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2018年7月29日 (日)

村上良太『立ち上がる夜』書評

B3日前から涼しい日がつづいて、本が読めた。村上良太『立ち上がる夜』(社会評論社2018.7)、一挙に読んでAmazonに以下の書評を書いたところ。近年日本のマスコミでフランスが取り上げられたのはテロ関係か、昨年の若いマクロン大統領の誕生くらいで、しかもマクロンの話題は「妻が25歳年上の恩師」といったようなことばかり。かつては1968年の五月革命など世界中の若者を共感をさせたものだが、その辺り現在のフランスはどうなっているのだろうかと、2年前にニュースで一瞬垣間見た「Nuit Debout(立ち上がる夜)」と呼ばれたフランスの社会運動についての本が出たので読んでみた。

マクロンは社会党のオランド政権で経済大臣をやった人だが、社会党を辞めて2017年5月の大統領選挙では新党LRM(共和国前進)を立ち上げて、国会議員選挙で577議席中308議席を得て圧勝した。一方、2012年の選挙では下院の577議席中283議席を得た社会党は、2017年には30議席と一気に縮小した。そして大統領に就任するとマクロンは直ちに労働法のさらなる規制緩和に着手して、その労働法改正をすすめる法案は、下院に当たる国民議会で270対50という圧倒的大差でが可決され、その背景にはマクロンが立ち上げた新党LRM(共和国前進)が国会議員選挙で577議席中308議席を得て圧勝したことがあったという。そもそもマクロンが大統領になる1年前に起きた「立ち上がる夜」のムーブメントは、2016年3月31日にパリで労働法を規制緩和する法案に反対する大規模なデモが行われて、そこから生まれたもので「新しい連帯をつくるための場」「異なる者を排除しない場」として注目されたものであったわけだが、その1年後がなぜそうなってしまったのか、本書はその背景を探る渾身のルポルタージュである。

日本人はフランスの文化や芸術や思想・哲学に憧れや共感を持つことが多いけど、現状のフランスの政治・社会状況は、「規制緩和のための労働法の改悪」「議会で多数をしめる政権党の横暴」「腐敗は話題には上がっても、実際には何一つ解明されることがない」「マスコミの責任」「政治の危機だけでなく、モラルや社会の危機」「先進国である一方で何百万人もの人々が貧困にあえいでいる」「書店も次々閉店」といった現状で、日本の現状と少しも変わることがない。要は、新自由主義の政策はどの国であろうと、同じ政策をすすめて、格差と貧困を拡大させて同じような社会をつくるわけで、日本の「安倍独裁」に先んじてフランスでは「マクロン独裁」が生じたわけである。さらにマクロン大統領も安倍政権もそうだけど、新自由主義にナシュナリズムを加えて、マクロン大統領は「ナショナリズムの自由主義」をすすめ、安倍政権は「ナショナリズムのための新自由主義」をすすめ、ともに排外主義的にに大衆を巻き込んでいる。

一方、社会党をはじめリベラル派の没落は、新自由主義と折衷的な「ネオリベラリズム」の標榜にあり、国家主義者はその間隙をついてくる。フランスでは公務員を中心とした労働組合のCGTは新自由主義に反対するけど、民間の労働組合が中心のFOやCFDT、CFTC,GSEAなどは協調的であるという。さらに、「雇用と労働の研究センター」のアンヌ・エイドゥによれば、「いわゆるエルコムリ法の最初の狙いの1つにフランス労働市場を規制緩和することがありました。労働法の規制を弱めることと、労働組合の全国組織が労使交渉を行うことに替えてローカルな企業単位で個別に労使交渉を行うことを促すことが最初の改正案に盛り込まれていたのです。企業単位での労使交渉となると、どうしても個別では労働組合は弱いですし、労働者を全員解雇するというような経営者の脅しに屈してしまうことになってしまいます」とあり、日本の労働組合は企業別組合で御用組合だから、これを産業別組合にしなければというのが日本の労働組合の課題であったわけだが、労働組合が強いはずの本家のフランスでは「企業単位で個別に労使交渉」という日本的な企業組合化がすすんでいるらしい。

新自由主義とナショナリズムが跋扈する時代に、果たして何をもってそれへの対抗とするか。そこに「立ち上がる夜」ムーブメントの意義があり、最近のフランスでは「ZAD運動という新しい共同の模索」が始まっていると聞くわけだが、本書ではゼネラルな対抗として、フランツ・ファノンの娘ミレイユ・ファノンは、「グローバリズムに基づく市場原理主義ではなく、連帯を基盤にした経済の仕組みを求めている」と述べている。またフランスらしい対抗として、「立ち上がる夜」に参加した画廊主のコリーヌ・ボネは、「目的は芸術を街の中心にふたたび据えたいということです。ですから、美術市場における投機的なシステムの外にあります。芸術家こそが表現の自由の最後の砦であり、開かれた精神の砦であり、繊細な知性の砦だと思っています」と述べている。そんで私は、「連帯を基盤にした経済の仕組み」と「芸術家こそが表現の自由の最後の砦」を広げたいと思うところ、いずれにせよ「立ち上がらなければの時」である。

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2018年7月23日 (月)

晩期マルクスとコミュニタリアニズム

7月21日に慶応大学で社会主義理論学会主催の講演会があって、大内秀明氏が「晩期マルクスと〈共同体社会主義〉」をテーマに講演した。旧校舎の70名定員くらいの狭い教室でやったのだが、満席であった。内容的には、この間の私のブログと重なる部分が多いというか、それがさらに深化された内容であって、大内秀明氏は「晩期マルクス」を語りながら「私も晩期でありまして、晩期にならなければ晩期にマルクスが到達した社会主義の深遠はわからない」と、労働力商品化の問題と共同体の形成の関連を宇野弘蔵の『資本論』の読解を手がかりに解明していくのである。その解明は近刊の大内秀明編『自然エネルギーのソーシャルデザイン』(鹿島出版会2018.4)をまとめる傍ら、3年前から「仙台・羅須地人協会」で行ってきた「資本論講座」ですすめられてきた作業で、やっと出口に近づいて来たという印象であった。さっき友人で宇野派の矢作さんから電話があって、「昨日の大内先生の講演会に行かれなかったので、内容を教えてほしい。facebookはやっていない」と言うから、昨日facebookに上げたPowerPointにそってメモしただけのものをとりあえずブログに載せるところ。(※一部写真など外している)

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①左は近刊の大内秀明編『自然エネルギーのソーシャルデザイン』(鹿島出版会)。右は大内理論の源泉のマルクス、モリス、ザスリッチ。

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②80代半ばになられた大内秀明氏は、「人生は晩期にならなければ、晩期にマルクスが到達した社会主義の深遠はわからない」と、それを解き明かす。コミュニズムは、初期マルクス以来「共同所有」といった所有論的に把握されてきたが、晩期のマルクスはそれを「コミュニタリズム=共同体社会主義」と見直した。

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③パリ・コミューンがマルクスに与えた衝撃、仏語版『資本論』はマルクスが責任を持って改訂した最終版『資本論』、モルガンの『古代社会』を読んでマルクスは共同体論の研究をやり直し、ザスーリッチへの返書でマルクスは「所有法則の転変」を批判し、価値形態論などバックスによる『資本論』評価は、晩年のマルクスを喜ばせたという。

