異って労働力自身の使用価値たる労働によって生産せられたる生活資料の生産に要する労働時間による外はない。かくてW-G-W’ のW’において、資本として一定量の価値を有する生活資料が労働者によって消費せられるということは、労働力なる商品が、資本の生産過程において資本としての一定量の価値を有する生活資料を生産するからであるが、それはまた労働力が直接的に労働の生産物として価値を有するものでないことを示すものである。いい換えれば労働力の価値なるものは、資本家に対する労働者の関係を表現するものに外ならない。それは労働者が自ら生産したる生活資料を、資本の生産物たる商品として買戻す関係をあらわすものである。労働力なる商品のW-Gの過程において資本家は前述の如く一面では資本として所有する価値を引渡しながら、他面では資本を労働力として得るわけであるが、それは全くかくの如き資本家と労働者との関係が商品形態を通して行われることを意味するものに外ならない。労働力の価値が資本の価値としてあるわけではない。しかしまた資本家はその資本として所有する価値を引渡しだからといって資本そのものを労働者の于に引渡すわけではない。事実、労働者の手にあっては、賃銀として得た貨幣は、単に貨幣として使用せられるのであって、資本として機能するものではない。資本は常に資本家の于にあるのである。」(前掲書p498-9)

「われわれは、商品の価値を単なる交換価値としてでなく、商品の生産を通して行われる価値の生産において把握しなければならないが、それは資本の生産過程において始めて確保される。W-G-W’の形式の想定する商品生産は、いねばこの形式の外郎にあるに過ぎない。私は寧ろ率直にいって、W-G-W’の形式による考察は、労働力の商品としての流通を理解し得る範囲に限定せられるものと考えている。勿論、上地や骨董品のような再生産せられないものまでが合まれるとは考えないが、しかし労働力のように、元来は商品として生産せられないものが、商品として売買せられる関係をも合むものでなければならない。そしてかくの如きものが合まれなければならないという点にこの形式の抽象性がある。この形式自身では解決されないものがある。いい換えれば、労働力自身を商品化する社会的関係を確立しない限り、商品経済は、一般的な社会形態とはなり得ないことを示すものといえる。実際またかかる関係が確立されたとき、われわれは始めて商品の価値関係を、単なる物と物との関係としてでなく、物と物との関係の背後に人と人との関係を明確にし得るものといえるのではないかと思うのである。商品の物神性もここにおいて始めて、本質的に理解することが出来るであろう。労働力の商品化は、物としてあらわれる人間関係の極点をなすものである。それは人間労働の対象化したるものとしての商品における人間関係たるに留まらず、人間の労働力そのものが商品化され、人間の物化としてあらわれる。而もそれは、元来人間の生活がいかなる社会においても労働の対象化を通して物貧的に再生産せられざるを得ないという、根本的原則の一歴史的形態なることを明らかにするものといえるのである。」(前掲書p502-3)

「マルクス生誕200年シンポジウム」は、午前中の大内秀明氏による基調講演の後、昼食をはさんで、午後からは5つの分科会に分れ、私は「世界を変革する社会的連帯経済をめぐって」の担当で、資料を25人分用意したのであったが、30名を超える参加者があり、その多くはこれまで見知った協同組合や社会的連帯経済の関係者ではない方々であったけど、けっこう活発な議論があった。私の報告は、9月28日のブログ「2018GSEFビルバオ大会の事前報告」と10月14日 のブログ「社会的連帯経済とモンドラゴン協同組合」に書いたとおりのことに、7月4日のブログ「34年前に提起された『社会連帯部門』」を補足した。私のブルグはアクセス解析ができるのだが、最近はこの三つがよく読まれているので、この辺りはは次のブログに書きたいと思う。

シンポジウム終了後は懇親会、朝8時半に家を出て、夜9時半に帰宅。これでGSEFビルバオ大会への参加とその報告は一段落した。次は、11月3日に仙台で行われる大内秀明編著『自然エネルギーのソーシヤルデザイン~スマートコミュニティの水系モデル~』(鹿島出版会刊)の出版記念会、「水系のシンフォニー~震災復興後の地域社会モデル~」に参加の予定。これは社会的連帯経済のいわば実践論の提起で、時間があれば大内秀明氏から「労働力なる商品の特殊性についてなど伺って来たいと思っている。

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