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2018年7月29日 (日)

村上良太『立ち上がる夜』書評

B3日前から涼しい日がつづいて、本が読めた。村上良太『立ち上がる夜』(社会評論社2018.7)、一挙に読んでAmazonに以下の書評を書いたところ。近年日本のマスコミでフランスが取り上げられたのはテロ関係か、昨年の若いマクロン大統領の誕生くらいで、しかもマクロンの話題は「妻が25歳年上の恩師」といったようなことばかり。かつては1968年の五月革命など世界中の若者を共感をさせたものだが、その辺り現在のフランスはどうなっているのだろうかと、2年前にニュースで一瞬垣間見た「Nuit Debout(立ち上がる夜)」と呼ばれたフランスの社会運動についての本が出たので読んでみた。

マクロンは社会党のオランド政権で経済大臣をやった人だが、社会党を辞めて2017年5月の大統領選挙では新党LRM(共和国前進)を立ち上げて、国会議員選挙で577議席中308議席を得て圧勝した。一方、2012年の選挙では下院の577議席中283議席を得た社会党は、2017年には30議席と一気に縮小した。そして大統領に就任するとマクロンは直ちに労働法のさらなる規制緩和に着手して、その労働法改正をすすめる法案は、下院に当たる国民議会で270対50という圧倒的大差でが可決され、その背景にはマクロンが立ち上げた新党LRM(共和国前進)が国会議員選挙で577議席中308議席を得て圧勝したことがあったという。そもそもマクロンが大統領になる1年前に起きた「立ち上がる夜」のムーブメントは、2016年3月31日にパリで労働法を規制緩和する法案に反対する大規模なデモが行われて、そこから生まれたもので「新しい連帯をつくるための場」「異なる者を排除しない場」として注目されたものであったわけだが、その1年後がなぜそうなってしまったのか、本書はその背景を探る渾身のルポルタージュである。

日本人はフランスの文化や芸術や思想・哲学に憧れや共感を持つことが多いけど、現状のフランスの政治・社会状況は、「規制緩和のための労働法の改悪」「議会で多数をしめる政権党の横暴」「腐敗は話題には上がっても、実際には何一つ解明されることがない」「マスコミの責任」「政治の危機だけでなく、モラルや社会の危機」「先進国である一方で何百万人もの人々が貧困にあえいでいる」「書店も次々閉店」といった現状で、日本の現状と少しも変わることがない。要は、新自由主義の政策はどの国であろうと、同じ政策をすすめて、格差と貧困を拡大させて同じような社会をつくるわけで、日本の「安倍独裁」に先んじてフランスでは「マクロン独裁」が生じたわけである。さらにマクロン大統領も安倍政権もそうだけど、新自由主義にナシュナリズムを加えて、マクロン大統領は「ナショナリズムの自由主義」をすすめ、安倍政権は「ナショナリズムのための新自由主義」をすすめ、ともに排外主義的にに大衆を巻き込んでいる。

一方、社会党をはじめリベラル派の没落は、新自由主義と折衷的な「ネオリベラリズム」の標榜にあり、国家主義者はその間隙をついてくる。フランスでは公務員を中心とした労働組合のCGTは新自由主義に反対するけど、民間の労働組合が中心のFOやCFDT、CFTC,GSEAなどは協調的であるという。さらに、「雇用と労働の研究センター」のアンヌ・エイドゥによれば、「いわゆるエルコムリ法の最初の狙いの1つにフランス労働市場を規制緩和することがありました。労働法の規制を弱めることと、労働組合の全国組織が労使交渉を行うことに替えてローカルな企業単位で個別に労使交渉を行うことを促すことが最初の改正案に盛り込まれていたのです。企業単位での労使交渉となると、どうしても個別では労働組合は弱いですし、労働者を全員解雇するというような経営者の脅しに屈してしまうことになってしまいます」とあり、日本の労働組合は企業別組合で御用組合だから、これを産業別組合にしなければというのが日本の労働組合の課題であったわけだが、労働組合が強いはずの本家のフランスでは「企業単位で個別に労使交渉」という日本的な企業組合化がすすんでいるらしい。

新自由主義とナショナリズムが跋扈する時代に、果たして何をもってそれへの対抗とするか。そこに「立ち上がる夜」ムーブメントの意義があり、最近のフランスでは「ZAD運動という新しい共同の模索」が始まっていると聞くわけだが、本書ではゼネラルな対抗として、フランツ・ファノンの娘ミレイユ・ファノンは、「グローバリズムに基づく市場原理主義ではなく、連帯を基盤にした経済の仕組みを求めている」と述べている。またフランスらしい対抗として、「立ち上がる夜」に参加した画廊主のコリーヌ・ボネは、「目的は芸術を街の中心にふたたび据えたいということです。ですから、美術市場における投機的なシステムの外にあります。芸術家こそが表現の自由の最後の砦であり、開かれた精神の砦であり、繊細な知性の砦だと思っています」と述べている。そんで私は、「連帯を基盤にした経済の仕組み」と「芸術家こそが表現の自由の最後の砦」を広げたいと思うところ、いずれにせよ「立ち上がらなければの時」である。

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