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2017年5月10日 (水)

現状分析と「語りえぬ共同体」への道

4.現状分析と「語りえぬ共同体への道」

上記は何を言いたかったのかと言うと、宮澤賢治の作品行為と羅須地人協会の関係は、そのどちらかが否定されるべきものというよりは、それはブランショで言えば『文学空間』、書くことと『明かしえぬ共同体』、1968年のパリ五月革命への参加との関係にアナロジーするらば、問題は、「共同体が現れるのは、いかなる〈他者〉によるのか」ということになる。ホロコースト体験がなかったらレヴィナスの思想も生まれなかったであろうし、このアナロジーは成立する。「無辜の現前」とは何か、以下、暴論を試みる。

さて、松田社長に今日の私のコメントのテーマを伝えた後、4月30日に松田社長から「平山さんの現代資本主義観を問題提起されたらどうでしょうか」とのメールがあったので、少しは経済学みたいなことにも触れなくてはと思うところだけど、私は2004年に大内秀明氏が作並に「賢治とモリスの館」をつくられて以来、大内先生から宇野経済学の薀蓄を聞きくために毎年そこに通いながらも、大内先生がびっくりするほど経済学の覚えが悪く、少し乱暴に問題提起をします。

最近、伊藤誠『資本主義の限界とオルタナティブ』(岩波書店2017)と進藤栄一『アメリカ帝国の終焉』(講談社現代新書2017)の2冊の新刊書を読んだ。そしたら4月30日の朝日新聞の書評に進藤栄一『アメリカ帝国の終焉』が取り上げられていて、進藤栄一氏が言わんとしているのは「我々がいま目にしているのは『資本主義の終焉』などではなく、欧米からアジアに資本主義の中心軸が移動する歴史的大転換だというのが、本書の中核的主張だ」ということで、この「まだ資本主義は終焉しない」論は、論拠は異なるけど、青木孝平氏の『「他者」の倫理学』でもそうであり、それを評価する佐藤優氏も、「どれだけ閉塞状況に陥っているとはいえ、予見される未来に資本主義に代わる新たなシステムが到来することは考えられない」(『資本主義の極意』NHK出版新書2015)と書いている。

一方、伊藤誠氏は『資本主義の限界とオルタナティブ』にこう書いている。
「新自由主義は、たしかに理念としては社会民主主義的福祉国家やケインズ主義にくらべて整合的で首尾一貫しているように見えるものの、現実的には、理論的には拒否してきたケインズ主義的な財政・金融政策を緊急経済対策として、反復されるバブルとその崩壊の過程で、不断に、不整合に強力に動員し続ける、まさに矛盾にみちた、しかも目的としている合理的で効率的経済秩序を達成しえない政策体系といわなければならない。・・・なぜこうなるのか。そこには、市場取引の自由を基本イデオロギーとして、社会的諸規制から解放されたはずの新自由主義的体制のもとで、もともと労働力を商品化してあつかい、自然資源や環境を営利活動の手段として利用するほかないという資本主義経済に内在する矛盾の本質に深くかかわる限界が、経済政策の理念と現実の乖離として現代的に鋭く露呈しているともいえるのではなかろうか」と。
さらに、進藤栄一氏は「『資本主義の終焉』論は神話である」とするわけだが、それを書いた水野和夫氏の『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書2014)ほかは大きな評判になっており、それについて大内秀明氏は、前に以下のコメントを送ってきてくれた。
「利潤率ゼロ、ゼロ成長は、stationary state として、リカードやマルサスの時代から論争のテーマでした。資本主義が行き詰ると必ず論じられてきた。内部的には非正規雇用の拡大とか、周縁や半周縁の利用もそうですが、政治を利用して戦争、それも熱戦だけでなく冷戦も利用する。原子力で破壊しながら利殖を続けるのが資本主義の金権体質、対抗的にはstationary state の理想郷を説得的に描き切ることでしょうね」と。

と言うことで、私の問題提起は「果たして資本主義は終焉するのだろうか、ポスト資本主義はあるのだろうか」となるわけだが、私の見立ては青木孝平氏や佐藤優氏と同じでというかそこから学んで、「資本主義は〈ヨーロッパの低温化→羊毛需要の増加→エンクロージャー・ムーブメント〉という資本の本源的蓄積過程から偶然に生まれたものなので、偶然に生まれたものはまた偶然に終わる。だから資本主義はいつかは終わるだろう」ということになる。一方、私が青木孝平氏や佐藤優氏と異なるのは、現状の資本主義を放置したままにすることはできないということで、これがそもそも私の『「他者」の倫理学』批判のきっかけであった。青木孝平氏は、「資本主義の超克は・・いかに迂遠に見えようとも、それは自我への妄執の無根拠性を根源的に暴露することによってしか方向づけることはできないであろう。それ故その実践は・・〈自己〉を不断に審問し続けること意外にないのである」と書くわけだが、「〈自己〉を不断に審問し続けること」とは、私的にはそれが宇野経済学でいう現状分析ではないのかと思うところ。

