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2016年1月29日 (金)

佐藤竜一『日中友好のいしずえ』

Photo今日は寒くなるというから、朝から布団で本読みを決め込んで、昨晩から読み出した佐藤竜一『日中友好のいしずえ』(日本地域社会研究所1999)を読んだ。この本は、先週末のやはり寒かった日に同じく読んだ佐藤竜一『黄瀛―その詩と数奇な生涯』(日本地域社会研究所1994)の続編になる本で、『黄瀛―その詩と数奇な生涯』が面白かったので、つづけてこれもネットで検索注文して読んだわけである。

23日に書いたように、『黄瀛―その詩と数奇な生涯』の黄瀛(こうえい)※は、中国人を父に日本人を母に、戦前の日本で学び、中国で戦中、戦後を生きた詩人であったわけだが、『日中友好のいしずえ』はやはり戦前の日本で医学を学んで文学運動を始めた陶晶孫という中国人と草野心平を軸に、日中戦争を背景に上海を中心とした日中文化交流が描かれている。

陶晶孫は小学生で日本に来て医学を学び、九州帝大で戦後に中日友好協会名誉会長となった郭沫若と知り合って文学結社「創造社」に参加、郭沫若の妻となった日本人女性の妹と結婚している。留学生たちは日中戦争が始まると中国に帰国してそれぞれの道を歩み始めるわけだが、その頃の中国には毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党と汪兆銘率いる南京政府があって、郭沫若はやがて共産党へ、黄瀛は国民党へ、陶晶孫は共産党と通じつつ義和団事件の賠償金を基に設立された上海自然科学研究所で働いた。

草野心平は、1921年に中国の嶺南大学(現中山大学)に留学して詩を書き出し、日本の詩誌への投稿を通じて当時青島にいた黄瀛と知り合い、詩誌『銅鑼』を創刊して黄瀛も同人になり、後に宮沢賢治も『銅鑼』の同人になる。草野心平は嶺南大学で孫文に会っており、学友には戦後に中日友好協会会長となる廖承志がいる。五・三〇事件が起こって排日運動が高まり、草野心平は日本に帰国、貧乏生活を送りながら1935年に詩誌『歴程』を創刊、1940年に汪兆銘の宣伝部顧問となって南京に渡り、上海の内山書店で陶晶孫と知り合う。

当時の上海は、転向左翼や食い詰め者などが集まる「冒険家の楽園」と呼ばれた。陶晶孫と草野心平を結びつけたのは内山完造と名取洋之助がおり、その下に草野心平や北京在住の田村敏子が集まって出版や文化活動を行われ、草野心平は汪兆銘政権の一員として大東亜文学者大会に協力しており、そこに武田泰淳は参加したけど竹内好はそれに抵抗した。敗戦の年に上海に来て敗戦後の上海を見た堀田善衛は、「日本投降後、既存の一切のものに『偽』といふ名称がかぶせられた。まことに適当な言葉であると私は思った。」と書いた。

とまあ、本書を要約するときりがない。佐藤竜一氏は、当時の日中関係とその関係者に広く目配りしながら、日中悠久のきずなを描いた前作の『黄瀛―その詩と数奇な生涯』と同様に、ジャーナリストらしく実証的に『日中友好のいしずえ』を書いている。思えば、戦前・戦中の重層的な日中交流に比べたら、現在のそれは、その当事者たちは既に鬼籍に入り、それを語り継ぐ人もいなければ、無きに等しい。佐藤竜一氏は、私情を交えずに二著をまとめあげているが、日中友好を願う心情はひしひしと伝わってくるのであった。

ところで草野心平だけど、中国の大学をやめて帰国した後、故郷の福島で百姓を志して断念し、結婚するも壮絶な極貧生活を送り、高村光太郎の援助を受けて麻布十番で焼鳥屋「いわき」をやるも1年でいきづまり、戦中は上海に渡り、戦後は本郷で居酒屋「火の車」を開いたという。う~ん、私にはこれが気に入った。

