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2016年12月16日 (金)

β版の人生

バイク事故から2週間、安静にして寝ているだけの日々、病院行き以外の外出はなく、やりかけの仕事少しとSNSの読み書きと本読みの日々、楽しみは食事だけでまた太ってしまった。本読みは、エドガー・スノー『アジアの戦争』(筑摩書房1973)、速水健朗『東京β』(筑摩書房2016)、山本一力『大川わたり』(祥伝社文庫2005)を読了、それに天沢退二郎編『宮沢賢治万華鏡』(新潮文庫)をぺらぺらと再読している。

『アジアの戦争』は1937年に始まった日中戦争のルポルタージュで、1941年の日米開戦の前頃までのことが書いてある。エドガー・スノーはアメリカ人ジャーナリストで、満州事変のことを書いた『極東戦線』を以前に読んだ。『アジアの戦争』はそのつづきを書いた本で、そこに描かれているのは、安倍政権やネトウヨの類ががなかったことにしたくても否定できない日本による中国侵略の史実なのだが、今回の私の読みどころは中国の「生産合作社」についてであった。生産合作社というのは生産協同組合のことで、日中戦争期から建国期にかけて、中国では生産合作社が盛んであった。これは、戦前の中国工業の中心地であった上海から揚子江沿岸の都市を日本が占領し、工場を略奪、破壊してしまったために、奥地に逃れた人々は小規模な機械で生産協同組合をつくって生産を支え、それは中国各地に広がったという話である。エドガー・スノーは毛沢東に会見して、その印象をこう書いている。「頭髪は短く剪っていたし、いつものような一般兵士の制服を着ていた。そして依然として素朴な平凡人であり、貧民とインテリとの奇妙な混合、偉大な政治的賢明さと世俗的常識との異状な結合を示していた。その革命に対する楽天主義はゆるがぬままであった」と。政治権力をとる前の毛沢東には空想的社会主義者の面影があり、毛沢東は魯迅の弟で日本で武者小路実篤の「新しき村」を訪れた周作人からそういった話を聴いて共感したというから、そのことは中国革命の後に権力を取った毛沢東が、文化大革命と人民公社というコミューンもどきを始めたことにも影響しているかもしれない。しかし、権力的なコミューンづくりと小生産による「大躍進」は結局は権力闘争の手段にしかならず、その後の中国は国家資本主義的な社会主義市場経済と称するものになってしまったわけだが、やがては行きづまるであろうその路線から再び社会主義を構想するなら、再度生産合作社による革命の原点に立ち返るべきであろうと思うわけである。小型協同組合を作ってそのネットワークによるコミュニティをもって市場経済とは別の道を行こうとする運動は、現在世界各地に立ち上がっている。そのポイントは、資本主義(=労働力の商品化)とは別の道を行くことにあるだろう。

速水健朗『東京β』は、バイク事故の二日前に図書館から借りた本、私の住む湾岸エリアから書き出された「更新され続ける都市の物語」。ベイエリアの開発物語は1958年にできた公団晴海団地から始まり、次に1983年の森田芳光監督の映画『家族ゲーム』の舞台となった「東京都住宅供給公社東雲都橋住宅」が出てきて、この住宅は私の住む住宅で当時も住んでいたわけだが、松田優作がそこでロケをしていたのは知らなかった。次に1986年に放送された鎌田敏夫脚本のテレビドラマ『男女7人の夏物語』の話になって、この物語は同じ鎌田敏夫脚本で「ろくな就職活動もせず、大学卒業後もアルバイトをしながら気ままにいきている」主人公を中村雅俊が演じた『俺たちの旅』のその後を描いたものであるとする。ヒッピーからヤッピーになった『男女7人の夏物語』の主人公は、清洲橋西側のマンションに住んでいるわけだが、ヤッピーにならなかった私はもっとはずれの臨海部である東雲の公社住宅に住んで、相変わらずのヒッピーふうのままに、この先オリンピックでさらに変わっていくだろうベイエリアを見ながら老いていくのだろうと思われた。「東京β」のβとは、パソコンソフトのβ版と同じ意味とのこと、私は永遠のβ版の人生といったところだろうか・

