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2016年12月17日 (土)

産業組合青年会

11月11日 のブログ「さて、何を書くか?」に、私は宮沢賢治論について「私的には論の主要な傾向は二つで、ひとつは天沢退二郎の『宮沢賢治の彼方へ』に代表される作品行為論的読み方と、もうひとつは〈羅須地人協会〉に代表される宮沢賢治の思想や生き方に共鳴するところから入る読み方である」と書いたわけだが、昨日のブログにつづけて以下のことを思いついたからメモするところ。

天沢退二郎氏は、宮沢賢治の作品行為は「ほぼ同じ時期に賢治の文学と深部で照応しあうはずの試行をすすめていたフランツ・カフカやアンドレ・ブルトンの営為」に通底していたとするわけだが、同様に私は、宮沢賢治の思想的営為は同時代のギルド社会主義や産業組合(協同組合)思想にも通底していたと思うとわけある。これは『春と修羅』第一集で極められた賢治の詩的営為が、その後「羅須地人協会」から農民への捨て身の献身を経て「雨ニモ負ケズ」の無惨なメモ書きにまで零落してしまったと言うよりは、そういうものとしての宮沢賢治の短くも永遠につながる「未完の完」の人生があったのではないかと私には思われ、宮沢賢治の文学カフカやブルトンに通底していただけであるよりは、その何倍も素晴らしいことなのではないかと思うわけである。

宮沢賢治は1924年に書いた「産業組合青年会」の詩を、死の直前1933年9月に『北方詩人』(福島県須賀川市の北方詩人会)に発表するために送っている。「産業組合青年会」は、以下のとおり。

 祀られざるも神には神の身土があると
 あざけるやうなうつろな声で
 さう云ったのはいったい誰だ 席をわたったそれは誰だ
   ……雪をはらんだつめたい雨が
     闇をぴしぴし縫っている……
 まことの道は
 誰が云ったの行ったの
さういう風のものでない
祭祀の有無を是非するならば
卑賤の神のその名にさへもふさはぬと
応へたものはいったい何だ いきまき応へたそれは何だ
  ……ときどき遠いわだちの跡で
    水がかすかにひかるのは
    東の畳む夜中の雲の
    わづかに青い燐光による……
 部落部落の小組合が
 ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒ち
 村ごとのまたその聯合の大きなものが
 山地の肩をひととこ砕いて
 石灰岩末の幾千車かを
 酸えた野原にそそいだり
 ゴムから靴を鋳たりもしよう
   ……くろく沈んだ並木のはてで
     見えるともない遠くの町が
     ぼんやり赤い火照りをあげる……
 しかもこれら熱誠有為な村々の処士会同の夜半
 祀られざるも神には神の身土があると
 老いて呟くそれは誰だ

この詩は、前半分と後半分とで作品行為と思想的営為が交差している。最初から4、5行めの「雪をはらんだつめたい雨が 闇をぴしぴし縫っている」のフレーズと、最後から4、5行めの「見えるともない遠くの町が ぼんやり赤い火照りをあげる」とを対比させてみると、かつての詩人の顔とフレーズと、「産業組合青年会」を見守ろうとする農民思想家の顔が浮かび、ひとつの詩の中で無理なく転移しているように思えるわけである。

大内秀明氏は、『変革のアソシエ』27号に書いた小論「宮沢賢治と産業組合」の中で、死の間際に送られた「産業組合青年会」の詩は、賢治の遺書であったと書く。私もそう位置づけてもさしつかえなく思うし、「産業組合青年会」の志を受け継ぐことから「新しい協同組合の構想」、「新しい地域社会の構想」を始めようと思うところです。よろしくです。

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