※黄瀛は、1906年に中国で生まれ日本で育ったハーフで、文化学院に学び、詩を書いて草野心平と知り合い、高村光太郎に私淑し、日本で2冊の詩集を出し、花巻に宮沢賢治を訪ね、1931年に中国に帰国した後は国民党の将校になりながらも上海で魯迅と交友し、戦後は共産党に捕らえられ、さらに文化大革命の時と合せて20年の獄入りをした人で、文革後は中国で日本文学を教え、1996年の宮沢賢治生誕百周年の集いに招かれ、2005年に98歳で亡くなったという詩人。

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2016年1月23日 (土)

佐藤竜一『黄瀛―その詩と数奇な生涯』

Photo今年こそ断捨離しようと、今週から反故と書籍の整理を始めたら、何年か前に読んだ佐藤竜一『宮沢賢治の東京』(日本地域社会研究所1995)という本のメモが出てきた。図書館から借りた本であったのでメモをとったわけだが、佐藤竜一という名を見てアレと思った。昨年中国に行った時に初めてお会いし、ホテルの部屋を4日間同室した方であった。メモを見ると、佐藤竜一氏は『黄瀛―その詩と数奇な生涯』(日本地域社会研究所1994)という本も書かれているから、ネットで検索すると古本であったので、注文するとすぐに届いた。そんで、昨晩から読み始めて、今朝あまりに寒かったので、目が覚めてもそのまま布団の中で読書して、昼過ぎに読み終えた。

黄瀛(こうえい)という人は、中国人を父に日本人を母に1906年に中国で生まれ日本で育ったダブル(ハーフ)で、詩を書いて草野心平と知り合い、高村光太郎に私淑し、日本で2冊の詩集を出し、花巻に宮沢賢治を訪ね、1931年に中国に帰国した後は国民党の将校になりながらも上海で魯迅と交友し、戦後は共産党に捕らえられ、さらに文化大革命の時と11年半の獄入りをした人で、日中国交回復後は日本を訪れ、1992年に佐藤竜一氏は重慶に黄瀛氏を訪ね、この本をまとめられている。戦前の日本で詩人として名をなしながら、戦後は忘れられた人となった黄瀛氏の人生と、日本と中国との関わりの森羅万象。

佐藤竜一氏は、1991年に中国中央電子台のディレクターである友人の岩孫氏が来日したおりに黄瀛氏の存命を聞かされたと書いているが、その岩孫氏はその頃私もお会いしたことがあるような気がするので、もしそうであれば、昨年の訪中時に佐藤竜一氏と同室したことまで含めて、日中間のこのシンクロは一体何だと思わされる。日中が政治的に対抗しあうという戦前からの不毛をくり再び返さずことのないように、今年は中国のことをあれこれ考えてみたいわけだが、断捨離しようと反故と図書の整理をしていて、また本を購入してしまった。果たして断捨離は出来るのだろうか?

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2016年1月15日 (金)

また佐藤優氏の話が聞きたくなった

Photo
新刊の佐藤優『資本主義の極意』(NHK出版新書)を読んだ。本書は宇野経済学による日本資本主義の内在的論理の読み解きと、あわせて宇野経済学の入門書にもなっている。何故いま宇野経済学なのか、何故いま佐藤優氏はそれを語るのか。佐藤優氏は何故いま宇野経済学なのかについて、「『資本主義の極意』でも論じたように、グローバル資本主義の時代である現代において、国家機能は逆に強化されています。・・・この逆説を理解するためには、宇野経済学を使って、戦前日本の資本主義を分析する作業が不可欠です」と書き、そうすることによって「本書は・・それを現状理解に役立てることで、読者一人ひとりが『自由の感覚』を取り戻すことを目的としています」としている。これは、やはり宇野経済学による『資本論』解説である『いま生きる「資本論」』(新潮社2014.7)も同じ位置づけで、その続編ともいえる。

