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2016年2月29日 (月)

「文学とは何か」&「文学と革命」

小説を書くための十四行の小論
「文学とは何か」&「文学と革命」

1.文学とは何か

いよいよ小説など書いてみるかと、どんな小説にしたものかあれこれ思うに、とりあえずは何を書くかと「小説を書くための小論」から書いてみようと、そうだ柄谷行人の文芸評論あたりに何かねたでもないものかと、そう思いついたのは早朝の布団の中で、老いて早くなった目覚めの早朝、まだ外は暗いからともうひと寝入りしようとするも眠りに入れず、トイレに起きて朝刊を読み出すと漱石の『門』にそえた柄谷行人の文章を目にした時で、それは今しがた見た夢のシーンに重なりかけながら夢のシーンが何だったのかは立ち消え、柄谷行人を読んでみようと思いついたわけであった。

起き出すとパソコンを立ち上げて柄谷行人を検索し、アマゾンで『日本近代文学の起源』(岩波現代文庫)と『近代文学の終わり』(インスクリプト)の二冊を中古本を見つけて購入をクリック、なんと二冊とも夕方には届いてしまい、これでドローンによる配送など始まれば、出版不況が言われて久しく、本は売れず雑誌は廃刊、取次ぎや書店がどんどんつぶれるばかりでなく、本を取り寄せるにしろ、やがては宅配便の運転手さえいらなくなってしまうのであろうか、ベランダに本を載せたドローンが舞い降りるシーンが夢の中に、朝早く目覚めるや届けられた柄谷行人を読んでいるのであった。

柄谷行人によれば、近代文学の誕生は内面を対象化して三人称客観という視点を確立したところに成立し、それは言文一致によって可能になり、さらに言文一致による近代小説の成立は「想像の共同体としてのネーションの基盤になり」、近代国家(ネーション=ステート)を成立させたということで、「現在、世界中のネーション=ステートは、資本主義的なグローバリゼーションによって文化的に侵食され」、「グローバルな資本主義経済が、旧来の伝統志向と内部志向を根こそぎ一掃し」、「今日の状況において、文学(小説)がかつてもっていたような役割を果たすことはありえない」とされる。

「ただ、近代文学が終わっても、われわれを動かしている資本主義と国家の運動は終わらない。それはあらゆる人間的環境を破壊してでも続くでしょう。われわれはその中で対抗していく必要がある。しかし、その点にかんしては、私はもう文学には何も期待していません」として、柄谷行人は近代文学の終わりを告げ、それ以降文芸評論をしなくなるわけだが、一方「近代小説から逸脱して遅れてゆがんだもの」とされた私小説については、近代文学の「三人称=幾何学的遠近法は虚偽ではないかといえば、そのとおりで」、「私小説は《リアリズム》を徹底しようとしたものだ」として否定しない。

もうひとつ、柄谷行人は「近代文学の終わり」をサルトルをもって語り始めており、それはサルトルが『文学とは何か』に書いた「文学とは、一言でいえば、永久革命の中にある社会の主体性(主観性)である」を引用して、文学は「虚構であるが、通常の認識を越えた認識を示す」、「サルトルの言葉は、カント以降に、文学(芸術)がおかれた立場を示しているのです」とし、『嘔吐』はそもそも最初のアンチ・ロマンであり、一九六〇年代に登場したエクリチュールという概念は、「サルトルが《文学》として述べたことを、エクリチュールという概念に置き換えたものだと思います」としている。

ネーション=ステートが、資本主義的なグローバリゼーションによって文化的に侵食されて近代文学は終わるとしても、資本主義と国家へのアゲインストとしてのサルトル的抵抗の再構築は可能だし、また、ブランショが『明かしえぬ共同体』で、「六八年五月は、容認されたあるいは期待された社会的諸形態を根底から揺るがせる祝祭のように・・爆発的なコミュニケーションが・・企ても謀議もなしに発現しうるのだということをはっきりと示して見せた」と語った先に、新たな運動とコミュニティを創出させうれば、エクリチュールもまた、新たな文学としてなしうるのではあるまいか。

