« 本づくりのモチーフ | トップページ | 「コープワーカーズユニオン」の構想 »

2018年7月 4日 (水)

34年前に提起された「社会連帯部門」

198472前回のブログ「本づくりのモチーフ」に、大内秀明氏から以下のコメントをいただいた。
「いよいよ大詰めを迎えた観、確かにそう思うところ。ただ、枠組みで詰め切っていない点があるし、連帯経済の中身が整理されていない点が気になるところ。ぜひお会いして話したいね!宜しく」と。いま「社会的連帯経済」という言葉が語られだし、それ以前には「協同社会」とか「非営利協同」とか「社会的経済」とか言われたものだけど、それらが果たしていかなる経済的な仕組みなのかはあまり語られなかった。社会的連帯経済を担う企業としては、私的所有で営利目的の株式会社に代えて協同組合や非営利企業となるわけだけど、それによって賃労働や労働力の商品化がなくなるものなのか、社会的連帯経済は資本主義にとって代われるのかなどは、どこまで経済学的に探求されているのかなど、経済学者である大内秀明氏には気になるところなのであろう。というか、大内秀明氏はすでに30年以上前にこれらの考察をやって、「経済計画」にまとめたことがあるのである。それは「日本社会党中期経済政策(案)」として1984年に出された文章で、後に「日本社会党の新宣言(ニュー社会党宣言)」と呼ばれた文章においてである。そこでは「中期社会経済政策の三つの基本手法」のひとつとして、その前段の「参加・介入」につづけて「社会連帯部門」がこう提起されている。

「(参加・介入の具体化)
14.高度経済成長の余剰の配分をめぐって、配分権限を他者に委託し、自らは受益者の立偏に甘んずる「委託と受益の時代」はすでに終りつつある・・・
15.このよぅな意味での「参加」には二つの場がある。一つはたとえば地域における経済的活動や社会の運営のあり方を含む、社会システムの設計やその遅営への「参加」である。・・・
16.もう一つは個別の供給主体等への直接参加である。たとえば民間企業でいえば、企業の経営への労働者および消費者の参加・・・。
17.「参加・介入」の基本的目標は、このようなかたちでの民主主義の拡充をつうじて、「市場の失敗」・「政府の失敗」の双方の克服を実現することにある。
(社会連帯部門)
18.だが既存の経済主体への参加のみでは、経済活動や社会的ニーズに即応させるには不十分である。いま新たに芽生えつつある動きは、「社会連帯部門」の登場である。「社会連帯部門」とは市場および行政が保障しえない生活の量や質を、それらに対抗的、競争的、あるいは協調的な姿をとりつつ、当事者集団のの経済的・社会的活動によって直接実現しよう亡する動きをいう。それは、今後の経済・社会のあり方に決定的な重要性をもっており、中期政策の対象期間中には、その芽を大切に育成し、21世紀への展望を切り間く。
19.「社会連帯部門」の具体的な内容は、投資(たとえば雇用者基金)、生産業(たとえば消費者と協カした有機農業、福祉サービスなどの自主生産)、流通(たとえば生協や産直、資源のリサイクル)などの各分野にわたる。また、その具体的な形態は生活協同組合法人の姿をとる勤労者の自主福祉事業、ボランテアの集団、インフォーマルな共助の組織など多様に存在する。
20.「社会連帯部門」の特質は、従来は企業や政府が供給する財もしくはサービスの消費者だった人々がみずから「創造者」として出現することであり、また、その活動が本質として「共助」 の仕組みをもつ点にある。
21.「社会連帯部門」は、社会経済活動の全分野を担うことはできないが、しかし、この部門が適切に社会経済システムのなかで位圖づけられれば、前述の「参加・介入」とあいまってシステム全休を国民経済と国民生活の利益に沿うように誘導することができる。その意味で決定的な重要性を帯びることとなる。」と。

要は、34年前に、その後に「協同社会」とか「非営利協同」とか「社会的経済」とか言われ出したものよりも具体的で、最近「社会的連帯経済」と言われ出したものと同じような内容の「社会連帯部門」が日本社会党から提起されていたのであり、この「日本社会党中期経済政策=日本社会党の新宣言(ニュー社会党宣言)」をまとめた方こそ大内秀明氏であったわけである。日本社会党は二本社会党と言われたように、左右の派閥抗争の絶えない政党であり、「日本における社会主義への道」というソ連型の社会主義をモデルにした綱領的文章をかかげていたわけだが、1970年代の後半から、その綱領的文章にある「階級闘争」とか「プロレタリア独裁」という路線の見直しが始まった。そして、社会主義理論センターにおいて「日本における社会主義への道」に代わる新しい路線の研究を担ったのが、大内秀明、新田俊三、鎌倉孝夫といった宇野派の当時は若手の研究者たちであり、大内秀明氏はその学者グループの座長であったわけである。

しかし社会党のこの「新宣言」は、発表されるや共産党や新左翼から「社会党の右転落」という批判をあび、社会党内左派の社会主義協会派も「新宣言」が党大会で決定された後も、その実行をネグレクトした。1989年の総選挙で土井社会党はフロックで大勝したものの、社会主義協会派が多数の執行部は「新宣言」を棚上げしたままで、その年にベルリンの壁が崩壊し、やがてソ連が崩壊すると、社会党は名称だけは社会民主党と変えたものの「新宣言」がめざした社会民主主義路線を実行することなく、実質解体した。まあ、ましだったのはソ連崩壊の前に「階級闘争」&「プロレタリア独裁」を清算できたことくらいか。その後、左派と称した人たちはこっそりと「社会民主主義」や「協同社会」を語りだし、最近になっても「連帯という言葉はこれまで日本の運動の中にはなかった」とか言って、新発見のように社会的連帯経済を語るわけだけど、前のブログにも書いたけど、1980年代の身近な運動においては「連帯」がたくさんあった。そんなで、5月24日のブログに「社会的連帯経済」という発想は、ヨーロッパの社会主義=社会民主主義から生まれてきたように思う。日本でのその普及のためには、日本におけるそれまでの社会主義の総括が必要であろう」と書いたけど、それをやらないと日本の「社会的連帯経済」は、白井聡氏の語る戦後日本のようになってしまうのではないかと危惧するわけである。6月28日のブログに書いたように、日本の社会的連帯経済のコーポラティズム化への懸念と合わせて、まあ、杞憂ならいいけどね。

|

« 本づくりのモチーフ | トップページ | 「コープワーカーズユニオン」の構想 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113260/66901629

この記事へのトラックバック一覧です: 34年前に提起された「社会連帯部門」:

« 本づくりのモチーフ | トップページ | 「コープワーカーズユニオン」の構想 »