佐藤優氏が宇野経済学を評価するのは、それが革命をめざすマルクス主義経済学なのではなくて、資本主義の内在的論理を解き明かすマルクス経済学であるからだという。だから佐藤優氏は、『資本論』と宇野経済学を使って資本主義を解説し、それが格差の拡大や生きづらさ、さらには恐慌と戦争をもたらすものであるとしながらも、資本主義をなくそうとするのではなくて、それと相即的に生きる力をレクチャーしようとしている。かつて佐藤優氏は、沖縄出身の母親の兄で兵庫県で社会党の県会議員をしていた叔父の影響で、浦和高校時代に社青同の同盟員になり、埼玉大学の教員であった鎌倉孝夫氏の資本論講座などに参加したという経過があるわけだが、その後同志社大学の神学部に学び、クリスチャンになり、外務省職員になってインテリジェンスの仕事に関わったあげくに国事犯として512日間拘留され、現在の宇野経済学による現状分析になっているのであろうと思われる。

宇野経済学の要諦は「労働力の商品化」と、その原因結果としての「恐慌論」にある。恐慌はなぜ起こるのかを宇野弘蔵の『恐慌論』で読むとなかなか難しいのだが、そこを佐藤優氏は、資本主義は「好況→労働力不作→賃上げ→利益低下→恐慌→イノベーション→好況」を繰り返しながら社会全体に「労働力の商品化」を貫徹していくと分かり易く解説する。そして、「どれだけ閉塞状況に陥っているとはいえ・・予見される未来に資本主義に代わる新たなシステムが到来することは考えられない。私たちは、死ぬまで資本主義とつきあっていかなければなりません」と書く。「新自由主義と帝国主義が同時に進行している現在、資本主義を乗り越えようと考えると、そこにファシズムの論理が待ち構えています。ファシズム論のポイントは『この資本主義の猛威を食い止めるためには、国家の強い介入が必要だ』と考えることです。・・・安倍政権というのは、新自由主義的な要素とファシズム的な要素とが無自覚に同居しているのです」とも書く。

ついでにメモしておけば、日本で13万部突破のトマ・ピケティ『21世紀の資本』について、佐藤優氏は以下のように書いている。
「ピケティは近代経済学にもとづいて、格差拡大を『分配』の不備に求めます。つまり、労働者への利潤の分配が少ないことが、格差拡大にの原因だということです。・・生産によって得た利潤は、資本家と労働者で分け合うものであるという『分配論』がある。それに対して、マルクス経済学では労働者の賃金は『生産論』で決まると考えます。つまり、賃金は労働力の再生産費の費用で決まるということです」。「ピケティの考え方は、構造的貧困を再分配によって解決するという常識的な発想を取っていると言えるでしょう」。「分配論で考えるかぎり、合法的な暴力装置を持つ国家が徴税によって、再分配を行うというピケティ・モデルに収斂していくことになります。注意を促したいのは、このピケティ・モデルは容易にファシズムの経済論に転じることです」と。

いわゆる社会主義や無政府主義については、佐藤優氏は「では、ファシズムに陥らないような資本主義の乗り越え方はあるのか。残念ながら、システムとしてそれを描いたとたん、私たちはユートピア主義に陥ってしまう。歴史上、ユートピア主義がうまくいった例はありません」と書き、資本主義は15〜16世紀のヨーロッパを寒波が襲い、羊毛の需要が増してイギリスで「囲い込み(エンクロージャー)」が起こって、「偶然『労働力の商品化』が起きたことで生まれました。偶然に生まれたものは、偶然に解体する可能性がある」と書き、「いつかは資本主義も終焉するでしょう。でも、それがいつのことかはわからない。ならば、焦らずに待つ。待つことにおいて期待する。これを神学者のカール バルトは、「急ぎつつ待ち望む」と言いました。その時が来るまで、私たちは高望みせず、しかしけっしてあきらめない。そして、その時が到来したときこそ、私たちは資本主義社会を超えた、良い社会をつくらなければならないのです」と本書を〆ている。