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④ロバート・オウエンとマルクスに始まった社会主義は、これまでの正統派であったエンゲルスとレーニンの国家社会主義、それとモリスとバックスの晩期マルクスを継承した共同体社会主義に分岐した。下の写真は、モリス、バックス、エレノア・マルクス。

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⑤この系譜は、堺利彦が大杉栄の本の書評に書いたものだが、後に宇野弘蔵が『「資本論」五十年』法政大学出版会1970)の中で対談者にこれを示して自らの社会主義を語りだしている。要は、宇野弘蔵にとっての社会主義はロシア革命以前からあった社会主義、それも堺利彦あたりから始まっているわけである。

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⑥『資本論』第1巻7篇24章の「所有法則の転変」→純粋資本主義「自律的運動法則」が宇野弘蔵をインスパイアして、宇野理論の形成につながっている。「所有法則の転変」とは、「個人的労働による個人的所有の否定→社会的労働による個人的所有の資本主義的矛盾の否定→その否定としての社会的労働による社会的所有」という「否定の否定」のこと。

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⑦宇野弘蔵は、「経済法則」と「経済原則」を明確化して、「経済原則=超歴史的・歴史貫通的な原則、類的存在としての世界人類共同体」の実現が社会主義であると考えていた。

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⑧労働力の再生産は労働者個人だけの再生産ではなくて家族・次世代の再生産であり、生産と消費の経済循環と一体となって、地域共同体の基礎となる。宇野弘蔵のこの「変革の主体」と「地域共同体」発見の原点に1948年に書かれた「労働力なる賞品の特殊性について」があるが、ほとんど読まれていない。研究すべし。

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⑨⑧の説明の図。

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⑩社会的連帯経済といわれるものを大内秀明氏が描けばこうなる、『自然エネルギーのソーシャルデザイン』を併せて読めば、より具体的に理解できる。

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⑪「おだやかな革命」は、大震災からの復興を描いた映画のタイトルとのこと。共同体社会主義への道は、かつてのような階級闘争に比べれば「おだやかな革命」なのであり、東北の人々による復興への努力の中から姿を現すだろう。

以上

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2018年7月20日 (金)

社会的連帯経済と共同体社会主義

 私は協同組合にいたから、「新しい労働運動」というよりは「新しい協同組合」というのをまず構想した。それはレイドロウの「協同組合地域社会」にインスパイアされて、消費生協だけでなく生産協同組合ほか多様な協同組合や非営利団体やコミュニティビジネスの事業体、さらには地域の労働組合も含めて構成される「コミュニティ協同組合」になるだろうと考えたわけだが、同様に「新しい労働組合」について考えれば、それは上記の「コミュニティ協同組合」と一体化しうるものとしての「コミュニティ労働組合」となるわけである。
 
 協同組合でいう「協同の精神」は、労働組合でいう「友愛の精神」と同じであり、スローガンは両者とも「一人は万人のために、万人は一人のために」である。そして両者は組織である前に人と人との結合であり連帯である。だからコープとユニオンが結合された「コープワーカーズユニオン」には正社員労働者もいれば、派遣やパート、外国人や失業者、障害者も含めて構成され参加できて、そこではみな同格で、北に解雇された労働者があればみんなで支援し、南に職をなくした者があればみんなで仕事起しを企画したり生産協同組合をつくったり、共同で畑を借りていっしょに農作業をやったり、余裕のある物資や食べ物を分け合ったり、共通の目的を達成するために地域のほかの団体と協力したり、あれこれやるのである。
 
 前述したようにロッチデールの先駆者たちが当初構想した協同組合の目的は、「食料品、衣類等を売る店舗を設置する」こと以外に「多数の住宅を建設または購入し・・・組合員の住居にあてる」、「失職した組合員に職を与えるため、物品の生産を始める」、「組合は若干の土地を購入し、矢職した組合員にこれを耕作させる」、「実現が可能になりしだい、本組合は生産、分配、教育および政治のカを備える。・・・自給自足の国内植民地を建設し、同様の植民地を創らんとする他の諸組合を援助する」、「禁酒ホテルを開く」ことなど、その大きな目的は「失職した組合員に職を与えるための国内植民地(コミュニティ)の建設」としたわけであるが、この発想の根源はロバート・オウエンにあって、「コープワーカーズユニオン」もまたそうなのである。
 
 ロバート・オウエンは、エンゲルスによって「空想的社会主義者」とされて初期社会主義者とされ、それはレイドロウの提起した「協同組合地域社会」を担う「生産協同組合と」が「過去の亡霊」扱いされたことにも通じていると思われるのだが、歴史は「空想的社会主義(初期社会主義)からマルクスの社会主義、そして社会的連帯経済へ」というふうすすんでいるわけではない。社会的連帯経済をすすめる人たちにカール・ポランニーの評価は高く、リーマンショック後は市場主義経済への対案として『大転換』は中国など15ヶ国で翻訳され、韓国にはカナダにあるカール・ポランニー研究所のアジア支部がつくられるといった状況だが、ポランニーが『大転換』で最も評価したのはロバート・オウエンであり、そこには「ロバート・オウエンほど深く産業社会の領域を洞察した者はいなかった」。「彼の思想の支柱は、キリスト教からの決別であった。オウエンはキリスト教を、〈個人主義〉という点で、すなわち、人格の責任を個人自体に負わせ、かくして社会の現実と人間形成に与える社会の強い影響を否定しているとして非難したのである。〈個人主義〉を攻撃する真意は、人間のもろもろの動機は社会にその起源があるのだという彼の主張のうちにあった」とポランニーは書いている。現在の格差問題や非正規を「自己責任」に帰す言い草を、オウエンは根底的に否定しているわけである。

 カール・ポランニーは、「18世紀における統制的市場から(労働、土地、貨幣を商品化した)自己調整的市場への移行」を「根底的な転換」とし、「労働、土地、貨幣が本来商品でないことは明らかである」、「市場による購買力管理は企業を周期的に破産させることになるだろう」と書くわけだが、これはポランニーと同様にイギリスの資本主義成立過程から労働力の商品化による資本主義の成立とその歴史的特殊性を見抜いた宇野弘蔵の経済学にとても類似しており、唯物史観と階級闘争論には関心がないところも宇野弘蔵に通じている。
 
 社会的連帯経済とは何か、それは市場経済とどういう関係になるのか、社会的連帯経済の議論の中からはいまいち分らないのであるが、宇野派にとっては簡単である。「共同体と共同体の間に生まれた市場経済は、共同体経済を補足するものになるだろう」(『自然エネルギーのソーシャルデザイン』p67)ということで、これは宇野経済学のテーゼである「共同体と共同体の間から商品はうまれた」をベ-スにしているわけだが、労働力商品によって商品が生み出されるのが資本主義であるなら、脱資本主義はその逆をやればいいということにつながるわけである。前述したように、私的には「脱労働力商品化によるコミュニティの形成」であり、大内秀明氏は「労働力・ヒトについても、賃労働から協働労働に転換し、地域共同体としてのコミュニティの復権が図られる。ビジネスについても、労働力の商品化が前提となった賃労働から協働労働への転換に対応してコミュニティ・ビジネスなど、社会的企業のイニシヤティヴを積極的に位置づけることになる」(前掲書p93)と書いている。内容的には社会的連帯経済と変わらないが、私たちはそれを社会主義に代わる社会的連帯経済ではなくて、晩期のマルクスがそれを示唆した「共同体社会主義」とするのである。
 
