« 34年前に提起された「社会連帯部門」 | トップページ | 社会的連帯経済元年? »

2018年7月 5日 (木)

「コープワーカーズユニオン」の構想

先月は、6月3日の新宿デモと6月10日の国会前集会に参加した。どれだけ事実をつきつけられても嘘が当たり前に通る国会答弁、ブラック企業と無償の残業と非正規労働者を増やすだけの「働き方改革」、狂気の沙汰の原発推進と、安倍政権のあまりのひどさになんとかせねばと思ったわけだが、どちらも大抗議集会とは言えず、単発で終わった。6月3日の新宿デモは若い人たちが中心で、6月10日の国会前集会は60~70年安保世代の高齢者が中心で、片や60年安保を知らない世代中心、片や60年安保をひきずった世代中心で、残念ながら韓国の政権批判デモのようにはいかない。しかも、安倍政権の支持率はあまり下がらず、若者の保守化がすすんでいるという。果たしてこの先にはどんな社会が訪れるのだろうか、若い人たちをニヒリズムやファシズムに追いやらないためには何をすればいいのだろうか。新しい社会として社会的連帯経済を目指そうというのは、方向としては悪くない。しかし、何をどうすればそうなるのか、現在ある協同組合を大きくするとか、いっぱい集めればそれが出来るのかというと、これまで書いてきたようにそうではない。これまでの協同組合は、より社会的連帯経済に適合的になるように自己変革が必要なわけだが、大きくなった組織と事業は、そうであるが故に自己変革は難しかろう。そこでその役割を果たせる身近な組織があるとすれば、それは協同組合の労働組合であり、関連会社も含むまだ未組織のより多数の労働者のユニオン型労働組合、すなわちコミュニティユニオンへの結集であろうと思われる。

世界的にも労働組合の組織率が下がっているのは、この30~40年間に産業構造が大きく変わって先進国では工場が減り、情報化の進展でホワイトカラーが減り、グローバル化がすすんで事業所が減り、新自由主義による規制緩和がすすんで労働組合の中心であった正規労働者が減ったからである。さらに日本では、戦後労働運動の中で力を持っていた職場労働組合、その代表であった国労が解体され、総評なきあと連合に結集した組合のほとんどは、会社に対して協調的で閉鎖的な企業内組合であり、御用組合としての役割以外はなくした。全労協などに残った少数派組合もあるけど、戦後労働運動を成り立たせていた基盤が失われたこの先、組織が拡大する見込みはまずないであろう。しかるに一方、これまでの労働運動からは外されたままであった非正規労働者、パートの女性や外国人労働者、これらの増え続ける人々のコミュニティユニオンへの参加がすすめば、新しい労働運動への可能性も増すであろうと思われる。そして、会社の番犬の御用組合系でも、連合ではその中核組合となりつつあるゼンセン同盟が中心になって、サービス業系の会社において予防的な組合づくりをすすめている。彼らにとってコミュニティユニオンではだめなのである。

小野寺忠昭氏によれば、「〃労働組合〃と〃ユニオン〃の概念の違いは、団結を企業の外に作り出し自主的な個人加盟の組織にする、この一点にある」という。要は、ユニオンとは昔で言えば合同労組であり、産別で言えば全国一般となる個別企業の枠を越えた組合である。このタイプの組合は、未組織労働者が9割近くなるという時代の中では、大いなる未来があるようにもおもわれるが、分会活動の範囲を企業内にしてしまうと、小さな企業内組合にしかならない。ユニオンが可能性を持つのは、開かれた組合としてコミュニティの中に根を張りネットワークをつくりして、組合の社会的活動の枠を広げることの中にありように思われる。

前に書いたように、現在の生協における正規職員の比率は低く、そこをベースにした労働組合は特権的とも言えるほどの組合員数しかいない。正規職員の比率が低いのは、圧倒的多数の非正規のパート労働者のほかに、下請け会社におけるやはり圧倒的多数の非正規がいるからで、そこでは有期契約の派遣労働者も多くて、時々継続契約を断わられた派遣社員の人の解雇争議ななどが起こる。下町における自主生産闘争もそうであったけど、例え解雇されたのが子会社の社員であろうと、1971年に仙台の全会山岸闘争で勝ち取った法人格否認の法理、子会社の経営権を否定し親会社の責任を認めた判例を基に使用者概念を拡大して、争議は親会社や銀行への直接交渉を要求となるわけである。しかし親会社はなかなか交渉を受け容れないから、だいたい本社前での抗議行動が行われることになる。これは、生協の下請け会社における争議においてもそうなる。本部ビルの外で大音量のスピーカーで行われる抗議行動に対して、では生協の労働組合はどう対応するのかと組合員の人に聞いたら、だいあたいみなさん事務所の中で耳をふさいでいるそうである。

あらためて社会的連帯経済とは何かという問いもあるけど、社会的連帯経済の主力を担うとされる協同組合がこのままでいいのだろうかというのが、この間の問いであり、労働組合だけが企業内組合化して危機にあるわけではなくて、組織と事業の拡大の一方で社会性をなくして内向きになってゆく協同組合も同様な危機にあるわけで、では協同組合と協同組合の労働組合のどちらが自己変革しやすいかと言えば、それは労働組合であろうというのが、ここでの私の言い分である。そして、そのために生協の労働組合は何をなすべきかということになる。そしてこの答えは、さほど難しくない。一言で書けばコミュニティユニオンとしての「コープワーカーズユニオン」の結成であり、地域地域の生協の事業所で働く非正規のパートの人たちは組合費の安い「コープワーカーズユニオン」に入り、「コープワーカーズユニオン」には生協の労働組合員も二重加盟すれば、ユニオンの場では対等に要求がつくれるし、解雇争議をどう解決するかもそこで話しあえるわけである。そしてこれを可能にするには、生協の労働組合と上部団体が組合員のユニオンへの二重加盟を認めればいいだけである。もし、組合費の高い正規職員の労働組合員が組合費の安いユニオンメンバーとの同一労働同一賃金を拒否するようであれば、もう正規職員の労働組合は解散する方がいいであろう。労働組合の肝は友愛主義であり、その理念は「一人は万人のために、万人は一人のために」であり、これは協同組合と同じなのである。

「コープワーカーズユニオン」はひとつのユニオンであるけど、そこへの加盟はどこの生協で働いていてもかまわないし、二重加盟する生協の労働組合員もどこの生協の組合員でもOKである。例えば、江東区にある「コープワーカーズユニオン」の分会には、江東区にある複数の生協の各事業者で働くどの職員もパートさんも加入して、それこそ統一要求だってつくれるし、そこから単協を超えたネットワークが生まれ広げられ、様々な活動や事業の企画までうまれるのなら、社会的連帯経済はすぐそこに見えてくるだろう。問題は単協の理事会だが、生協の労働組合と非正規パート職員のユニオンから同一要求が理事会あてに出されるとすれば、それは理事会にとっても自己変革のチャンスとなるだろうし、もし理事会がそれを拒否するようであれば、労働組合は組合員さんも含めて協同組合や社会的連帯経済の可能性を理事会と大いに議論して、その結果、労働組合も協同組合も自己変革でき、社会的連帯経済を担う主体たりえるようになるだろうと思うところ。協同組合における労働組合の役割は非常に重要であり、協同組合の未来もそこにかかっていると思うところです。

|

« 34年前に提起された「社会連帯部門」 | トップページ | 社会的連帯経済元年? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113260/66903888

この記事へのトラックバック一覧です: 「コープワーカーズユニオン」の構想:

« 34年前に提起された「社会連帯部門」 | トップページ | 社会的連帯経済元年? »