2年前に鎌倉孝夫氏が『帝国主義支配を平和だという倒錯――新自由主義の破綻と国家の危機』(社会評論社2015)という本を出された時に、大内秀明氏に「鎌倉先生は相変わらずお元気ですね」と言うと、大内秀明氏は「ああいうのはアジビラと言うのだよ、宇野派の本当の現状分析というのは、いま私たちがやろうとしていることだ」と言って、仙台・羅須地人協会が取り組み始めた「スマート・コミュニティ構想」の話をされた。仙台・羅須地人協会というのは、3.11東日本大震災の後、「文明の転換による東北の復興」をかかげて大内秀明氏らが立ち上げた自由学校みたいな団体で、「スマート・コミュニティ構想」というのは、自然エネルギーによる地域循環型社会づくりのソーシャルデザインで、仙台宇野派を中心に東北大学工学部の先生たちの協力を得てまとめられ、年内くらいに『自然エネルギーのソーシャルデザイン:スマートコミュニティの水系モデル』といった書名で鹿島出版会から出版される予定である。

ソ連型社会主義の崩壊以来、社会主義は語られなくなり、代わりに協同組合やアソシエーションや社会的経済といったことが流行りだした。では、仙台・羅須地人協会のめざすものがそれらと同じものなのかと言うと、そうであるようでもあり、またそうではない。協同組合やアソシエーションや社会的経済といったものが、それまでの社会主義の代替物として導入された感があるのに対して、仙台・羅須地人協会の構想は東北という土壌を背景に、3.11東日本大震災をきっかけとして立ち上げられた。それは、大内秀明氏が2004年に作並につくられた「賢治とモリスの館」や共同体社会主義の研究の延長にあると言ってもいいし、大内秀明氏は2005年に半世紀前に書いた『価値論の形成』(東大出版会1968)の続編になる『恐慌論の形成』(日本評論社)を出されたわけだが、大内秀明氏の宇野経済学研究の延長にあるとも言える。

私は「賢治とモリスの館」に通いながら、「宇野理論はどこから生まれたのか、その誕生の背景にはこの地(仙台)があるのではないか」という議論をしばしばやった。宇野弘蔵は、1924年にドイツ留学から帰国すると、東北帝大の助教授になった。そして1932年に『日本資本主義発達史講座』岩波書店より刊行されて日本資本主義論争が起こると、仙台にあってそれと距離をとり、1936年に「資本主義の成立と農村分解の過程」(『中央公論』1935年11月)を発表し、1937年の人民戦線事件につづく翌1938年の教授グループ事件に連座して検挙され、1年間の留置場暮らしをした後、裁判では無罪になったものの1941年に東北帝国大を辞職した。宮澤賢治もそうだけど、天沢退二郎氏が書くように、歴史的時間と作者の内的時間をむやみに混同してはいけないというのはそうなのかもしれないけど、二人の作品と思想が成立することの低音部には、戦前期の昭和という時代と東北という風土があるように私には思える。

東北では45年に一度の頻度で大地震と津波がくり返され、宮沢賢治は1896年の明治三陸津波の年に生まれ、1933年の昭和三陸津波の年に亡くなった。また、東北は中央からは「白河より北ひと山十銭」と言われ、最近も自民党の復興担当大臣であった今村雅弘が「あれは東北でよかった」と現在もなお変わらぬ差別意識を丸出しにして、その少し前には東電株主でもある今村雅弘は、原発被災者を「自己責任だ」と言い切り、安倍政権は原発の再稼動とハコモノ建設による復興をすすめている。しかし、1933年の昭和三陸津波からの復興には「産業組合が主体となり・・総合的な復興が行われ」たということが、最近出版された岡村健太郎『「三陸津波」と集落再編』(鹿島出版会2017)に書かれている。昭和不況で資金を出したくない国の新官僚(革新官僚)が、被災者に産業組合をつくらせて、そこに低利の資金を貸し出すかたちでの復興計画であったわけだが、近年の東日本大地震からの復興と比べても革新的なやり方であったと思うところで、その復興のモデル集落であった岩手県大槌村吉里吉里集落は、後に井上ひさしによって吉里吉里の人々が中央からの独立運動を起こす物語『吉里吉里人』のモデルでもあった。昭和三陸津波があったのは1933年3月3日、宮沢賢治が亡くなったのは同年9月21日、宮沢賢治は亡くなる直前に「産業組合青年部」の詩を『北方詩人』に発表したわけだが、その心は何であったのか。

また、宇野弘蔵も昭和三陸津波の地震を体験している。当時、宇野弘蔵は中央での資本主義論争には距離をおいて、「資本主義の成立と農村分解の過程」を書く過程にあったわけだが、宇野弘蔵は『資本論五十年』(法政大学出版会1970)に、以下のように述べている。