山本一力『大川わたり』は、大川(=隅田川)沿いの西と東、江戸の下町とりわけ深川を舞台とする渡るに渡れぬ永代橋、「男の矜持と人情」を描いた物語。『アジアの戦争』は10日以上、『東京β』は3日かけたけど、『大川わたり』は一昨晩一晩で読んだ。3,4日前に病院に行った時に、医者から「今がヤマかな」といわれたけど、昨日で事故から2週間経って傷も痛みも峠をこえたといったところか。昨日の医者も「入院はしなくて済みそう」と言うので、昨晩はうれしくなって一杯やりたくなり、旧い友人の健三君からは「俺もサッカーで骨折したけど、骨折の痛みがひいたら酒飲んじゃえよ、そのうちくっつくから、我慢なんか体に悪いよ」と励ましのメールをいただいたから、久しぶりの晩酌をして、山本一力の「男の矜持と人情」話を読んだ後の熱燗はことのほか旨かったのであったが、夜中に気がつけば、骨の痛みはまだ消えていないのであった。

12月からはいよいよ『定本・宮沢賢治全集』(筑摩書房1973)にとりかかる予定であったわけだが、本が重たくて肋骨4本骨折の身には寝ては読めず、代わりに新潮文庫の天沢退二郎編『宮沢賢治万華鏡』をぺらぺらしている。宮沢賢治は、よく知られた童話と詩以外に散文や小説も書いているし、絵も描き作曲もしたし、書簡やメモもたくさん残しているわけだが、これらもよく知られた童話と詩なみにおもしろい。どの作品も「未完成の完成」そのもので、メモされた言葉やプロットは様々に転移されている。『農民芸術概論綱要』を読み直していたら、そこにある『つめくさの灯ともす宵のひろば たがいのラルゴをうたいかわし 雲をもどよもし夜風にわすれて とりいれまぢかに歳よ熟れぬ』という詩は、『ポラーノの広場の歌』の最後で歌われる『つめくさの灯ともす夜のひろば むかしのラルゴをうたいかわし 雲をもどよもし夜風にわすれて とりいれまぢかに年ようれぬ』とほぼ同じであることに気づいた。『農民芸術概論綱要』は、「羅須地人協会」の立ち上げを前に講義された講義録であるわけだけど、その思いは『ポラーノの広場の歌』のテーマの若い仲間による「産業組合」づくりにつながっている。この辺りのことは、いま私がDTPしている『変革のアソシエ』27号に大内秀明氏が『宮沢賢治と産業組合」という小論に書いており、大内先生も私も宮沢賢治の「羅須地人協会」は賢治流の産業組合構想であったと見立てるわけだが、『アジアの戦争』に書かれた中国の生産合作社も、それを推進する中国工業合作社が設立されたのは1938年であるから、まさに晩年の宮澤賢治と時代的にクロスしているわけである。

今日は病院に行かないから、痛みも和らいできたから、この間に読んだ本のことを少し書いた。『変革のアソシエ』27号のレイアウト作業は昨日に終わり、著者校正に入った。来週初めにはそれが返ってきて、校正作業がすめば校了となるわけだけど、さてどうなるか。こんな暮れもあるものなのか、折れた骨は時間が経てばつながるというから、早く今年が終わることを願うばかりである。

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コメント

長い文章から推して、だいぶ元気になられたなとホッとしています。どうぞ十分養生なさって、ご快癒なさるよう、待っています。

投稿: 夫馬基彦 | 2016年12月17日 (土) 09時08分

ありがとうございます。バイクはかみさんから今後絶対ダメとのことで、乗れなくなりそうです。
実は、多岐祐介君こと飯田常雄君も先月の19日頃に日大病院に緊急入院しました。彼は怪我ではなくて、心筋梗塞であったそうで、12月に入って退院したようです。彼は独り身ですが、教え子筋がサポートしているようです。我々が見舞いに行くと嫌がられますので、彼の人柄がわかります。この歳になると、あれこれあります。これほど春が待ち遠しい冬はありません。
夫馬さまにおかれましても、くれぐれもご自愛を願います。

投稿: | 2016年12月17日 (土) 13時14分

多岐君が先月入院とのこと、全く知りませんでした。さっきお歳暮を送ってくれたところですが、何の文面もありません。まさに彼の人柄でしょう。これから久々に電話してみます。

投稿: 夫馬基彦 | 2016年12月18日 (日) 09時32分

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