年末のことであったか、晩酌をしていると外からボンボンと花火の音が聞え、外に出てみるとお台場辺りに花火が上がっており、暖冬のせでもあるまいが、冬の花火は季語にもしゃれにもならず、花火といえば「午飯の箸を取ろうとした時ポンとどこかで花火の音がした」で始まる永井荷風の『花火』だが、太宰治に『冬の花』という戯曲があってその最後は「冬の花火さ。私のあこがれの桃源郷も、いぢらしいやうな決心も、みんなばかばかしい冬の花火だ」で終わっており、片や大逆事件後もう片や敗戦直後の心象で、グローバル化の中でもこの心象が生起される限り、文学はなお可能であろう。

2.文学と革命

私が始めて柄谷行人を読んだのは、2006年4月に出た『世界共和国』(岩波新書)で、同年8月に私は「リカード派社会主義と宇野理論」というブログを書いて、仙台の大内秀明氏とのやりとりが始まった頃のことであり、その後、私は『マルクス その可能性の中心』(1990)、『トランスクリティーク』(2010)、『世界史の構造』(2010)、『帝国の構造』(2014)、『遊動論』(2014)と柄谷行人氏の本を読んだのだが、最初の引っかかりはて柄谷行人の語るマルクスの価値形態論にあったわけで、柄谷行人は東大の経済学部で鈴木鴻一郎から宇野経済学を学び、安保ブンドに参加していたという。

柄谷行人は、『定本・日本近代文学の起源』にそのモチーフを「明治二十年代の近代文学は、自由民権の闘争を継続するよりはそれを軽蔑し、闘争を内面的な過激性にすりかえることによって、事実上、当時の政治体制を肯定したのである。一九七〇年代にはそれが違った文脈で反復されていた。私が《起源》に遡って批判し上うとしたのは、このような《文学》、このような《内面》、このような《近代》であった」と書くわけだが、その後文芸評論を止めて哲学的な探求に入り、やがて「近代文学の終わり」を告げて、唯物史観に代わるアソシエーション運動の原理論を語るようになった。

『トランスクリティーク』とは「移動と視差による批評」という意味らしく、副題に「カントとマルクス」とあるように、柄谷行人はカントの超越論哲学からマルクスを読み直し、「資本=ネーション=ステートの揚棄への道筋」を構想し、「僕は、消費協同組合と生産協同組合を組織していくことのみが、資本主義の存立基盤を崩す唯一の方法であり、しかも、それを資本も国家も阻止できないのだと考えています」と結論してNAMを始めたようであるが、NAMは短期間に失敗してしまうも、「消費協同組合と生産協同組合を組織していくこと」は、現在もそれに期待しているようである。

私が『トランスクリティーク』ほか難解な柄谷行人氏の本を読み、「消費協同組合と生産協同組合」という結論にはちょっと拍子抜けしたのは、私は長年それを職業と運動にしてきたからであり、そしてもうひとつ、柄谷行人氏は生産協同組合については福本和夫からインスパイアされたようで、福本和夫の生産協同組合の背景には宇野弘蔵への対抗意識があり、それは福本和夫の生産協同組合論は協同組合の所有論的な把握でで、それに対して私は生産協同組合は宇野経済学の労働力商品論的な把握が必要だと思うわけで、この辺りのことは大内秀明氏との共著『土着社会主義の水脈を求めて』に書いた。

また、柄谷行人氏は「生産過程から流通過程へという理論的な転倒は大事だと思う」と言うわけだが、流通過程に重きを置いて消費者運動なり、消費生協の拡大をつづけていけば、いつか資本が追いつめられてアソシエーションにいたるかと言えば、それはむかし社会主義協会がとなえていた「長期抵抗路線」みたいなものであって、それではいつまでたってもそうはならないだろうというのが私の感想であり、「理論的な転倒」のためには、やはり生産過程をベースにした労働運動による「労働力商品化の止揚」による生産協同組合を核にしたアソシエーションの形成が不可欠であると考えるわけである。

