社会的連帯経済と日本の協同組合
5月22日は、グローバリズムの跋扈に対して社会的連帯経済をめざすGSEFの2018年の大会が、今年の秋にスペインのビルバオで開かれるということで、それに向けてGSEF2018大会日本実行委員会主催の学習会に出かけた。南欧の経済はギリシャに次ぐデフォルトの危機を言われながらも、グローバリズムに対するオルタナティブを試行しつつあり、その中でも注目されるのがスペインのバスク地方にあるモンドラゴンの労働者協同組合群である。GSEF2018大会日本実行委員会を構成するソウル宣言の会は、社会的連帯経済の普及をめざしているわけだが、日本においては社会的連帯経済の名称はマスコミにおいても取り上げられず、そこで今回は東京新聞編集委員の土田修氏から「フランス及び、ヨーロッパの社会的連帯経済、及び草の根運動の現状」と、JCA(日本協同組合連携機構)の前田健喜氏の話をうかがった。
前田健喜氏によれば、「日本では農協や生協や共済組合などの各種協同組合の総組合員数は6500万人、事業高は16兆円、店舗・施設数は35600ヶ所あり、新しく出来たJCAでは各種協同組合の提携をすすめている」という。それを聞いて私は、1980年のICAモスクワ大会におけるレイドロウ報告『西暦2000年における協同組合』の以下の部分を思い出した。当時の多国籍企業の跋扈に対して「生産協同組合や協同組合地域社会の建設」を提起したレイドロウ博士が、日本の農協を評価して「協同組合地域社会なるものを創設するという点で、都会の人々に強力な影響を与えるためには、たとえば日本の綜合農協のような総合的方法がとられなければならない」と書いたことである。しかしそれから40年近く経ち、日本には協同組合地域社会が誕生したのかといえば、協同組合の規模は拡大してもそんな気配は全く無い。前田健喜氏の講演資料(全労済協会「勤労者の生活意識と協同組合に関する調査報告書」2016年版)に、「社会問題や暮らしの向上に熱心な団体」についてのアンケート結果というのがあって、それを
見ると最下位は協同組合、その次は労働組合になっている。先日私は、白石孝氏の『ソウルの市民民主主義』を評したついでに、「生協とその労働組合は〈ソーシャル〉の視点を失いつつあるからではあるまいか」と書いたけど、実態としてそうなっていることが分る。JCAが出来たのは社会的連帯経済にとって前進だけど、社会的連帯経済を広めるには、同時に今の生協の自己変革が必要で、それはJACに任せればいいという話ではないと思うわけ。かつて石見尚氏は、ロッチデール型の消費組合を第二世代の協同組合、生産協同組合を第三世代の協同組合と呼んだけど、現在の日本の協同組合は二・二世代くらいなものだろうか。この30年くらいの間に日本の生協に学んだ韓国の協同組合の方が世界に広く学んで、協同組合運動の新しい展開を始めている。
一方、共和主義を代表する国フランスにおける社会的連帯経済はどうなっているのか、土田修氏によれば、「フランスでは1901年にアソシエーション法が制定され、2015年にはそれが社会的・連帯経済法になって、社会的経済という用語は普通に使われており、その中身は共済組合や協同組合や保険会社やアソシエーションであるわけだが、オランドやマクロンは社会党政権だけど新自由主義で、それに対して草の根運動的にはザティストと呼ばれる若者が空家をシェアして多数のシェアコミュニティをつくったけど弾圧され、また工場閉鎖で解雇された労働者が会社の経営を引き継いで労働者協同組合をつくったりして、地域からポスト資本主義〈革命〉がはじまったりしている」とのことであった。そして、ここでザティストが面白いのは、既成社会に対抗的なシェアコミュニティみたいな運動であるからだろうか。フランスでは少人数で協同組合がつくれるそうだけど、韓国もそうで、日本でも必要なのは連携機構による上からの連携よりも、自立的な運動によって培われる連帯ではなかろうか。
フランスの解雇された労働者による経営で思い出すのは、1960年代のフランスで闘われた「リップ時計闘争」という労働者による自主生産闘争である。だから、昨今の解雇された労働者による労働者協同組合はとりわけ新しいものとは思われず、かつては自主生産闘争で終わったものが労働者協同組合になったことが目新しいのかと思うわけだが、リップ時計闘争にインスパイアされて闘われた1970年代の日本の自主生産闘争は、当時すでに生産協同組合化を視野に入れて闘われており、そこで作られた製品のブランドは「Solidarity(連帯)」であったから、そういった日本の経験の再評価も必要であろうと思うところ。レイドロウの農協評価にしても、日本の農協の総合性のルーツは戦前の産業組合にあるわけで、イギリスのロッチデール型の消費組合と比べてドイツに学んだ戦前の産業組合は遅れていたと見るよりも、その総合性は見直されていい。1933年の昭和三陸地震&津波からの地域の復興は、大槌町吉里吉里集落において多種多様な産業組合をつくることによって行われて「理想村」を誕生させた。井上ひさしのユートピア小説『吉里吉里人』は、このことをオマージュして描かれたわけだが、3.11東北大震災からの復興についても、協同組合を活用した復興、社会的連帯経済の形成を実践的に試みるべきであろう。
ついでに書けば、社会的連帯経済という発想は、ヨーロッパの社会主義=社会民主主義から生まれてきたように思う。日本でのその普及のためには、日本におけるそれまでの社会主義の総括が必要であろう。そんなで私は、来月には東北へ、秋にはバスクにも行きたいと思うところ。今年は何かといそがしい。
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