このあたり、『いま生きる「資本論」』では、以下のように〆られている。
「私は、予見される将来、少なくとも私が生きている時代に、資本主義システムが崩壊することはないと思っている。それだから、資本主義の暴発をできるだけ抑え、このシステムと上手につき合っていく必要があると考える。筆者はキリスト教徒なので、人間は原罪を持つと信じている。それだから、人間が自分の力で理想的な社会を作ろうと思っても、そこにいつの間にか、悪が忍び込んでくると考える。しかし、人間は、神からこの世界を管理する権限を授与されている(「創世記」1章28節)。それだから、社会に正義を実現することを人間は真剣に考えなくてはならない。資本主義システムに対応できるのは、個人でも国家でもない中間団体であると私は考える。具体的には、労働組合、宗教団体、非営利団体などの力がつくこと、さらに読者が周囲の具体的人間関係を重視し、カネと離れた相互依存関係を形成すること(これも小さな中間団体である)で、資本主義のブラック化に歯止めをかけることができると思っている」と。

いずれにせよ、また佐藤優氏の話が聞きたくなった。訊いてみたいこともある。先週末に仙台に行って、大内秀明氏や半田正樹氏に、夏前頃に大内秀明、鎌倉孝夫、伊藤誠の宇野派の三先生で『労働力商品の止揚』をテーマにシンポジウムをやり、そこに佐藤優氏も招きたいと相談して了承を得た。一昨日は、社会評論社の松田社長と小野寺忠昭氏とちょい飲みして、準備会の立ち上げなども相談した。勝負は夏までについてしまうだろう。いそがしくしよう。

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2016年1月12日 (火)

「宮沢賢治誕生120年 賢治農民芸術祭」

Dscf0918_2先週末、仙台で仙台・羅須地人協会主催の「宮沢賢治誕生120年 賢治農民芸術祭」というイベントがあって、行ってきた。仙台・羅須地人協会による3回目の大きな企画で、今回は宮城県内のほとんどの協同組合団体が後援するという大きな可能性を秘めたイベントとなり、定員200名の会場に、記帳した一般入場者だけで230名、無記帳の関係者をふくめると300名近い参加者があった。主催者の代表である大内秀明氏は、そこで「芸術をもて、あの灰色の労働を燃やせ」という、私的には「労働力商品の止揚」をテーマにした貴重な講演を行ったのであるが、今回は「賢治農民芸術祭」がメインであったから講演時間は短めに、それでも宮沢賢治の羅須地人協会設立の運動を、賀川豊彦による協同組合の立ち上げに通底する産業組合づくりであったとするこれまで誰も考えなかった見立てと論証であった。

Dscf0938大内秀明氏による講演の後は「賢治農民芸術祭」らしく、大震災後につくられた地元の混声合唱団グランによる宮沢賢治作曲の曲も交えて大震災への鎮魂をベースにした演目の合唱、それに宮沢賢治が教鞭をとった花巻農学校を引き継ぐ岩手県立花巻農業高等学校の生徒による「鹿踊り」、最後はNPOシニアネット仙台による宮沢賢治の『ポラーノの広場』の朗読(劇)。大内秀明氏はその「山猫博士」のパートを熱読、その最後には「それから3年の後には、とうとうファゼーロたちは立派な一つの産業組合をつくり、ハムと皮類と醋酸とオートミールはモリーオの市やセンダードの市はもちろん、広くどこへも出るようになりました」とあるのであった。

