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2017年5月10日 (水)

主体の消失と復活―M.ブランショ 宮沢賢治 共同体―

5月13日のポスト資本主義研究会でのコメントノレジメを書いている。私は話べたですぐに上がって話がつづかなくなるから、上がったら読めばいいように話すことを書いていたら長くなってしまった。全7章になる予定で、書けたものからアップする。最初の2章は以下で、3章以降が今回GWに書いたものです。ここに載せておけば、パソコンが壊れても残るから、いわばバックアップのつもりでもあります。

第1章は、2013年12月 9日のブログ、「宇野弘蔵の〈南無阿弥陀仏〉」
http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2013/12/post-36ad.html
第2章は、2016年9月21日のブログ、「コミュニティの形成は可能か、青木孝平『「他者」の倫理学』を読む」
http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2016/09/index.html

3.主体の消失と復活――M.ブランショ 宮沢賢治 共同体――

※上記のブログに対して、青木孝平氏から、「《労働力商品化の止揚》という表現は、もうそろそろ再考された方がよいのではないかと思います。《止揚》は、あまりにヘーゲル的弁証法の発想が色濃くしみついており、社会主義の自然必然性を想起させるものではないでしょうか?」というコメントをいただき、私はまたコメントを書いたのだが、その後『コミュニタリアン・マルクス』を読んだら、私のコメントが的外れであったと気づいたので、今回その部分ははしょりますが、それにしても私はレヴィナスを読んだことはないし、どうするかなと思っていたら、4月29日に松田社長から「青木孝平氏の発言の要旨」が送られて来て、そこに「たとえばフッサールの現象学は、世界の一切を自我の内部に超越論的に還元することを志向したが、これを否定したレヴィナスは、自我の全体性の外部に顕現する《他者》にこそ倫理の根拠を見出した」の一文があり、これを読んだ時に、むかし少し読んだモーリス・ブランショの文学空間論を思い出して、レヴィナスのいう「他者」を「文学空間」に、「倫理」を「文学」に置き換えれば、レヴィナスはブランショに通底しているのではないかと思い、試しにパソコンで「レヴィナスとブランショ」を検索してみると、上田一彦『レヴィナスとブランショ』(水声社2005)という書名の本もあるし、レイヴィナス著の『モーリ・ブランショ』(国文社1992)という本まであった。さっそく取り寄せて読むと、レヴィナスとブランショはストラスブール大学で出会って以来70年間の親友で、翻訳者の内田樹氏も「私たちはレヴィナスを論じる際に、しばしばブランショを引く」と書かれていたので、私もそうするというか、上記のブログの最後に、私が「宮沢賢治の文学作品が〈他力的文学空間〉において成立したとして、その行為は彼の〈自力〉と一体であった。果たして〈脱労働力商品化によるコミュニティの形成〉は可能か?」と書いたのは、昨年2月に大内秀明氏から「貴兄の組合論、賢治の《産業組合》にひっかけた論稿を・・くれぐれも宜しく」とのメールをいただき、大内秀明氏と「宮沢賢治と産業組合」を共通のテーマにして取りかかったところで、私としては宮沢賢治を論じるには『宮沢賢治の彼方へ』(思潮社1968)に代表される天沢退二郎氏の論考とモーリス・ブランショの『文学空間』(現代思潮社1962)を避けては通れないだろうと思っていたからであった。

ブランショの『文学空間』には、こうある。
「書くとは、幻惑におびやかされる孤独の断言のうちに入り込むことだ。永遠の繰返しが君臨する、時間の不在の冒険に、身を委ねることだ。これは、「私は」から「彼は」へ移行することだ、だから、私に起ることが、誰にも起らず、それが私に関わるという事実によって誰の名も附されぬものであり、限りない散乱状態のなかで繰返されるのだ。書くとは、幻惑にとらえられつつ、雪隠を排列することだ。また、言語を通して、言語のうちにあって、あの絶対的な場と触れあっていることだ、そこでぱ、事物は、再びイマージュとなり、またそこでは、ある形態への暗示であったイマージュが、何の形態も持たぬものへの暗示となる。また、不在の上に描かれた形だったのが、この不在の何の形も持たぬ現存となる、もはや世界が存在せず未だ世界が存在せぬ時に存在するものへと通ずる透明で空虚な開示となるのだ」と。

