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2018年7月20日 (金)

社会的連帯経済と共同体社会主義

 私は協同組合にいたから、「新しい労働運動」というよりは「新しい協同組合」というのをまず構想した。それはレイドロウの「協同組合地域社会」にインスパイアされて、消費生協だけでなく生産協同組合ほか多様な協同組合や非営利団体やコミュニティビジネスの事業体、さらには地域の労働組合も含めて構成される「コミュニティ協同組合」になるだろうと考えたわけだが、同様に「新しい労働組合」について考えれば、それは上記の「コミュニティ協同組合」と一体化しうるものとしての「コミュニティ労働組合」となるわけである。
 
 協同組合でいう「協同の精神」は、労働組合でいう「友愛の精神」と同じであり、スローガンは両者とも「一人は万人のために、万人は一人のために」である。そして両者は組織である前に人と人との結合であり連帯である。だからコープとユニオンが結合された「コープワーカーズユニオン」には正社員労働者もいれば、派遣やパート、外国人や失業者、障害者も含めて構成され参加できて、そこではみな同格で、北に解雇された労働者があればみんなで支援し、南に職をなくした者があればみんなで仕事起しを企画したり生産協同組合をつくったり、共同で畑を借りていっしょに農作業をやったり、余裕のある物資や食べ物を分け合ったり、共通の目的を達成するために地域のほかの団体と協力したり、あれこれやるのである。
 
 前述したようにロッチデールの先駆者たちが当初構想した協同組合の目的は、「食料品、衣類等を売る店舗を設置する」こと以外に「多数の住宅を建設または購入し・・・組合員の住居にあてる」、「失職した組合員に職を与えるため、物品の生産を始める」、「組合は若干の土地を購入し、矢職した組合員にこれを耕作させる」、「実現が可能になりしだい、本組合は生産、分配、教育および政治のカを備える。・・・自給自足の国内植民地を建設し、同様の植民地を創らんとする他の諸組合を援助する」、「禁酒ホテルを開く」ことなど、その大きな目的は「失職した組合員に職を与えるための国内植民地(コミュニティ)の建設」としたわけであるが、この発想の根源はロバート・オウエンにあって、「コープワーカーズユニオン」もまたそうなのである。
 
 ロバート・オウエンは、エンゲルスによって「空想的社会主義者」とされて初期社会主義者とされ、それはレイドロウの提起した「協同組合地域社会」を担う「生産協同組合と」が「過去の亡霊」扱いされたことにも通じていると思われるのだが、歴史は「空想的社会主義(初期社会主義)からマルクスの社会主義、そして社会的連帯経済へ」というふうすすんでいるわけではない。社会的連帯経済をすすめる人たちにカール・ポランニーの評価は高く、リーマンショック後は市場主義経済への対案として『大転換』は中国など15ヶ国で翻訳され、韓国にはカナダにあるカール・ポランニー研究所のアジア支部がつくられるといった状況だが、ポランニーが『大転換』で最も評価したのはロバート・オウエンであり、そこには「ロバート・オウエンほど深く産業社会の領域を洞察した者はいなかった」。「彼の思想の支柱は、キリスト教からの決別であった。オウエンはキリスト教を、〈個人主義〉という点で、すなわち、人格の責任を個人自体に負わせ、かくして社会の現実と人間形成に与える社会の強い影響を否定しているとして非難したのである。〈個人主義〉を攻撃する真意は、人間のもろもろの動機は社会にその起源があるのだという彼の主張のうちにあった」とポランニーは書いている。現在の格差問題や非正規を「自己責任」に帰す言い草を、オウエンは根底的に否定しているわけである。

 カール・ポランニーは、「18世紀における統制的市場から(労働、土地、貨幣を商品化した)自己調整的市場への移行」を「根底的な転換」とし、「労働、土地、貨幣が本来商品でないことは明らかである」、「市場による購買力管理は企業を周期的に破産させることになるだろう」と書くわけだが、これはポランニーと同様にイギリスの資本主義成立過程から労働力の商品化による資本主義の成立とその歴史的特殊性を見抜いた宇野弘蔵の経済学にとても類似しており、唯物史観と階級闘争論には関心がないところも宇野弘蔵に通じている。
 
 社会的連帯経済とは何か、それは市場経済とどういう関係になるのか、社会的連帯経済の議論の中からはいまいち分らないのであるが、宇野派にとっては簡単である。「共同体と共同体の間に生まれた市場経済は、共同体経済を補足するものになるだろう」(『自然エネルギーのソーシャルデザイン』p67)ということで、これは宇野経済学のテーゼである「共同体と共同体の間から商品はうまれた」をベ-スにしているわけだが、労働力商品によって商品が生み出されるのが資本主義であるなら、脱資本主義はその逆をやればいいということにつながるわけである。前述したように、私的には「脱労働力商品化によるコミュニティの形成」であり、大内秀明氏は「労働力・ヒトについても、賃労働から協働労働に転換し、地域共同体としてのコミュニティの復権が図られる。ビジネスについても、労働力の商品化が前提となった賃労働から協働労働への転換に対応してコミュニティ・ビジネスなど、社会的企業のイニシヤティヴを積極的に位置づけることになる」(前掲書p93)と書いている。内容的には社会的連帯経済と変わらないが、私たちはそれを社会主義に代わる社会的連帯経済ではなくて、晩期のマルクスがそれを示唆した「共同体社会主義」とするのである。
 
 私はレイドロウの「協同組合地域社会」という言葉がいちばん好きであるが、「社会的連帯経済」でも「共同体社会主義」でも、呼び方にこだわることはしない。共同体を市場経済に浮かぶ島などと否定的に考えるのではなく、仕事する労働組合という新しい労働運動、脱労働力商品化をすすめる事業体による大小の共同体とそれを支えるコミュニティは謂わば共同体であり、生産者協同組合が資本が労働を雇うのではなくて、労働が資本を雇うように、共同体は市場経済を共同体経済を補足するものにしていけばいいわけである。道は遠いけど、それは遠い将来にあるものというよりは、マルクスの言うように現実の運動の中にあるものであり、いつしか訪れるであろう世界につながっているはずである。

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