「モリーオ」は盛岡であり、「センダード」は仙台であろうから、『ポラーノの広場』は産業組合の思想を受けて、後に言われる「協同組合地域社会」の理想を、いち早く掲げた作品であると言えるだろう。しかも「東北に協同組合地域社会を」である。会場のロビーでは、仙台・羅須地人協会が提携する秋保大滝農園の有機野菜、大内先生の教え子がつくる宮沢賢治所縁のわさび、花巻農業高等学校の生徒が育てたりんごの即売もあったのだが、あっという間に売りきれてしまった。それは、仙台・羅須地人協会のミッションである「文明の転換による東北の復興」の方向そのものであった。

今回、東京からは元参議院議員で障害者運動団体の協同連代表の堀利和さんご夫妻が来られたので、イベント終了後に大内先生らと二次会をして、現在の政治情勢からこれからの取り組みなど語り合いながら大いに盛り上がった。今回の仙台行きはいつものゲストハウスが満員だったので、宿は堀さんご夫妻と同じ仙台駅近くの安ホテルを利用した。足は往復とも高速バス、ウィスキーのポケット瓶と柿ピーを持参、素泊まりで食事はコンビニ利用のいつもの貧乏老人バックパッカーであった。

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2016年1月 6日 (水)

加藤典洋『戦後入門』を読む

Photo2009年に出来た民主党政権は、今では唾棄されるが如くの扱いだが、私には鳩山政権が惜しまれる。現在問題になっている沖縄普天間基地の辺野古移転策動、中国・韓国との対立、こどもの貧困化の増大を見るにつけ、鳩山政権による「少なくとも県外」、「東アジア共同体構想」、「こども手当て」の提起の先見性が際立っている。ところが鳩山由紀夫はマスコミによる「宇宙人」扱いのあげくに、明らかにアメリカとその意を受けた官僚と自民党とジャーナリズムの総意と策動によって首相の座から引きづり下ろされてしまった。また、「ふつうの国」と「国連第一主義」を唱え、民主党で代表にまでなった小沢一郎は、検察が正面に出て強引に起訴され、政治の第一戦から引き下ろされてしまった。

その後は自民党が政権に復活するにせよ、民主党がそれを目ざした二大政党制が機能して次はまた政権交代がと思いきや、民主党に取って代わった安倍政権は一昨年秋に「特定秘密保護法案」を通すと、解散総選挙で2/3超のさらなる議席数を獲得し、その後は侵略の歴史の否定、憲法の「解釈」によって安全保障関連法案を強行採決し、原発再稼動、社会保障の切捨て、財政破綻の放置、景気浮揚のためなら何でもありのアベノミクス、そしてあからさまに改憲と戦前への復古の道をすすめており、なおかつ高い政権支持率を維持している。

それまでの自民党政権よりはオバマの民主党に近いだろう鳩山政権は、何故アメリカの虎の尾を踏んだ如くに引き下ろされるしかなかったのか。2009年の民主党政権の成立には、その背景にそれまでの自民党政権のやり方ではこれからの時代はやりきれないという国民の思いがあったからであろうが、それが何故こんなに短期間で元の自民党というよりは、改憲をして戦前への復古をたくらむ政権が力をもつようになったのか。それに対して「九条を守れ」の護憲の声が盛り上がるも、何故護憲派や反原発派は選挙では勝てそうにないのか。

こんな状況をさてどうしたものかと思っていた矢先、この正月に加藤典洋『戦後入門』(ちくま新書2015.10)を正月に読んだわけだが、なんとそこには上記の状況について、著者曰く「だいぶ思い切ったこと」が書かれていたのであった。著者がこれを新書版にしたのは、「これまでのどんな戦後の本よりも大きな眺望を、小さな新書で」ということで、より多くの人に読んでほしいということなのであろう。読後の感想をひと言でいえば、著者の願い通りに誰もが「読むべし」の本である。そしてなぜそうなのか、以下、加藤典洋氏による示唆を以下にメモしておくところ。