そして天沢退二郎氏は、ブランショと宮沢賢治をこうつないでいる。
「作者の顔立ちとか風采とか来歴とかがさまざまな情況下に流布されて――そうした情況は偶発的なものではないがおそらくはすでにいささか時代錯誤的だ――どれほどじかに照明をあてられているにせよ、一見したところ著者への考慮が非常に大きな役割を果しているごとく思われるあらゆる読書も、作品を作品自体に、その無記名の現存に、作品が存在するという荒々しい非人称的な断言に返してやるために、著者への考慮を廃棄するひとつの問責行為なのである」(『文学空間』)というブランショの指摘は、宮沢賢治の場合を考察する際のために云われたかと錯覚するほどに示唆的かつ基本的なものである」(『宮沢賢治の彼方へ』)。
「まさに書いていたときの宮沢賢治の孤独は、たんに当時の詩壇や文壇からの孤立に存したのではない。また、ほぼ同じ時期に賢治の文学と深部で照応しあうはずの試行をすすめていたフランツ・カフカやアンドレ・ブルトンの営為からの殆ど絶対的な孤絶に存したのでもない。それらの事情をはるかな背景としながら、賢治における〈書くこと〉のプライヴェートな射程が、ついにひとりの真の標的・真の読者の影もないまま終始した――まさにそのことの意識の中でかれの詩作品・詩作行為が進行した徹底的な事情にこそ、宮澤賢治の孤独が存するのである」。(『《宮沢賢治》論』筑摩書房1976)と。

また天沢退二郎氏は、作品行為のもつに時間構造と歴史的時間との混同をこう戒めている。
「宮澤賢治の作品とは何か・・この問いは、賢治に限らず、およそ文学とは、作品とは何かという、普遍的問題にも通じている」。「作品は存在する。だが存在するとは・・時間の中を生と死をくりかえして変身・転生しながら、それ自らの時間をつくり出し、それなりに変わっていくのである」。「留意すべきは クロノロジーの一つのアスペクトである。賢治の作品行為の″順序″は、一方で1920年代から1930年代にかけての歴史的時間の流れの中を継起した。しかし他方で、それらの作品行為はそれ自体のうごきのうちに時間構造をもち、生死し転生し、それぞれに連通するもうひとつの内的クロノロジーをあみ出したからである。およそ文学を論じ文学作品を論じ、あるいはその作家の思想を論じる場合、この二系列のクロノロジーをむやみに混同してはならず、むやみに一方をネグレクトしてはならないことを思い返したいのである」。「伝記上の事実と作中世界の出来ごととはすでに峻別されねばならない」。「実生活上の事件や体験と作品行為とは、ぬきさしならぬ深い関係をもちながらも、本質的にはきびしく峻別されるべきである」(『《宮沢賢治》論』)と。

宮沢賢治は、多くの根強い読者をもつわけであるが、読者が宮沢賢治に惹かれる主な傾向は二つで、ひとつは詩や童話の作品そのものに惹かれる天沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』に代表される作品行為論的読み方と、もうひとつは「イーハトーヴォ」や「羅須地人協会」や「雨ニモ負ケズ」に代表される宮沢賢治の理想や生き方に共鳴するところから入る読み方である。前述したように、大内秀明氏と私は「宮沢賢治の羅須地人協会とは宮沢賢治龍の産業組合であり、理想郷イーハトーヴォにつながる共同体の構想」であろうと見立てるわけで、それは上記の二つの見方からすれば、宮沢賢治の思想や生き方に共感した読み方になるのであるが、作品行為論的観点からすれば、そういった見立てそのものが宮沢賢治の作品からの逸脱となる。さらに、前述したように、近代文学は自我の成立と内面の対象化によって成立し、それは近代国家の成立と一体であるとするなら、宮澤賢治本人はどうあれ、宮沢賢治の思想への主体的な共鳴による共同体へのアプローチというのでは、近代を超えられないのではあるまいか、となるのかもしれない。