 私はレイドロウの「協同組合地域社会」という言葉がいちばん好きであるが、「社会的連帯経済」でも「共同体社会主義」でも、呼び方にこだわることはしない。共同体を市場経済に浮かぶ島などと否定的に考えるのではなく、仕事する労働組合という新しい労働運動、脱労働力商品化をすすめる事業体による大小の共同体とそれを支えるコミュニティは謂わば共同体であり、生産者協同組合が資本が労働を雇うのではなくて、労働が資本を雇うように、共同体は市場経済を共同体経済を補足するものにしていけばいいわけである。道は遠いけど、それは遠い将来にあるものというよりは、マルクスの言うように現実の運動の中にあるものであり、いつしか訪れるであろう世界につながっているはずである。

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2018年7月18日 (水)

「34年前に提起された『社会連帯部門』」つづき

現在編集中の労働組合本に書く原稿を、思いつくたびにノートのつもりでブログにあっぷしているわけだが、fniftyのブログには解析機能があって、何が一番読まれたかなどが分るのである。それで見るとこの間の一番人気は、7月4日アップの「34年前に提起された『社会連帯部門』」で、この間首位をゆずらない。ならばサービスで少しつづきを書こうと、それに少し付け足したとこなう。

しかし社会党のこの「新宣言」は、発表されるや共産党や新左翼から「社会党の右転落」という批判をあび、社会党内左派の社会主義協会派も「新宣言」が党大会で決定された後も、その実行をネグレクトした。1989年の総選挙で土井社会党はフロックで大勝したものの、社会主義協会派が多数の執行部は「新宣言」を棚上げしたままで、その年にベルリンの壁が崩壊し、やがてソ連が崩壊すると、社会党は名称だけは社会民主党と変えたものの「新宣言」がめざした社会民主主義路線を実行することなく、実質解体した。まあ、よかったのはソ連崩壊の前に「階級闘争」と「プロレタリア独裁」を清算できたことであろうか。その後、左派と称した人たちが「階級闘争」と「プロレタリア独裁」をどう総括したのかはあまり聞かないけど、やがて「社会民主主義」や「協同社会」や「社会的連帯経済」が語られ、「連帯」という言葉が新発見のように語られるようになった。

私は新しい運動をすすめるには旧い運動の総括や反省も必要と思うわけで、例えば社会党の「新宣言」で言えば、その資本への「参加・介入」の中身は労線統一による連合の結成を前提にしていたところがあるわけで、小野寺忠昭氏はそういった参加論を、「経営の民主的改革と参加論は、組合の自主生産・管理と組み合わせができれば有効な戦術と思われる。だが労働組合の主体が企業と一体化している今日、経営の民主的改革や参加論は、労働者の排除と切り捨ての体のいい隠れ蓑でしかなかった。労働組合が問われるものは、主体の質、社会性と自立性である。労働者・労働組合の自立思想がなければ、全てがマイナスに帰する論理になってしまうのだ」(『地域ユニオン コラボレーション論』p167)と批判するわけだが、大内秀明氏もまた30年以上前に自らがまとめたその部分について、2018年に出版した『自然エネルギーのソーシャルデザイン』において、こう反省している。

「20世紀の「プロレタリア独裁」型中央集権・指令型のソ連・国家社会主義が1990年代に崩壊した。集権型計画経済の破綻である。さらに国家社会主義に対抗した西欧型社会民主主義の参加介入・同権化の潮流も、そもそも「福祉国家主義」とも言える性格を持ち、それが財政破綻の「ソブリン危機」など、既に行き詰まりをみせている結果も大きいだろう。近代国家の権力を暴力的に奪取する、あるいは議会主義による「参加・介入」による同権化も、要するに権力による集権的指令型の上からの計画化であり、そうした計画化の歴史的限界を克服する必要が高まっている」(『自然エネルギーのソーシャルデザイン』(p92)と。

ソ連型社会主義の崩壊以降、多くの社会主義者たちは社会主義を語らなくなり、新たにヨーロッパ型社会民主主義の周辺に「社会的連帯経済」を見つけ出して、またぞろそれを語りだしているように私には思える。そして先の大内秀明氏の反省は何かといえば、「新宣言」から30年、この間に1870年以降の「晩期マルクス」とフランス語版『資本論』、ならびにウィリアム・モリスの社会主義研究から新たに「共同体社会主義」を構想し、なおかつそれを大震災後の東北の復興の中で実践的に提起しているわけである。

大内秀明氏はこの間、地域にある再生エネルギーを活用した復興計画「広瀬川水系モデル」を提起して、東北大学を中心とする研究者を集めて研究会を行い、今年4月に大内秀明編『自然エネルギーのソーシャルデザイン――スマートコミュニティの水系モデル』(鹿島出版会2018.4)を出版して、広瀬川水系において小型水力発電による再生エネルギーを活用した「地域循環型社会」=「共同体社会」の再生を以下のように構想している。

「もともとスマートグリッド(次世代送電網)が、自然エネルギーの地域分散型ツーウェイ双方向性、さらにネットワーク循環型のメディア特性を特つ以上、エネルギーの地産地消、生産と消費の地場型産業構造、そして協働労働と社会的企業、それらをトータルにネットワーク化するメディアとして機能できるはずである。さらに加えて、もともと地域金融としての協同組合組織である「信用金庫」や「信用組合」による貨幣・金融の機能と結び付くことも十分に可能である。こうしたトータルなメディア機能こそ、スマートグリッドがさらに「スマートコミュニティ」を形成することになる点が重要である」。「共助・互酬の協働労働、非営利組織の社会的企業、そして地産地消の循環型組織・集団としてゲマインシャフト=共同体社会の再生、復活が要請されている」(『自然エネルギーのソーシャルデザイン』p65-6)。
「労働力・ヒトについても、賃労働から協働労働に転換し、地域共同体としてのコミュニティの復権が図られる。ビジネスについても、労働力の商品化が前提となった賃労働から協働労働への転換に対応してコミュニティ・ビジネスなど、社会的企業のイニシヤティヴを積極的に位置づけることになる」(前掲書p93)と。

 ここで大内秀明氏が構想していることは、いわば社会的連帯経済にも通じる内容なのであるが、その根拠を大内秀明氏は「賃労働から協働労働に転換し、地域共同体としてのコミュニティの復権」というふうに「共同体社会の再生」を位置づけるわけである。同書の共著者の半田正樹氏は、さらにこう書いている。
 「人々がその生活日常を、完結する地域社会において営むことをむしろ積極的に選びとろうとする傾向は、いわゆる共同体に対する社会意識ないし時代意識の変化を示すものにほかならない。それは端的には、例えば共同体を封建遺制とみなし、したがって否定ないし超克の対象と捉える視点から、むしろ近現代の様々な負の側面を相対化する契機をそなえ、人と自然との共生を実現し得る可能性を特つものとして、再生ないし、より積極的に創発(Emergence)すべき対象として捉える視点に転換したことを表している。言い換えれば共同体が、人類の歴史のある段階に特有のものとする見方から、人間社会にとって普遍的であり、したがって歴史貫通的な性格を持つものだとする見方に転換したことを意味する。しかも、日本の共同体は、その底流に自治の仕組み、それも自然と人間の自治という点に本質を特つ自治の仕組みを持続させてきた点は注目に値する。あくまでも人間社会の自治でしかないヨーロッパに生まれた自治とは差異化される性格を特つからであり、特に 大震災後に前景化している人と自然の共生としての地域循環型社会の創発にも大いに関わると思われるからである」(前掲書p187)と。