「(山田義太郎君との)『資本論』に対する理解・・考え方の違いを述べてみたいという意味で『農村分解・・』になったわけです。しかもこの揚合にはマルクス自身がぼくの『農村分解』のようには考えていないかも知れない。後進国の問題をどうも明確にしていない。これは何とかしてマルクスを理解しようと考えていた当時のぼくには非常に大問題だったわけです。だからなかなかそれをはっきりそういえない。マルクスと違ってもいいじゃないかというふうにまだいっていないので、あれでも非常に忠実にマルクスによりながら、それでもなにか進うのじゃないかということがいいたかったわけです。ほとんどマルクスによりながら違うことを書いているのです。これはこの前話した〈価値形態論〉のときと同じだった。なにか労働価値説はこれではいかんのじゃないかという予感はあるのです。〈価値形態論〉をやりながら、マルクスの労働価値説の論証によっていてはいかんのじゃないかと思いながら、しかしマルクスを批評するということはとても自分にはできない、足らないのではないかという感じが非常に強かった。これはあとがら考えると、どうも自分の関係していない実践運動に対するコソプレ。クスだったのではないかとも思うんだが、それだけでなしに、やはり『資本論』を本当に自分で自分のものにして、それから訂正すべき点は訂正する、そこまでなかなかいかなかったのだ。わからないところが非常に残っていたのだと思う」と。

宇野弘蔵は、実践へのコンプレックスがあったために、マルクスとの違いを断言できなかったというわけだが、この後1936年に『経済政策論・上』、1947年に『価値論』、「労働力なる商品の特殊性について」、『経済原論』を書いて、やがて「原理論-段階論-現状分析」の宇野三段階論となり、宇野弘蔵もマルクスとはちがうものになったと確信したところであろう。そして、経済学は現状分析を課題にして、宇野弘蔵は「労働力の商品化」について「南無阿弥陀仏」の言葉を残して、1977年に亡くなられた。宇野弘蔵の「南無阿弥陀仏」について、青木孝平氏はそれを「資本主義のもつ物神的イデオロギーから片時も逃れられない人間(自己)の宿業」と言われるわけだが、それと気になるのは宇野弘蔵の「実践運動に対するコンプレックス」はどうなったのかということがあるが、宇野理論は完成しても、おそらくコンプレックスは残っていただろうと思われるから、宇野理論の課題は現状分析と実践として残されており、そこに「労働力の商品化」の問題を解く鍵もあると思うところである。

1990年代以降、ソ連型社会主義の崩壊と新自由主義の跋扈に合わせて、それまでの社会主義者たちが、前述したように「協同組合やアソシエーションや社会的経済」を語り出したのは、唯物史観と階級闘争論が破綻して、それに基づく政治的実践も破綻したからであろう。1980年代に大内秀明氏を代表とした宇野派の学者クループによってまとめられた日本社会党の「新宣言」は、唯物史観と階級闘争論と連型社会主義を否定して、参加や中間組織を重視した社会民主主義の新路線であったわけだが、当時、共産党や新左翼からは「右転落」として批判された。しかし、やがてその批判者たちも社会主義崩壊の後は、社会民主主義や協同社会とか非営利協同とか社会的連帯経済を言い出すわけだが、社会的連帯経済の内容などは、社会党の「新宣言」にある「中間組織」と似たようなものなのに、横滑りするだけでかつての自らを省みることがない。

私は1970年代から社会党の活動をしていたから、2004年から作並に通い出すと、そこでは「新宣言」のことも度々話題になり、我田引水に語れば、それは「新宣言」のつづきの話としての「脱労働力の商品化によるコミュニティの形成」という話になり、さらに前述したように3.11東日本大震災の後に大内秀明氏とその仲間たちによる「仙台・羅須地人協会」の立ち上げと「自然アネルギーによる地域循環型社会」の構想になり、大内秀明氏はフィールドワークと実践をともなう宇野経済学の真打的な現状分析に取り組まれだしたのである。前述したように、それは「社会的連帯経済」と似ているようで、同じでない。それらがさまざまな協同組合や非営利企業やコミュニティビジネスやNPOなどで構成するネットワークか地域コミュニティであるところは似ているけど、その要諦に「脱労働力商品化」があるかないかで決定的にちがうのである。例えば「社会的連帯経済」を語る人の協同組合理解は、ほとんどが「協同組合は共同所有だから非営利で正しい」みたいな所有論的理解である。しかし、ベンサムの功利主義そのものの協同組合をいくら組み合わせても、青木孝平氏が言われるように、資本主義の全体性に同化されるだけである。

そして、このことの要諦は何かとなれば、最初に紹介した青機孝平氏の「コミュニタリズムと経済学批判~マッキンタイアあるいは宇野弘蔵の社会哲学~」に、「宇野の薫陶を受けた理論家の中から、類似の共同体構想が次々と登場しているのも事実であります。・・・これらの諸研究は、出発点となる宇野弘蔵自身に、根源的な共同体志向があったことを裏付けているのではないかと思います」とあるように、おそらくそれは「共同体とは何か」、「資本主義の次に来るものは何か」ということになるであろう。要は、宇野弘蔵が「労働力の商品化」について「南無阿弥陀仏」の言葉を残したのは、まだ「語りえぬ共同体への道」であり、それは現れるまで見ることも考えることも出来ない向こう側から現れるもので、そこにつながるだろうと信じる実戦としての現状分析の課題であったと私には思われる。だからこそ「南無阿弥陀仏」なのである。

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