レヴィナスの『モーリス・ブランショ』の訳者である内田樹氏は、「レヴィナスとブランショの分岐は〈倫理〉が問題になるときに始まる」とする一方、「しかし、それにもかかわらずブランショがある種の倫理によってみずからを律していることに間違いはない。・・・それは・・〈六八年五月〉への真摯なかかわり方のうちにも見て取ることができるだろう」。「ブランショのうちには明らかにレヴィナスが言う意味での無私性に動機づけられた倫理が見て取れる。」と書いている。自らの文学理論に作品以外の痕跡を残さないブランショではあったが、若い頃から政治活動に参加し、1968年のパリの五月革命では「学生‐作家行動委員会」の主要メンバーとして参加し、1983年に『明かしえぬ共同体』(ちくま学芸文庫1997)という本を書いて、そこに以下のように書いている。

「六八年五月は、容認されたあるいは期待された社会的諸形態を根底から揺るがせる祝祭のように、不意に訪れた幸福な出会いの中で、爆発的なコミュニケーションが、言いかえれば各人に階級や年齢、性や文化の相違をこえて、初対面の人と彼らがまさしく見なれた‐未知の人であるがゆえにすでに仲のいい友人のようにして付き合うことができるような、そんな開域が、企ても謀議もなしに発現しうるのだということをはっきりと示して見せた。・・・〈企てなしに〉というこの点に、存続すべくも定着すべくも運命づけられてはいない捉えようのない比類ないある社会形態の、覚つかなくもあるが幸運にめぐまれた特徴があったのである。・・・権力を奪取してそれをもうひとつの権力に置き換えることや、・・また古い世界を転覆することがねらいだったのでもなく、各人を昂揚させ決起させることばの自由によって、友愛の中ですべての者に平等の権利を取り戻させ、あらゆる功利的関心の埓外で共に在ることの可能性をおのずから表出させることこそが重要だったのである。・・・権威は覆され、あるいはほとんど無視され、いかなるイデオロギーもそれを取り込んだり自分のものだと主張したりすることのできない、未だ嘗て生きられたことのなかった共産主義の一形態がここに出現したのだと、人びとは感じることができたのだ。しかめつらしい改革の試みなど存在せず、あるのはただ無辜の現前だけだった」と。

『明かしえぬ共同体』の翻訳者でレヴィナスを訪ねたある西谷修氏は、『明かしえぬ共同体』についてレヴィナスは「すばらしい本だとブランショに一言書き送った」と述べたと書いている。

蛇足だが、一昨年にSEALsが話題になって、それは明治学院、日芸、上智、ICUといった女性の多い大学から始まって広がり、奥田愛基氏が明治学院の学生であると知った時に、私はなんとなくSEALsのバックボーンが分るような気がした。明治学院は偏差値のあまり高くない大学で、私はそこの文学部を中退したわけだけど、当時から天沢退二郎や入沢康夫といったブランショ系の仏文学者がいて、ブランショの『明かしえぬ共同体』(ちくま学芸文庫1997)の翻訳者の西谷修氏もそうであった。西谷修氏や現在もそこで教える高橋源一郎氏は、「公的な共同体の理想の形は、組織ではなく、一時的な共同体だ。市民が自発的に突然集まり、集会をし、目的が達成されれば解散する。突然、公的な声が可視化され、そして消える」みたいなことをはSEALsの学生たちにサジェスチョンしたのではあるまいか。さらに蛇足だが、東大の大学院を卒業して1960年に明治学院大学の専任講師になった大内秀明氏は女子学生と国会デモに参加し、60年代末の全共闘運動の最中に教え子と結婚した天沢退二郎氏は、ヘルメット姿で結婚式を挙げたという。

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