 柄谷行人は『柳田國男論』(インスクリプト2013)に、「〈外来思想〉とか〈土着思想〉とかがそれ自体あるわけではない。あるのは、いまだ抽象(内省)されたことのない生活的な思考と、それを抽象するかわりに別の概念にとび移った、つまり真の意味で《抽象》というものを知らない思考だけである」。「ひとはそれぞれ自分の固有の経験を照明することによってしか普遍的たりえない」と書くわけだが、半田正樹氏ら仙台宇野派の人たちは、「社会的連帯経済」とか「モンドラゴン」を意識することなく、そういうものを社会的連帯経済というよりも「共同体」として地域の歴史から位置づけて、さらにかつてそこに原発がつくられようとした時からそれに反対した人々と共に、女川原発の再稼動に反対する運動とあわせて、「地域循環型の女川町をめざして、原発のない町づくり」へと取り組みをすすめている。

社会的連帯経済とは何か、それは市場経済とどういう関係になるのか、社会的連帯経済の議論からはいまいち分らないのであるが、宇野派にとっては簡単である。「共同体と共同体の間に生まれた市場経済は、共同体経済を補足するものになるだろう」(前掲書p67)ということで、これは宇野経済学のテーゼである「共同体と共同体の間から商品はうまれた」をベ-スにしているわけだが、労働力商品によって商品が生み出されるのが資本主義であるなら、脱資本主義はその逆をやればいいということにつながるわけである。共同体を市場経済に浮かぶ島などと考えるんではなく、あちこちに脱労働力商品化をすすめる事業体による大小の共同体をつくればいいわけである。この発想はレイドロウの「協同組合地域社会」も同じで、かつてそれが提起された時に、それを批判した人たちは「またぞろ生産協同組合の亡霊が」と批判したものだが、ここでいう「共同体」も謂わば34年前の「社会党の新宣言」と同じで、その「新たな亡霊の復活」なのである。

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2018年7月11日 (水)

社会的連帯経済元年?

B東北の宮城から三陸にかけての一帯は、定期的に大地震と津波に襲われるのであるが、1933年の昭和三陸地震&津波による被災地の復興は、とりわけ大槌町吉里吉里集落において多種多様な産業組合をつくることによって行われて「理想村」を誕生させた。後に書かれた井上ひさしのユートピア小説『吉里吉里人』は、この大槌町吉里吉里集落つくられた「理想村」をオマージュして書かれた小説で、そのモデルは実在したのであった。1933年当時の日本は不況の最中にあり、国は中国への侵略を企図していたから地震の復興に金をかける余裕がなかったのであろう、そのために革新官僚といわれた当時新世代の官僚たちが産業組合の制度を使って被災者に産業組合をつくらせて、その産業組合に資金を貸し付けるかたちで復興資金を提供というか貸し付けたわけである。ちょうど大内秀明らが『自然エネルギーのソーシャルデザイン――スマートコミュニティの水系モデル』を準備している頃に、同じ鹿島出版会から岡村健太郎『「三陸津波」と集落再編――ポスト近代復興に向けて』(鹿島出版会2017.3)という本が出版され、そこにはこうある。

「吉里吉里集落に産業組合が設置されたのは、震災約二ヵ月後の一九三三年五月二三日である。正式名称は、当初「保證責任吉里々々住宅購買利用組合」であった。目的としては「組合員ノ住宅、住宅用地又ハ経済二必要ナル物ヲ買入レ之二加工シ若ハ加工セシメテ又ハ之ヲ生産シテ組合員二売却スルコト」と、「組合員ヲシテ産業又ハ経済ニ必要ナル設備ヲ利用セシムルコト」の二つが挙げられている。このことからも、震災直後から住宅再建や産業の復興などの各種復旧・復興事業を担う主体として産業組合が措定され設立されたことがわかる。・・・産業組合は信用、購買、販売、利用の四種類の事業が可能で・・長山漁村経済更生運動においては、産業組合の四種兼業が推奨されていた。吉里吉里産業組合では当初購買と利用の二種兼業であったのが、一九三三年一一月に信用事業が追加され三種兼業となった。復旧・復興事業を行なうにあたり、低利資金の融通を受ける際に産業組合が受け皿となり、さらにそこから各被災者に資金の融通が行なわれることとなる。そのため、産業組合における信用事業は復旧・復興事業における資金の流れを円滑化するうえで非常に重要な事業であったと言える。・・・大槌町では、昭和三陸津波に前後していくつもの産業組合が設立されている。このうち直接的に高所移転事業に関与したのは吉里吉里集落の保證責任吉里吉里住宅信用購買利用組合と、安波、惣川、小枕の高所移転に関与した保證責任大槌水産信用販売購買利用組合の二つである。また、保證責任大槌信用購買利用組合は大槌町全域を対象とした産業組合で、後に大槌病院の設立などにも関与している」(『「三陸津波」と集落再編――ポスト近代復興に向けて』p179-180)。

「吉里吉里集落においては、「計画要項」に見られるように、高所移転や住宅再建などのインフラ整備事業と各種産業の復旧・復興事業などの社会政策関連事業の双方を組み合わせた総合的な復興計画が作成された。・・・計画の実施にあたっては・・吉里吉里集落の場合、震災を受けて集落を単位とした新たな「保證責任吉里々々体宅購買利用組合」が設立された。産業組合が担ったのは、住宅適地造成事業および住宅再建にかかる費用に関し、低利資金の融通を受ける際の窓口になったほか(信用事業)、住宅建設のための材料や日用品などの共同購入(購買事業)、復興趣に新たに建設された共同浴場や水道の経営(利用事業)、醤油や味噌など共同作業所で生産した商品の販売(販売事業)など多岐にわたった。」(前掲書p204-5)とあり、組合によって建設された住宅と町並み、共同浴場、共同販売所、共同製造所とその付属桟橋の写真などが添付されており、吉里吉里集落の「理想村」を髣髴とさせる。

また、岡村健太郎氏は、以下の文章で『「三陸津波」と集落再編』を終えている。
「災害復興とは、いかに被災集落の未来像を思い描き、それを共有し、実行に移していくかというプロセスにほかならない。成熟社会に入り、公助のみによる復興がうまく立ち行かなくなりつつある現代、そしてこれからの日本において、レベツカ・ソルニツトが大規模災害直後の限られた期間にのみ見出したユートピアを、復旧・復興段階を超え永続的なものとする必要があるのではないだろうか。現実のユートピアは、中央政府、地方政府、集落などの各主体間の緊張間係のなかからこそもたらされると考える。にわかにそれを実現するのは難しいかもしれないが、三陸沿岸地域における過去の災害復興の事例のみならず、宮沢賢治が思い描いたイーハトーブや、柳田国男が理想とした産業組合、井上ひさしが描写した吉里吉里国など、三陸沿岸地域がこれまでに築いてきた歴史的文脈のなかからも、ヒントを得ることができるはずである。何より、それが実現可能であることを雄弁に物諸るのが、理想村としての吉里吉里集落である。ポスト近代復興を考えるうえでの手がかりは、歴史のなかのユートピアにすでに存在している」と。

