« 2015年7月10日「NPOの清算」 | トップページ | 2015年7月24日「ピンからきりまで」 »

2015年12月21日 (月)

2015年7月17日「日高屋でちょい飲み」

一昨夕は門前仲町に出かけて、元東京地評オルグの小野寺さんと日高屋でちょい飲み、今月末に作並で行う研究会の打ち合わせをした。当初、研究会は鎌倉孝夫、伊藤誠の大御所でと予定したが、スケジュール調整できなくて小野寺さんと行くことにしたわけだが、小野寺さんのキャリアは労働運動、とりわけ自主生産闘争と企業別労働組合運動に代わる新しい労働運動づくりなので、それと宇野理論をどう結びつけるかの下話みたいなものであった。

実は、2004年に大内秀明氏が作並に「賢治とモリスの館」をつくられて、初めて作並に行った時にご一緒したのも小野寺さんであった。その時に小野寺さんを誘ったのと同じ動機が、それから11年たった現在もつづいているということであろうか。そして、それは何かと言えば、協同組合で働いてきた私的には、既存の消費生活協同組合の先に構想する「生産協同組合を軸にしたコミュニティづくり」であり、それは、小野寺さんが構想する既存の労働組合の先にあるものと、さほどちがわないものになると思うからである。

それからの11年間に何があったのかと言えば、私は2005年2月にNPO「自主事業サポートセンター」を立ち上げて、雇われでなく働く人のコミュニティづくりを目指して前述のごとく失敗し、その後、大内先生から宇野経済学を学び直して、先生との共著による『土着社会主義の水脈を求めて―労農派と宇野弘蔵―』の出版をめざした。一方、小野寺さんは「戦後労働運動として最大にして最長の争議と」して闘われた国鉄闘争、中曽根私権による国労解体策動の結果、国労からもはみだした1047名の争議団を勝利に導き、その報告を『what was 国鉄闘争~そして次へ』という本にまとめた。そして、2015年の春先に久しぶりに小野寺さんと会って、門前仲町の日高屋でちょい飲みして、両著を交換したのが、今回の企画の始まりとなったわけである。

私は16年前に生協を辞めたわけであるが、昨年末に本を出したせいか、先日、私がいた生協のパルシステム連合会で話をする機会があった。私は、「現在の消費生協は産業社会に相即的な功利主義的でクローズドな組織だから、将来的にはこれを地域に開かれたコミュニティとしての協同組合に変えるのがいい。そのためには、最近は生活クラブもそう考え出したように、宇野理論をベースにした協同組合論を考えるしかない」みたいな話をしたわけだが、パルシステムだけでも130万人もの組合員になった大組織には受けなかった。生協には労働組合もあるのだが、そこでも同様である。

労働組合と協同組合は、ロバート・オウエンの時代くらいまでは未分化なコミュニティであったわけだが、労働力の商品化によって資本主義が成立してからは、労働組合運動は労働力の保全とそれをより高く売るための運動となり、同時に労働者は労働力の再生産のために自らが生産した生活資料を買い取る消費者になり、協同組合運動は労働者がより安く商品を購入するための消費組合となった。要は、原初的な労働運動は資本主義の成立=労働力の商品化とともに労働組合と協同組合に機能分化したわけである。同時に、社会主義とは労働者政党が権力を取ることとなり、資本主義の矛盾とは「生産力と生産関係の矛盾にあるから、それを国家的所有に変えるのが社会主義である」というエンゲルス流の所有論ベースで考えられ、実践され、失敗した。

宇野弘蔵が喝破したとおり、資本主義の矛盾は「労働力の商品化」にあるわけで、社会主義とは「労働力の商品化が止揚された社会」のこととなる。宇野弘蔵は、こう言っている。
「それにしても労働力の商品化をアウフヘーベンするということが重要な目標だということが、今、社会主義国ではよくわかっていないのじやないかな。これは先にイデオロギーがあって、科学的研究がないからだと思うのです。労働力の商品化をアウフヘーベンしなければ資本主義を本当に変革できない、もちろんその過程にいろいろあるけれども。つまり資本主義が原始的蓄積をやらなくても、自分の労働力を自分で補給するようになる、労働力を商品化するようになるのは18世紀末ですね。この間2世紀以上かかっているわけです。だから、そういう期間は社会主義体制にもあるとぽくは思う」と。(ちくま文庫『資本論に学ぶ』p216-7)

前に吉村一正さんのコメントにあったように、宇野弘蔵は労働力の商品化について「南無阿弥陀仏」であると言っている。それは、私的には労働力商品化の止揚は、資本主義にとっては「南無阿弥陀仏」なのであり、労働力商品化が止揚されるプロセスには長い年月がかかるであろうが故に、それに向かう運動は「南無阿弥陀仏」を唱える一向一揆がごとくの長期にわたる大乗型の運動になるという気がするところである。

そして、宇野弘蔵の言う「南無阿弥陀仏」は、私的には「脱労働力商品化によるコミュニティの形成」ということになるわけで、それは現実のプロセスとしてはどうなるのか、コミュニティとしての協同組合とは、開かれたユニオン型の労働組合とは、それらを一体的に今回の研究会のテーマにしようと、小野寺さんと仲町の日高屋でちょい飲みしたのであった。

|

« 2015年7月10日「NPOの清算」 | トップページ | 2015年7月24日「ピンからきりまで」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113260/62910134

この記事へのトラックバック一覧です: 2015年7月17日「日高屋でちょい飲み」:

« 2015年7月10日「NPOの清算」 | トップページ | 2015年7月24日「ピンからきりまで」 »