一月に仙台で大内秀明氏が代表をつとめる「仙台・羅須地人協会」が主催の宮沢賢治誕生120年「賢治農民芸術祭」があって出かけると、大内秀明氏は『ポラーノの広場』の朗読劇で山猫博士のパートを熱読、「それから3年の後には、とうとうファゼーロたちは立派な一つの産業組合をつくり・・」と読み上げ、「宮沢賢治の立ち上げた羅須地人協会は産業組合運動につながるものであった」と講演し、私は「協会の冊子に「賀川豊彦と宮沢賢治と産業組合」という一文を書いてくれないか」と頼まれたので、二月は冬ごもりして小説でもと考えていたのが、また論を構想することになったわけ。

柄谷行人氏が言うように「共産党の権威」がなくなれば、「政治と文学」という問題は過去のものでしかないわけだが、柄谷行人氏が言うように「資本主義と国家」がなくならない限り「文学と革命」はなくならないから、残り少ない人生、たとえ終わったと言われても書きたいのは文学、やらねばならないのは資本主義と国家に対抗する運動づくり、これが私の「文学と革命」であると、同人誌の例会予定日に重なった関西生コン支部の出版記念シンポジウム「今こそ、当たり前の労働運動へ」に出かけると、延期になった例会むけに「小説を書くための十四行の小論」を書いたのであった。

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2016年2月14日 (日)

私の「文学と革命」

Photo2月は冬ごもりで読書の季節、柄谷行人『近代文学の終わり』(インスクリプト2005)にひきつづき同『定本・日本近代文学の起源』(岩波現代文庫2008)を本日やっと読了。少し近代文学を見直そうと思ったところで、かなり本格的な論に出会った。私が始めて柄谷行人氏を読んだのは、2006年4月に出た『世界共和国』(岩波新書)で、同年8月12日に私は「リカード派社会主義と宇野理論」というブログ※を書いて、大内秀明氏とのやりとりが始まった頃のことであった。
http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2006/08/post_eef1.html#comments

 その後、私は『マルクス その可能性の中心』(講談社学術文庫1990)、『トランスクリティーク』(岩波現代文庫2010)、『世界史の構造』(岩波書店2010)、『帝国の構造』(青土者2014)、『遊動論』(文春新書2014)と柄谷行人氏の本を読んだわけだが、最初の引っかかりは『マルクス その可能性の中心』や『世界共和国』に書かれているマルクスの価値形態論にあった。10年前の私と大内秀明氏とのブログでのやりとりも、大内秀明氏が私に労働価値説ではなくて価値形態論を諭すように始まっていたからであった。

 当初、私は柄谷行人氏を漱石論などを書く文芸評論家かと思っていたのだが、私が読み出して以降の柄谷行人氏の論は文学論ではなくて、唯物史観に代わるアソシエーション運動の原理論であり、肩書きも哲学者になっていた。柄谷行人氏は『近代文学の終わり』にこう書いている。
「最後にいいますが、今日の状況において、文学(小説)がかつてもったような役割を果たすことはありえないと思います。ただ、近代文学が終っても、われわれを動かしている資本主義と国家の運動は終らない。それはあらゆる人間的環境を破壊してでも続くでしょう。われわれはその中で対抗して行く必要がある。しかし、その点にかんして 私はもう文学に何も期待していません」と。

 柄谷行人氏は「日本近代文学の起源」を脱構築した後、「資本主義と国家の運動」に対抗していくために、「資本=ネーション=ステートの揚棄への道筋」を考えて『トランスクリティーク』を書き、かつNAM(New Associationist Movement)を始めるわけだが、それは「結論を言えば、僕は、消費協同組合と生産協同組合を組織していくことのみが、資本主義の存立基盤を崩す唯一の方法であり、しかも、それを資本も国家も阻止できないのだと考えています」(『可能なるコミュニズム』太田出版2010)と考えたからであったようだ。NAMは短期間に失敗したようだが、「消費協同組合と生産協同組合を組織していくこと」は現在もそうであるようである。