1933年11月の昭和三陸地震から78年たった2011年3月11日に、東北は再び大地震と大津波にみまわれた。福島第一原発の4基の原子炉が破産して、大地震の被害を上回る未曾有の大惨事となり、復興のための工事には巨額の費用が注ぎ込まれている。しかし復興の中身はハコモノ中心で、1933年の昭和三陸地震の復興に用いられた協同組合を使った地域再建的な復興計画は見受けられないし、生協を中心に大きくなった協同組合は多額なパンパは集められるも、協同組合の経験と理想を生かしたそれこそレイドロウの提起した「協同組合地域社会」的構想とその実践は見られない。阪神大震災が「ボランティア元年」といわれたように、それが出来れば、東日本大震災は「社会的連帯経済元年」となれるはずなのだが。

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2018年7月 5日 (木)

「コープワーカーズユニオン」の構想

先月は、6月3日の新宿デモと6月10日の国会前集会に参加した。どれだけ事実をつきつけられても嘘が当たり前に通る国会答弁、ブラック企業と無償の残業と非正規労働者を増やすだけの「働き方改革」、狂気の沙汰の原発推進と、安倍政権のあまりのひどさになんとかせねばと思ったわけだが、どちらも大抗議集会とは言えず、単発で終わった。6月3日の新宿デモは若い人たちが中心で、6月10日の国会前集会は60~70年安保世代の高齢者が中心で、片や60年安保を知らない世代中心、片や60年安保をひきずった世代中心で、残念ながら韓国の政権批判デモのようにはいかない。しかも、安倍政権の支持率はあまり下がらず、若者の保守化がすすんでいるという。果たしてこの先にはどんな社会が訪れるのだろうか、若い人たちをニヒリズムやファシズムに追いやらないためには何をすればいいのだろうか。新しい社会として社会的連帯経済を目指そうというのは、方向としては悪くない。しかし、何をどうすればそうなるのか、現在ある協同組合を大きくするとか、いっぱい集めればそれが出来るのかというと、これまで書いてきたようにそうではない。これまでの協同組合は、より社会的連帯経済に適合的になるように自己変革が必要なわけだが、大きくなった組織と事業は、そうであるが故に自己変革は難しかろう。そこでその役割を果たせる身近な組織があるとすれば、それは協同組合の労働組合であり、関連会社も含むまだ未組織のより多数の労働者のユニオン型労働組合、すなわちコミュニティユニオンへの結集であろうと思われる。

世界的にも労働組合の組織率が下がっているのは、この30~40年間に産業構造が大きく変わって先進国では工場が減り、情報化の進展でホワイトカラーが減り、グローバル化がすすんで事業所が減り、新自由主義による規制緩和がすすんで労働組合の中心であった正規労働者が減ったからである。さらに日本では、戦後労働運動の中で力を持っていた職場労働組合、その代表であった国労が解体され、総評なきあと連合に結集した組合のほとんどは、会社に対して協調的で閉鎖的な企業内組合であり、御用組合としての役割以外はなくした。全労協などに残った少数派組合もあるけど、戦後労働運動を成り立たせていた基盤が失われたこの先、組織が拡大する見込みはまずないであろう。しかるに一方、これまでの労働運動からは外されたままであった非正規労働者、パートの女性や外国人労働者、これらの増え続ける人々のコミュニティユニオンへの参加がすすめば、新しい労働運動への可能性も増すであろうと思われる。そして、会社の番犬の御用組合系でも、連合ではその中核組合となりつつあるゼンセン同盟が中心になって、サービス業系の会社において予防的な組合づくりをすすめている。彼らにとってコミュニティユニオンではだめなのである。

小野寺忠昭氏によれば、「〃労働組合〃と〃ユニオン〃の概念の違いは、団結を企業の外に作り出し自主的な個人加盟の組織にする、この一点にある」という。要は、ユニオンとは昔で言えば合同労組であり、産別で言えば全国一般となる個別企業の枠を越えた組合である。このタイプの組合は、未組織労働者が9割近くなるという時代の中では、大いなる未来があるようにもおもわれるが、分会活動の範囲を企業内にしてしまうと、小さな企業内組合にしかならない。ユニオンが可能性を持つのは、開かれた組合としてコミュニティの中に根を張りネットワークをつくりして、組合の社会的活動の枠を広げることの中にありように思われる。

前に書いたように、現在の生協における正規職員の比率は低く、そこをベースにした労働組合は特権的とも言えるほどの組合員数しかいない。正規職員の比率が低いのは、圧倒的多数の非正規のパート労働者のほかに、下請け会社におけるやはり圧倒的多数の非正規がいるからで、そこでは有期契約の派遣労働者も多くて、時々継続契約を断わられた派遣社員の人の解雇争議ななどが起こる。下町における自主生産闘争もそうであったけど、例え解雇されたのが子会社の社員であろうと、1971年に仙台の全会山岸闘争で勝ち取った法人格否認の法理、子会社の経営権を否定し親会社の責任を認めた判例を基に使用者概念を拡大して、争議は親会社や銀行への直接交渉を要求となるわけである。しかし親会社はなかなか交渉を受け容れないから、だいたい本社前での抗議行動が行われることになる。これは、生協の下請け会社における争議においてもそうなる。本部ビルの外で大音量のスピーカーで行われる抗議行動に対して、では生協の労働組合はどう対応するのかと組合員の人に聞いたら、だいあたいみなさん事務所の中で耳をふさいでいるそうである。

あらためて社会的連帯経済とは何かという問いもあるけど、社会的連帯経済の主力を担うとされる協同組合がこのままでいいのだろうかというのが、この間の問いであり、労働組合だけが企業内組合化して危機にあるわけではなくて、組織と事業の拡大の一方で社会性をなくして内向きになってゆく協同組合も同様な危機にあるわけで、では協同組合と協同組合の労働組合のどちらが自己変革しやすいかと言えば、それは労働組合であろうというのが、ここでの私の言い分である。そして、そのために生協の労働組合は何をなすべきかということになる。そしてこの答えは、さほど難しくない。一言で書けばコミュニティユニオンとしての「コープワーカーズユニオン」の結成であり、地域地域の生協の事業所で働く非正規のパートの人たちは組合費の安い「コープワーカーズユニオン」に入り、「コープワーカーズユニオン」には生協の労働組合員も二重加盟すれば、ユニオンの場では対等に要求がつくれるし、解雇争議をどう解決するかもそこで話しあえるわけである。そしてこれを可能にするには、生協の労働組合と上部団体が組合員のユニオンへの二重加盟を認めればいいだけである。もし、組合費の高い正規職員の労働組合員が組合費の安いユニオンメンバーとの同一労働同一賃金を拒否するようであれば、もう正規職員の労働組合は解散する方がいいであろう。労働組合の肝は友愛主義であり、その理念は「一人は万人のために、万人は一人のために」であり、これは協同組合と同じなのである。

