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2016年1月15日 (金)

また佐藤優氏の話が聞きたくなった

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新刊の佐藤優『資本主義の極意』(NHK出版新書)を読んだ。本書は宇野経済学による日本資本主義の内在的論理の読み解きと、あわせて宇野経済学の入門書にもなっている。何故いま宇野経済学なのか、何故いま佐藤優氏はそれを語るのか。佐藤優氏は何故いま宇野経済学なのかについて、「『資本主義の極意』でも論じたように、グローバル資本主義の時代である現代において、国家機能は逆に強化されています。・・・この逆説を理解するためには、宇野経済学を使って、戦前日本の資本主義を分析する作業が不可欠です」と書き、そうすることによって「本書は・・それを現状理解に役立てることで、読者一人ひとりが『自由の感覚』を取り戻すことを目的としています」としている。これは、やはり宇野経済学による『資本論』解説である『いま生きる「資本論」』(新潮社2014.7)も同じ位置づけで、その続編ともいえる。

佐藤優氏が宇野経済学を評価するのは、それが革命をめざすマルクス主義経済学なのではなくて、資本主義の内在的論理を解き明かすマルクス経済学であるからだという。だから佐藤優氏は、『資本論』と宇野経済学を使って資本主義を解説し、それが格差の拡大や生きづらさ、さらには恐慌と戦争をもたらすものであるとしながらも、資本主義をなくそうとするのではなくて、それと相即的に生きる力をレクチャーしようとしている。かつて佐藤優氏は、沖縄出身の母親の兄で兵庫県で社会党の県会議員をしていた叔父の影響で、浦和高校時代に社青同の同盟員になり、埼玉大学の教員であった鎌倉孝夫氏の資本論講座などに参加したという経過があるわけだが、その後同志社大学の神学部に学び、クリスチャンになり、外務省職員になってインテリジェンスの仕事に関わったあげくに国事犯として512日間拘留され、現在の宇野経済学による現状分析になっているのであろうと思われる。

宇野経済学の要諦は「労働力の商品化」と、その原因結果としての「恐慌論」にある。恐慌はなぜ起こるのかを宇野弘蔵の『恐慌論』で読むとなかなか難しいのだが、そこを佐藤優氏は、資本主義は「好況→労働力不作→賃上げ→利益低下→恐慌→イノベーション→好況」を繰り返しながら社会全体に「労働力の商品化」を貫徹していくと分かり易く解説する。そして、「どれだけ閉塞状況に陥っているとはいえ・・予見される未来に資本主義に代わる新たなシステムが到来することは考えられない。私たちは、死ぬまで資本主義とつきあっていかなければなりません」と書く。「新自由主義と帝国主義が同時に進行している現在、資本主義を乗り越えようと考えると、そこにファシズムの論理が待ち構えています。ファシズム論のポイントは『この資本主義の猛威を食い止めるためには、国家の強い介入が必要だ』と考えることです。・・・安倍政権というのは、新自由主義的な要素とファシズム的な要素とが無自覚に同居しているのです」とも書く。

ついでにメモしておけば、日本で13万部突破のトマ・ピケティ『21世紀の資本』について、佐藤優氏は以下のように書いている。
「ピケティは近代経済学にもとづいて、格差拡大を『分配』の不備に求めます。つまり、労働者への利潤の分配が少ないことが、格差拡大にの原因だということです。・・生産によって得た利潤は、資本家と労働者で分け合うものであるという『分配論』がある。それに対して、マルクス経済学では労働者の賃金は『生産論』で決まると考えます。つまり、賃金は労働力の再生産費の費用で決まるということです」。「ピケティの考え方は、構造的貧困を再分配によって解決するという常識的な発想を取っていると言えるでしょう」。「分配論で考えるかぎり、合法的な暴力装置を持つ国家が徴税によって、再分配を行うというピケティ・モデルに収斂していくことになります。注意を促したいのは、このピケティ・モデルは容易にファシズムの経済論に転じることです」と。

いわゆる社会主義や無政府主義については、佐藤優氏は「では、ファシズムに陥らないような資本主義の乗り越え方はあるのか。残念ながら、システムとしてそれを描いたとたん、私たちはユートピア主義に陥ってしまう。歴史上、ユートピア主義がうまくいった例はありません」と書き、資本主義は15〜16世紀のヨーロッパを寒波が襲い、羊毛の需要が増してイギリスで「囲い込み(エンクロージャー)」が起こって、「偶然『労働力の商品化』が起きたことで生まれました。偶然に生まれたものは、偶然に解体する可能性がある」と書き、「いつかは資本主義も終焉するでしょう。でも、それがいつのことかはわからない。ならば、焦らずに待つ。待つことにおいて期待する。これを神学者のカール バルトは、「急ぎつつ待ち望む」と言いました。その時が来るまで、私たちは高望みせず、しかしけっしてあきらめない。そして、その時が到来したときこそ、私たちは資本主義社会を超えた、良い社会をつくらなければならないのです」と本書を〆ている。

このあたり、『いま生きる「資本論」』では、以下のように〆られている。
「私は、予見される将来、少なくとも私が生きている時代に、資本主義システムが崩壊することはないと思っている。それだから、資本主義の暴発をできるだけ抑え、このシステムと上手につき合っていく必要があると考える。筆者はキリスト教徒なので、人間は原罪を持つと信じている。それだから、人間が自分の力で理想的な社会を作ろうと思っても、そこにいつの間にか、悪が忍び込んでくると考える。しかし、人間は、神からこの世界を管理する権限を授与されている(「創世記」1章28節)。それだから、社会に正義を実現することを人間は真剣に考えなくてはならない。資本主義システムに対応できるのは、個人でも国家でもない中間団体であると私は考える。具体的には、労働組合、宗教団体、非営利団体などの力がつくこと、さらに読者が周囲の具体的人間関係を重視し、カネと離れた相互依存関係を形成すること(これも小さな中間団体である)で、資本主義のブラック化に歯止めをかけることができると思っている」と。

いずれにせよ、また佐藤優氏の話が聞きたくなった。訊いてみたいこともある。先週末に仙台に行って、大内秀明氏や半田正樹氏に、夏前頃に大内秀明、鎌倉孝夫、伊藤誠の宇野派の三先生で『労働力商品の止揚』をテーマにシンポジウムをやり、そこに佐藤優氏も招きたいと相談して了承を得た。一昨日は、社会評論社の松田社長と小野寺忠昭氏とちょい飲みして、準備会の立ち上げなども相談した。勝負は夏までについてしまうだろう。いそがしくしよう。

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