加藤典洋氏は、本書のモチーフを、以下のように書いている。
「私は・・この戦後にまつわる本を現在の日本の政治状況への自分なりの直接的なコミットメント(働きかけ)として書こうとしています。2011年の3月の東日本大震災、大津波、原発事故以降の日本社会と日本政治の劣化のぐあい、とりわけ2012年12月以降の自民党政権の徹底した対米従属主義の外装のもとでの復古型国家主義的な政策の追求に、何としてでも歯止めをかけたいと考えています」(p427)。
「現在の安倍政権流の『誇りある国づくり』を阻み、このような復古型国家主義と徹底的な対米従属路線の合体が日本の将来にもたらす災禍を避けようとすれば、それに代わる新しいヴィジョンを提示することが、どうしても必要です。代案がなければそれに対抗できないところまで事態は来ているからです」(p553)と。

戦後の日本は、原爆投下後にポツダム宣言を受諾し、敗戦によって戦争放棄をかかげた平和憲法を得ながらも、冷戦の開始とともに再軍備をし、講和後も国内に米軍基地を存続させつづけるという安保条約を結び、親米・非核・軽武装で経済成長に全力を上げ、その成功物語をアイデンティティイにしてきた。この路線をしいた吉田茂以降これが保守本流の道となり、それと表裏一体に革新側の護憲と平和主義もあったわけだが、とりわけ冷戦の終結以降はそれまでの経済成長の前提がなくなり、「失われた20年」を経て、少子高齢化に向かうという不安、かつ中国や韓国にキャッチアップされるあせりの中で、人々は新たな「誇り」を求めている。

加藤典洋氏は、こう書いている。
「現在の安倍政権の支持率が、なぜ・・長期にわたり・・不支持率を上回ってきたのか。そのわかりやすい理由の一つが、異例の金融緩和策の強行による積極的経済政策による経済立て直し策にあるのは明らかですが、もう一つ、その背後で、より堅固にこの政権を支えてきたのが、多様な国民の『誇り』に対する渇望、飢餓感に、一貫して一つのモデルを提示することで応えようとしてきたその政策姿勢でした」(p429)と。

言ってしまえば、「二流国に落ちてたまるか、中国・韓国にバカにされてたまるか」みたいな心境を、ネトウヨだけでなくて多数の日本人が抱いているということであり、安倍政権はその心のすきまに「国民の生命を守る」、「日本を世界一の経済大国へ押し上げる」、「国土強靭化をすすめる」みたいな、まるで明治の「富国強兵」を新自由主義でもういちどやるのだみたいのことを言い、アベノミクスと呼ばれるそれがけっこう受けてしまっているわけである。

加藤典洋氏は、こう書いている。
「(中国の台頭と米国の衰退、日本社会における経済の長期的な不振)その結果、経済大国化によって支えられていた日本国民のナショナルな意識の余裕――『金持ち喧嘩せずの余裕』――が、足場を失い、中国の急追と米国の要求の苛烈さにさらされて、不安に転じるということが起こりました。その結果、とうとう、経済的ならぬ政治的なアプローチによる新たな『誇りある国づくり』を必要とするような事態が現れた、というのが、この間に生じた基軸的な変化でした。その意味で、2009年の政権交代とその失敗は、一つの真実開示の機会と心なっています。それは、日本政府が政治的自由を発揮し、いま日本に必要なことを行おうとすると、どこからどのような妨害と禁止の『力』が現れてきて、それを阻止するのかを、はっきりと全国民の目に明らかにしたからです」(p525)と。

こうなると民主党政権の失敗というのは唾棄されるような経験ではなく、「真実開示の機会」となった貴重な経験であり、その経験を生かして、これまで戦後史のタブーであったというよりはそれをタブーとしてしまった「妨害と禁止の『力』」を「はっきりと全国民の目に明らかに」することが、ほんとうの『誇りある国づくり』につながるのだということが加藤典洋氏の言いたいことであり、600頁をかけて解き明かしたのが『戦後入門』なわけである。