「コープワーカーズユニオン」はひとつのユニオンであるけど、そこへの加盟はどこの生協で働いていてもかまわないし、二重加盟する生協の労働組合員もどこの生協の組合員でもOKである。例えば、江東区にある「コープワーカーズユニオン」の分会には、江東区にある複数の生協の各事業者で働くどの職員もパートさんも加入して、それこそ統一要求だってつくれるし、そこから単協を超えたネットワークが生まれ広げられ、様々な活動や事業の企画までうまれるのなら、社会的連帯経済はすぐそこに見えてくるだろう。問題は単協の理事会だが、生協の労働組合と非正規パート職員のユニオンから同一要求が理事会あてに出されるとすれば、それは理事会にとっても自己変革のチャンスとなるだろうし、もし理事会がそれを拒否するようであれば、労働組合は組合員さんも含めて協同組合や社会的連帯経済の可能性を理事会と大いに議論して、その結果、労働組合も協同組合も自己変革でき、社会的連帯経済を担う主体たりえるようになるだろうと思うところ。協同組合における労働組合の役割は非常に重要であり、協同組合の未来もそこにかかっていると思うところです。

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2018年7月 4日 (水)

34年前に提起された「社会連帯部門」

198472前回のブログ「本づくりのモチーフ」に、大内秀明氏から以下のコメントをいただいた。
「いよいよ大詰めを迎えた観、確かにそう思うところ。ただ、枠組みで詰め切っていない点があるし、連帯経済の中身が整理されていない点が気になるところ。ぜひお会いして話したいね!宜しく」と。いま「社会的連帯経済」という言葉が語られだし、それ以前には「協同社会」とか「非営利協同」とか「社会的経済」とか言われたものだけど、それらが果たしていかなる経済的な仕組みなのかはあまり語られなかった。社会的連帯経済を担う企業としては、私的所有で営利目的の株式会社に代えて協同組合や非営利企業となるわけだけど、それによって賃労働や労働力の商品化がなくなるものなのか、社会的連帯経済は資本主義にとって代われるのかなどは、どこまで経済学的に探求されているのかなど、経済学者である大内秀明氏には気になるところなのであろう。というか、大内秀明氏はすでに30年以上前にこれらの考察をやって、「経済計画」にまとめたことがあるのである。それは「日本社会党中期経済政策(案)」として1984年に出された文章で、後に「日本社会党の新宣言(ニュー社会党宣言)」と呼ばれた文章においてである。そこでは「中期社会経済政策の三つの基本手法」のひとつとして、その前段の「参加・介入」につづけて「社会連帯部門」がこう提起されている。

「(参加・介入の具体化)
14.高度経済成長の余剰の配分をめぐって、配分権限を他者に委託し、自らは受益者の立偏に甘んずる「委託と受益の時代」はすでに終りつつある・・・
15.このよぅな意味での「参加」には二つの場がある。一つはたとえば地域における経済的活動や社会の運営のあり方を含む、社会システムの設計やその遅営への「参加」である。・・・
16.もう一つは個別の供給主体等への直接参加である。たとえば民間企業でいえば、企業の経営への労働者および消費者の参加・・・。
17.「参加・介入」の基本的目標は、このようなかたちでの民主主義の拡充をつうじて、「市場の失敗」・「政府の失敗」の双方の克服を実現することにある。
(社会連帯部門)
18.だが既存の経済主体への参加のみでは、経済活動や社会的ニーズに即応させるには不十分である。いま新たに芽生えつつある動きは、「社会連帯部門」の登場である。「社会連帯部門」とは市場および行政が保障しえない生活の量や質を、それらに対抗的、競争的、あるいは協調的な姿をとりつつ、当事者集団のの経済的・社会的活動によって直接実現しよう亡する動きをいう。それは、今後の経済・社会のあり方に決定的な重要性をもっており、中期政策の対象期間中には、その芽を大切に育成し、21世紀への展望を切り間く。
19.「社会連帯部門」の具体的な内容は、投資(たとえば雇用者基金)、生産業(たとえば消費者と協カした有機農業、福祉サービスなどの自主生産)、流通(たとえば生協や産直、資源のリサイクル)などの各分野にわたる。また、その具体的な形態は生活協同組合法人の姿をとる勤労者の自主福祉事業、ボランテアの集団、インフォーマルな共助の組織など多様に存在する。
20.「社会連帯部門」の特質は、従来は企業や政府が供給する財もしくはサービスの消費者だった人々がみずから「創造者」として出現することであり、また、その活動が本質として「共助」 の仕組みをもつ点にある。
21.「社会連帯部門」は、社会経済活動の全分野を担うことはできないが、しかし、この部門が適切に社会経済システムのなかで位圖づけられれば、前述の「参加・介入」とあいまってシステム全休を国民経済と国民生活の利益に沿うように誘導することができる。その意味で決定的な重要性を帯びることとなる。」と。

要は、34年前に、その後に「協同社会」とか「非営利協同」とか「社会的経済」とか言われ出したものよりも具体的で、最近「社会的連帯経済」と言われ出したものと同じような内容の「社会連帯部門」が日本社会党から提起されていたのであり、この「日本社会党中期経済政策=日本社会党の新宣言(ニュー社会党宣言)」をまとめた方こそ大内秀明氏であったわけである。日本社会党は二本社会党と言われたように、左右の派閥抗争の絶えない政党であり、「日本における社会主義への道」というソ連型の社会主義をモデルにした綱領的文章をかかげていたわけだが、1970年代の後半から、その綱領的文章にある「階級闘争」とか「プロレタリア独裁」という路線の見直しが始まった。そして、社会主義理論センターにおいて「日本における社会主義への道」に代わる新しい路線の研究を担ったのが、大内秀明、新田俊三、鎌倉孝夫といった宇野派の当時は若手の研究者たちであり、大内秀明氏はその学者グループの座長であったわけである。

しかし社会党のこの「新宣言」は、発表されるや共産党や新左翼から「社会党の右転落」という批判をあび、社会党内左派の社会主義協会派も「新宣言」が党大会で決定された後も、その実行をネグレクトした。1989年の総選挙で土井社会党はフロックで大勝したものの、社会主義協会派が多数の執行部は「新宣言」を棚上げしたままで、その年にベルリンの壁が崩壊し、やがてソ連が崩壊すると、社会党は名称だけは社会民主党と変えたものの「新宣言」がめざした社会民主主義路線を実行することなく、実質解体した。まあ、ましだったのはソ連崩壊の前に「階級闘争」&「プロレタリア独裁」を清算できたことくらいか。その後、左派と称した人たちはこっそりと「社会民主主義」や「協同社会」を語りだし、最近になっても「連帯という言葉はこれまで日本の運動の中にはなかった」とか言って、新発見のように社会的連帯経済を語るわけだけど、前のブログにも書いたけど、1980年代の身近な運動においては「連帯」がたくさんあった。そんなで、5月24日のブログに「社会的連帯経済」という発想は、ヨーロッパの社会主義=社会民主主義から生まれてきたように思う。日本でのその普及のためには、日本におけるそれまでの社会主義の総括が必要であろう」と書いたけど、それをやらないと日本の「社会的連帯経済」は、白井聡氏の語る戦後日本のようになってしまうのではないかと危惧するわけである。6月28日のブログに書いたように、日本の社会的連帯経済のコーポラティズム化への懸念と合わせて、まあ、杞憂ならいいけどね。

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2018年7月 2日 (月)