私は、『トランスクリティーク』ほか難解な柄谷行人氏の本を読んで、「消費協同組合と生産協同組合」という結論にはちょっと拍子抜けした。私は、長年それを生業と運動にしてきたからである。そしてもうひとつ、柄谷行人氏は生産協同組合については福本和夫からインスパイアされたようであり、福本和夫の生産協同組合の背景にはスターリン主義に対する反措定と、宇野弘蔵への対抗意識があったと思うところ。それは、福本和夫の生産協同組合論は協同組合の所有論的な把握であり、それに対して私は生産協同組合は宇野経済学の労働力商品論的な把握が必要だということである。この辺りのことは仙台ヒデさんとの共著『土着社会主義の水脈を求めて 労農派と宇野弘蔵』に書いた。

また、柄谷行人氏は「生産過程から流通過程へという理論的な転倒は大事だと思う」と言うけど、流通過程に重きを置いて消費者運動なり、消費協同組合の拡大をつづけていけば、いつしか資本が追いつめられてアソシエーションにいたるかと言えば、それはむかし社会主義協会がとなえていた「長期抵抗路線」みたいなものであって、それではいつまでたってもそうはならないだろうというのが私の感想である。「理論的な転倒」のためには、やはり生産過程をベースにした労働運動による「労働力商品化の止揚」による生産協同組合を核にしたアソシエーションの形成が不可欠であると考えるわけである。

 本日読み終えた『定本・日本近代文学の起源』がおもしろかったから、今日のブログは文学について書くかなと思っていたら、以上のようになってしまった。たとえ終わったと言われても書きたいのは文学、やらねばならないのは資本主義に対抗する運動づくり、これが私の「文学と革命」なのだが、とりあえず柄谷行人氏に学んでみるところ。

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2016年2月 7日 (日)

労働運動=労働社会の再生、コミュニティの形成をめざして

11_23.11が起こった時に、全統一労働組合の鳥井一平さんは大型トラックに救援物資を満載していち早く現地にかけつけ、つづいて関西の全日本建設運輸労働組合関西地区生コン支部もかけつけ、その後全日建関西生コン支部は仙台と東京と関西を結んで「復興のための共同センター」を立ち上げた。大内秀明氏が代表をつとめる「仙台・羅須地人協会」は「共同センター仙台」をベースにしており、私も参加している東京の「ソウル宣言の会」は「共同センター東京」をベースにしており、関西では1922年に賀川豊彦らが立ち上げた大阪労働学校にならって「労働学校」を立ち上げ、大内秀明氏はそこに協力している。そんな関係で、一昨年に大内秀明氏と私が共著した本『土着社会主義の水脈を求め72て―労農派と宇野弘蔵』(社会評論社)を、関西生コン支部は200部も購入してくれたわけだが、昨年、生コン支部は『労働運動50年史―その闘いの奇跡』(社会評論社)を出版された。そして、今月21日に総評会館で「出版記念シンポジウム」を行うことになり、「東京の労働組合関係者で発言してくれる人はいないか」と相談されたので、パラマウント製靴から国鉄闘争まで自主生産闘争負けなしの元東京地評の伝説のオルグ小野寺忠昭氏を紹介して、シンポジウムすることになった。昨日、小野寺氏から当日のレジメが送られて来て、それを読んだら身震いがした※。東北の復興、労働運動=労働社会の再生、それをベースにしたコミュニティづくりをめざして、ぜひ多くの方に全日建関西生コン支部の「出版記念シンポジウム」に参加していただきたくご案内するところです。なお、仙台の広瀬川流域において水力発電をベースにした「スマート・コミュニティづくり」を構想している大内秀明氏も仙台から来られますので、シンポジウム終了後に懇親ちょい飲みの予定。多くのみなさまの参加をお待ちしています。

※小野寺忠昭氏の発言要旨は、2月21日以降に掲載予定です。

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