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2018年7月11日 (水)

社会的連帯経済元年?

B東北の宮城から三陸にかけての一帯は、定期的に大地震と津波に襲われるのであるが、1933年の昭和三陸地震&津波による被災地の復興は、とりわけ大槌町吉里吉里集落において多種多様な産業組合をつくることによって行われて「理想村」を誕生させた。後に書かれた井上ひさしのユートピア小説『吉里吉里人』は、この大槌町吉里吉里集落つくられた「理想村」をオマージュして書かれた小説で、そのモデルは実在したのであった。1933年当時の日本は不況の最中にあり、国は中国への侵略を企図していたから地震の復興に金をかける余裕がなかったのであろう、そのために革新官僚といわれた当時新世代の官僚たちが産業組合の制度を使って被災者に産業組合をつくらせて、その産業組合に資金を貸し付けるかたちで復興資金を提供というか貸し付けたわけである。ちょうど大内秀明らが『自然エネルギーのソーシャルデザイン――スマートコミュニティの水系モデル』を準備している頃に、同じ鹿島出版会から岡村健太郎『「三陸津波」と集落再編――ポスト近代復興に向けて』(鹿島出版会2017.3)という本が出版され、そこにはこうある。

「吉里吉里集落に産業組合が設置されたのは、震災約二ヵ月後の一九三三年五月二三日である。正式名称は、当初「保證責任吉里々々住宅購買利用組合」であった。目的としては「組合員ノ住宅、住宅用地又ハ経済二必要ナル物ヲ買入レ之二加工シ若ハ加工セシメテ又ハ之ヲ生産シテ組合員二売却スルコト」と、「組合員ヲシテ産業又ハ経済ニ必要ナル設備ヲ利用セシムルコト」の二つが挙げられている。このことからも、震災直後から住宅再建や産業の復興などの各種復旧・復興事業を担う主体として産業組合が措定され設立されたことがわかる。・・・産業組合は信用、購買、販売、利用の四種類の事業が可能で・・長山漁村経済更生運動においては、産業組合の四種兼業が推奨されていた。吉里吉里産業組合では当初購買と利用の二種兼業であったのが、一九三三年一一月に信用事業が追加され三種兼業となった。復旧・復興事業を行なうにあたり、低利資金の融通を受ける際に産業組合が受け皿となり、さらにそこから各被災者に資金の融通が行なわれることとなる。そのため、産業組合における信用事業は復旧・復興事業における資金の流れを円滑化するうえで非常に重要な事業であったと言える。・・・大槌町では、昭和三陸津波に前後していくつもの産業組合が設立されている。このうち直接的に高所移転事業に関与したのは吉里吉里集落の保證責任吉里吉里住宅信用購買利用組合と、安波、惣川、小枕の高所移転に関与した保證責任大槌水産信用販売購買利用組合の二つである。また、保證責任大槌信用購買利用組合は大槌町全域を対象とした産業組合で、後に大槌病院の設立などにも関与している」(『「三陸津波」と集落再編――ポスト近代復興に向けて』p179-180)。

「吉里吉里集落においては、「計画要項」に見られるように、高所移転や住宅再建などのインフラ整備事業と各種産業の復旧・復興事業などの社会政策関連事業の双方を組み合わせた総合的な復興計画が作成された。・・・計画の実施にあたっては・・吉里吉里集落の場合、震災を受けて集落を単位とした新たな「保證責任吉里々々体宅購買利用組合」が設立された。産業組合が担ったのは、住宅適地造成事業および住宅再建にかかる費用に関し、低利資金の融通を受ける際の窓口になったほか(信用事業)、住宅建設のための材料や日用品などの共同購入(購買事業)、復興趣に新たに建設された共同浴場や水道の経営(利用事業)、醤油や味噌など共同作業所で生産した商品の販売(販売事業)など多岐にわたった。」(前掲書p204-5)とあり、組合によって建設された住宅と町並み、共同浴場、共同販売所、共同製造所とその付属桟橋の写真などが添付されており、吉里吉里集落の「理想村」を髣髴とさせる。

また、岡村健太郎氏は、以下の文章で『「三陸津波」と集落再編』を終えている。
「災害復興とは、いかに被災集落の未来像を思い描き、それを共有し、実行に移していくかというプロセスにほかならない。成熟社会に入り、公助のみによる復興がうまく立ち行かなくなりつつある現代、そしてこれからの日本において、レベツカ・ソルニツトが大規模災害直後の限られた期間にのみ見出したユートピアを、復旧・復興段階を超え永続的なものとする必要があるのではないだろうか。現実のユートピアは、中央政府、地方政府、集落などの各主体間の緊張間係のなかからこそもたらされると考える。にわかにそれを実現するのは難しいかもしれないが、三陸沿岸地域における過去の災害復興の事例のみならず、宮沢賢治が思い描いたイーハトーブや、柳田国男が理想とした産業組合、井上ひさしが描写した吉里吉里国など、三陸沿岸地域がこれまでに築いてきた歴史的文脈のなかからも、ヒントを得ることができるはずである。何より、それが実現可能であることを雄弁に物諸るのが、理想村としての吉里吉里集落である。ポスト近代復興を考えるうえでの手がかりは、歴史のなかのユートピアにすでに存在している」と。

1933年11月の昭和三陸地震から78年たった2011年3月11日に、東北は再び大地震と大津波にみまわれた。福島第一原発の4基の原子炉が破産して、大地震の被害を上回る未曾有の大惨事となり、復興のための工事には巨額の費用が注ぎ込まれている。しかし復興の中身はハコモノ中心で、1933年の昭和三陸地震の復興に用いられた協同組合を使った地域再建的な復興計画は見受けられないし、生協を中心に大きくなった協同組合は多額なパンパは集められるも、協同組合の経験と理想を生かしたそれこそレイドロウの提起した「協同組合地域社会」的構想とその実践は見られない。阪神大震災が「ボランティア元年」といわれたように、それが出来れば、東日本大震災は「社会的連帯経済元年」となれるはずなのだが。

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