本づくりのモチーフ

2000年の春に生協を辞めた私は、小野寺さんのすすめで管理職ユニオンの子ユニオン的な失業者ユニオンに参加して、そこで失業者の仕事起こしをサポートするためのNPOづくりをすすめたり、倒産後に自主再建めざして出店をしたカメラのニシダの自主生産の応援をしたり、ワーカーズコレクティブ調整センターの勉強会に参加して、失業者ユニオンが立ち上げた居酒屋リストランで飲んだりしていたわけだが、2003年2月に小野寺忠昭氏の『地域ユニオン コラボレーション論』が出ると、2004年に小野寺さんを誘って仙台の大内秀明氏を訪ねた。大内秀明氏とは1990年代に中小企業研究所でスモールビジネス研究会をやり、2000年には先生の鞄持ちをしてアメリカのNPOとの交流集会に行ったりしていたわけだが、『地域ユニオン コラボレーション論』には「労働をモノ扱いする無理」という次の一文があった。
「資本制とは労働力をモノ扱いして、一日何時間を単位として時間で使うことであった。・・・本来、人間的自然という特質を持った労働をモノ(商品)扱いする制度には、基本的な矛盾がある。自己の自由な意思と振る舞いによって行われる「裁量労働」は、人間的自然という特質を持った本来的な労働という一側面を意味している。だが、「裁量労働制」となると質の悪いペテンでしかない。短時間では裁量労働だが、長い時間のスタノスで測れば隷属的な労働なのである。資本制とは、人間諸力としての労働力を売買してモノ扱いすること。短時間であろうと長時間であろうと、時間に隷属した労働者の立場であることに変わりない。基本的に無理がある制度なのである。・・・資本の単なるモノとしての側面が露になり、モノとしての労働力の矛盾が、歴史的・世界的規模で起こってきているのが新自由主義の時代である」と。(『地域ユニオン コラボレーション論』p202)

これは私的には「労働力商品化」の問題であって、宇野派の学者である大内秀明氏はその専門家であるから、先生から「労働力商品化の止揚をすすめる労働運動とか企業や地域社会の在り方」を学ぼうと思ったわけである。しかし小野寺さんは当時、国鉄闘争の最終局面に忙しくて、その後は私ひとりで、半失業中で収入が乏しかったために、250ccのバイクで毎年仙台というか、作並にある「賢治とモリスの館」に通ったのであった。2011年3月には東北に大震災が起こり、その5月にもバイクで仙台に行ったのであったが、東北の復旧が大きな課題になった。大内先生とその仲間の人たちは、協同組合の関西生コンから支援を受けて「復興のための協同センター・仙台」&「仙台・羅須地人協会」を立ち上げると、「文明の転換による東北の復興」をかかげて、宮城県内の多様な協同組合の賛同を得て毎年シンポジウムを開いている。復興に向けた研究もすすみ、この4月には大内秀明編『自然エネルギーのソーシャルデザインーースマートコミュニティの水系モデル』(鹿島出版会)が出版された。そしてここまで来ると、そういうものとしての地域社会、コミュニティづくりが課題になるわけだが、それはいわば社会的連帯経済とされるものと大して違いはないと思うわけである。

毎年作並に通ってあれこれ議論して、それを2014年末に大内秀明氏との共著で『土着社会主義の水脈を求めて――労農派と宇野弘蔵』(社会評論社)という本を出した。それで、それを小野寺忠昭氏に差し上げようと2015年2月だったかに門前仲町の日高屋で、久しぶりに小野寺さんと飲んだわけだが、その時に小野寺さんからは『What was 国鉄闘争~そして次へ~』(ぶなの木出版)という本をいただいた。この本は24年間にわたる国鉄闘争が勝利的に終焉した後、その総括と今後を展望した本で、『地域ユニオン コラボレーション論』ともいえる本であり、その一文にはこうあった。
「また同時に大切なもう一つの、「私のモノはあなたのモノ、あなたのモノは私のモノ」と言うモットーヘ連結させることだと考える。そのモットーはグローバル自由経済主義に対抗する友愛経済主義のスローガン「個人的所有の再建」の原理的な運動の出発点でもある。・・平たく言えばワークシェアリングやカーシェアリング、ナショナルトラスト、ワーコレや自主生産等の運動のことである。また生産者の顔が見える生産物との関係・生協活動やまた今やスーパーでも見られる産地・生産者表示や地域マネー運動のことでもある。さらに脱原発の有害放射線を生産させない運動、そして自然エネルギー転換運動のことであり、友愛経済主義はそのような、「モノ」づくりと「モノ使い」の実践的な行為が私とみんなの共有関係に作り替えていく運動なのである。そしてその運動は資本の私的占有によって奪われた、公共交通、電力や教育、医療や福祉・年金や地方自治体など市民社会の公共性・社会防壁の再建や原発の放射能の廃棄物によって汚された社会をこれ以上汚染させない原点なのであると私も考える。新しい労働組合運動はそれらのネットワークの中核に近づけていくことと考える」と。(『What was 国鉄闘争~そして次へ~』p105)

そしてこの本を読んだ時に、私は「新しい労働組合運動」と「新しい協同組合運動」を構想し、それを東北の復興構想。私的には「脱労働力商品化によるコミュニティの形成」に結びつけられないものかと考えて、2015年7月に小野寺さんとその仲間、それに協同組合や社会的連帯経済の研究者である丸山茂樹さんを誘って、再び作並に行ったのであった。2泊3日の小旅行ではあったけど、大内秀明氏、半田正樹氏、田中史郎氏の仙台宇野派との勉強会、大震災被災地の訪問から作並温泉つかりまで、充実した仙台行きであった。そして同年8月には鎌倉孝夫氏が『帝国主義支配を平和だという倒錯』(社会評論社)が出版されてその出版記念会に行き、その後、小野寺さんを鎌倉孝夫氏に紹介して一杯飲んだ。またその頃私は、『変革のアソシエ』という季刊誌づくりを手伝うことになって、共同代表の伊藤誠氏とも知り合い、翌2016年にそこで「労働運動講座」を始めて、そこに全統一の鳥井一平氏や埼京ユニオンの嘉山将夫氏や堀利和氏を招いて話をうかがった。そしてこれだけ役者がそろうと、少人数で話を聴くだけではもったいないから、それらをみんなまとめて本にしようと、昨年来動きだしたのであった。

2000年に生協の関連会社を辞めた後、職業訓練校でDTPを習い、「本づくりSOHOダルマ舎」という個人事業とアルバイトで凌ぎながら、ブログに「反時代的」と評される雑文を書き書き、いつかそういう本を作ろうと思いながらも、生活に追われてそれどころではなかった。しかしこの歳になれば、残りの人生を心配するよりも、いつ死んでも悔いのない生き方をする方がいいと、友人の医者から言われ、その通りだと思うところ。最初は、労働運動本だけを身銭を切ってでも出そうと思ったわけだが、ここまでくれば、協同組合本と東北の復興本をセットにして、これら3冊で関わった運動の総括と、新しい時代に向けた展望を遺したいと思うところ。このひどい時代だからこそ、反時代的な本を作ろう。期間は、あと2年くらいか。来年の参院選、再来年の衆院選まで。その結果に関係なく、その後は隠居の予定。よろしく。