ひと言でいえば、日本の戦後史はねじれている。戦争に負けた結果得られた自由と民主主義は、戦勝国とりわけアメリカから与えられたものであるというのもねじれのひとつであり、国際法で禁止されている毒ガス以上の大量殺戮兵器である原子爆弾を市民に対して使用されても抗議すらできずにいるのもねじれだし、講和条約が結ばれて以降は全連合軍は日本から撤退するはずだったのにアメリカ軍の基地が残ったのもねじれだし、自民党の中には軽武装と経済成長を追及した保守本流と改憲と戦前への復古をめざす復古派がいるのもねじれだし、アメリカの民主主義と原爆の使用もねじれだし、その結果うまれた平和憲法「第九条」をもちながらも軍備を増強しつづけるのもねじれである。加藤典洋氏は、これらのねじれのルーツの解明と『誇りある国づくり』への道をカントの『永久平和のために』から第一次世界大戦以降の国際主義と平和主義の歩みの中から解き明かしていく。これが『戦後入門』の読みどころ、詳細は読むべしです。

加藤典洋氏は、こう書いている。
「『誇りある国づくり』を国連中心主義と国際主義と平和主義の価値観に立って進めることこそが、戦後の国際秩序のなかで、『名誉ある地位』を占め、国民のプライド欲を充足させる、もっとも健全な方法、唯一の方途なのです。そこでの価値観が、国際秩序と合致していることが必要条件であり、国際社会の尊敬を勝ちとることのできるようなものであることが、十分条件なのです」(p555)。
「安倍路線の問題点は、それが国民の安全と、これまでの日本の平和構築の路線との連続性をもっていないことです。また、今後も台頭を続け、米中二大国体制を担うことが確実視される対中敵視策を基本としているため、国際緊張をつねに高めざるをえないことです。また信頼関係をもつ連携の相手国として、米国以外にはもっていないことです。そのことが、安倍政権に、集団的自衛権行使、安全保障法制等で対米協調路線を強化して、米国が日本を見捨てられないようにする、一種見苦しい努力にかりたてているように見えます」(p557)。
「これに対し、私が提案しているのは、ここでも『国連中心主義であり』、その基本は、近隣アジア諸国との友好関係と信頼関係の構築です。むろん米国との友好関係が最優先の国関係であることは変わりません。しかし中国とのあいだに新しい互恵関係を作ることもそれに劣らず大事です」(p558)。
「護憲・国連中心主義連合をどう作り直すか・・現行の安倍政権の徹底従米の国家主義路線とそれに反対する私の案との対立が、『ハト派対タカ派』でも『護憲派対改憲派』でもなく、『従米・軍事・国家主義』対『国連中心・平和・国際主義』の対位を基軸にもっているということです。軍事志向vs平和志向、これが一つ。徹底従米志向vs徹底国連中心外交志向、これがもう一つの対立軸なのです」(p577)と。

なるほど、新年早々いい本を読んだ。加藤典洋氏の本は初めてであったわけだが、略歴を見ると1948年生まれの団塊の世代、本書の中で内田樹氏とのからみも出てくる。内田樹氏は昨日の朝日新聞で同様の認識を語っている。また加藤典洋氏の元の職場の同僚には、SEALDsに民主主義をサジェスチョンしている高橋源一郎氏がいる。80年代のポストモダン以降、日本の知的状況は左派の凋落とリベラル派の沈黙、新自由主義とリフレ派の横行であったとすれば、やっと団塊の世代の論客から新自由主義とリフレ派に対する対案が「民主主義」をキイワードに登場したということであろうか。

最後に加藤典洋氏は、柄谷行人氏を登場させてこう書いている。
「柄谷は、『資本=ネーション=国家』を越える構想を、交換様式をもとに読みかえられた世界史観のもとに展開するのですが、その目標に向けた現実的な着地点もやはり、『国際連合を強化・再編成する』こと以外には見出しえないことを明らかにしています。・・ですから、いまこの」(p584-5)と。

役者がそろった。なかなか面白くなってきた。

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