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小野寺忠昭『地域ユニオン コラボレーション論』

400前回のブログ「社会的連帯経済と労働運動」に、私は「社会的連帯経済とは何か、それはもはや研究対象でもなければ理想でもない、かつてマルクスが書いたように、それは〈現実の運動〉である」と書いたわけだが、ではそれがどこで現実の運動になっているのかといえば、それは労働運動の場においてである。協同組合を持ち上げる社会的連帯経済の研究者からすれば、労働組合はもう時代遅れだということになるわけで、確かに工業社会をベースにしてきた労働組合は企業別組合も産業別組合も終わったか、終わらされた。その前兆は1970年代からあったわけだが、1980年代以降急激にすすんだ情報化、脱工業化、グローバル化、市場原理主義の新自由主義による規制緩和と労働組合つぶしによって、先進国の労働組合はどこも組織率を大きく低下させている。一方、併せてどの国でも倒産による失業者の増大、ホワイトカラーのリストラ、非正規労働者や外国人労働者の増加がすすんでいる。

では、それに対する抵抗や対案はなかったのかといえば、確かに総評解散後に、大半の組合は連合に行ってしまい、闘わない企業内組合としてますます存在理由を喪失させているわけだが、その一方には少数ながら、前述したように下町の中小企業や日本最大の労働組合であった国鉄労働組合中から、長年にわたる解雇争議を闘い抜き、新しい時代の労働運動を切り拓こうとする人々と運動は継続されている。自主生産闘争を仕切った東京地評オルグの小野寺忠昭氏は、こう書いている。
「総評の終わりは戦後労働運動の終焉でもあり、その労働運動家の絶滅でもあった。・・ だがしぶといオルグたちのある者は、1990代の終わり頃から、戦後労・資がネグレクトしてきた縁辺に、多様なユニオンを立ち上げ、従来の組合運動では、例えば総評時代においては全く手つかずたった外国人労働者、非正規労働者や中高年・管理職労働者を組織化していく。また反倒産の闘いで、ある者は自主生産を一歩進めて、経営活動そのものを労働運動側に引き寄せ始めている。総評亡き後、そうやってそれぞれが自立した一人オルグとして生き残ってきたのである。そこには大上段に振りかぶった労働運動家とは違った、新たなオルグ稼業と労働運動家へつながっていく運があった」と。(小野寺忠昭『地域ユニオン コラボレーション論』インパクト出版会2003、p111)

小野寺忠昭氏は、さらにこう書く。
「争議運動の自立。そこには逆境であっても普通の労働者だちの熟い仁義が育まれ、労働運動の気概があり夢があった。・・・ ここで見た夢はなかなか陽気な夢であったと思う。また、その運動理念(目的意識)は、それぞれ労働者の夢が一致し重なる部分が濃くなり、広がれば広がるほどに、労働者の自立した社会的ビジョンが創られるのではないか。そのような運動の堆積と広がりから共通する意識=労働者の未来社会像が創出されるのではないかと考える。その視点から社会運動を見直せば、生協、住民、市民、NPO、農民運動などによって創られたそれぞれの社会的ビジョンと重なり合う部分が多々あり、それらを今までに重ね合わせることができれば、すでに広範な社会的ネットワーク形成が可能であった」と。(前掲書p171)

また、カール・ポランニーに学んで、こうも書く。
「市場経済の虚構性を暴いたカール・ポランニーは、経済的という言葉の意味を、実体=実在的(サブスタンティブ)定義と形式的(フォーマル)定義の二つに厳密に区別した(『人間の経済』岩波書店)。ここで言う実在的とは、広義においては物質的手段における生産であり、狭義の意味では、生計維持的な機能、パンやミルクなどのことである。そして、労働組合はフォーマル経済(儲けを生み出す経済)の単なる反対制度であるばかりではなく、サブスタンティブ黄体)経済の体現者となり、その実在的経済=人間の経済の地球的規模での犬ネットワークの核になる可能性を持っているのである。かつてのテーゼとされた労働者、農民、中小業者、知識階級などの政治統一戦線の狭い意味ではなく、市場経済に対抗する社会的な統一戦線という意味を持っているのである。労働組合はフォーマルな経済の反対者であると同時に、新たな人間経済の対案や協同的価値(友愛)を創出することが必要な時代なのである。そしてこの時代、労働運動のこのようなモチーフの延長に、社会・国家再建のコンセプトがある。
結論づければ、労働組合にとって、長い歴史を通して形成してきたヒト生存のために、社会に埋め込まれてきた非市場的な民衆側の公共の秩序=社会防壁をぶっこわす側に立つのか、ヒト社会再建の側に立つのか、その社会的意義が今まさに問われているのである。そして労働組合の新たな理念は、サブスタンティブ(実体)経済を担うさまざまな人々と共に、友愛による社会的な団結を再生する役割の一つを担っていくことであると考えられるのである」と。(前掲書p242)

最後に小野寺忠昭氏は、「組合は未来への贈与」と題してこう結論する。
「日本における民衆の大衆主義(ポピュリズム)には、村的共同体を起点とした協同的な生産主義が、さまざまな時代においても底流として流れてきたという結論を、筆者は主張したい。労働組合のコンセプトを制度論として再認識すれば、西欧的な組合主義が重要視しなかったもの、日本の民衆が普遍化してきた内側の生産主義に突き当たるのではないかと考える。これは近代社会の中においては二重の意味を持っていた。一方では過労死と言われるほどの仕事への隷属意識。もう一方では、大衆が作り出した、労をものともしない仕事への積極的な協同意識である。日本の労働組合にとって重要なことは、いわば労働者が制度化してきた生産主義=二重化されてきた意識をハッキリと内在化(認識)し、生産する労働組合論として積極的に取り人れることである。労働組合のポジティブな再認識によって、この生産する労働組合のコンセプトは、主体を抜きにした経営論とは全く違うのである。それは、ちまたに氾濫している俗論としての、経営=資本に従属した労働者の消極的な経営参加ではなく、自主生産運動に見られる労働者による積極的な経営運動であり、その運動が組合運動論として普遍化されることだと考える。同時にその運動論の延長線上に、企業内に限定化された従業員としての利己的なワークシェアリングではない、社会的な仕事の分かち合い運動が導かれるのではないか。そしてこの失業時代に、二つの課題を同時に行うことは、全く矛盾しないばかりか、積極的な意義があるのである」と。(前掲書p264)

下町の自主生産闘争は1970年代から始まった。1980年にICAモスクワ大会があって、そこでカナダのレイドロウ博士は生産協同組合と協同組合地域社会を提起したわけだが、下町の工場では自主生産と地域共闘の実践が、その前から始まっていたわけである。「レイドロウ報告」は、日本の協同組合にインパクトを与えたけど、真面目にそれを実践したのは生活クラブ生協くらいであっただろうか。生産協同組合の提起は、否定的にさえ受け取られていた。一方、自主生産闘争は東京総行動をもって地域共闘を広げ、やがて国鉄闘争に引き継がれ、いまなお生産する労働組合と、それを支えるコミュニティユニオンほかのネットワークといった新しい労働運動と地域社会づくりを模索しているのである。モンドラゴンを見に行くのもいいけど金はかかるし、足元にもモンドラゴンに劣らぬ実践はあるのである。小野寺忠昭『地域ユニオン コラボレーション論』は現在絶版であるので、ここにそのエッセンスを載せるところです。

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