« 2015年5月8日「秋風秋雨人を愁殺す」 | トップページ | 2015年5月15日 「革命いまだ成らず」 »

2015年12月21日 (月)

2015年5月8日「中国行きのポイント」

中国には儒教思想がある一方に老荘思想があり、老荘思想などはアナキズムの源流などともいわれるから、昔からの土着的な思想の流れはあるわけだが、近代的な社会主義の思想はいつ頃にどこから入ってきたのかと見ると、日本における社会主義思想の流入がヨーロッパよりも身近な留学先であったアメリカからであったように、中国におけるそれも身近な留学先であった日本からが多い。中国共産党は、1921年7月に上海で結成されるわけだが、その結党大会に参加した13名中の4名は日本への留学生であり、当時の中国を代償する社会主義者で結党大会には参加しなかった李大釗は早稲田大学の卒業生であり、雑誌『新青年』を発行し中国共産党の初代総書記となった陳独秀も日本に学んだ活動家であり、後にフランスに留学する周恩来も最初は日本に留学している。

日本では、安部磯雄らアメリカ帰りの留学生によって1898年に社会主義研究会が発足し、幸徳秋水を除けばその中心はクリスチャンであったわけだが、安部磯雄は日本の社会民主主義運動の中心人物となったほか、社会主義者でありつづけたのは幸徳秋水くらいであった。同様に1921年の中国共産党の結党大会に参加した者のうち、後に中国共産党にいつづけた者はわずかであった。14年間日本に留学して東大を卒業した李漢俊は、帰国後に当時日本で出版されたマルクス主義文献を次から次へと中国語に翻訳して、共産党などの日本語はそのまま中国でも使われるようになり、中国共産党の創設大会も上海の彼の自宅で行われたのであったが、早い時期に離党、除名されている。

中国共産党史について、宇野重明『中国共産党史序説』(日本放送協会1973)と譚璐美『中国共産党を作った13人』(新潮社2010)を読むと、時代の差か、前著は毛沢東中心の歴史であり、後著は改革開放後に明らかにされた資料を生かして書かれ、イデオロギーを廃してよりリアルである。この二著で私が共通に関心を持ったのは、前著に「これには日本の<新しい村>の影響を受けていた・・」(上巻p45)と、後著に「五四運動の頃、世間には色々な思想が流行っていた。アナーキズム、社会主義、日本の合作社運動など・・」(p226)とある引用の部分で、合作社とは生産協同組合のことであるから、中国の社会主義がコミンテルン・マルクス主義に影響される以前には、日本の「新しい村」や生産協同組合(共同体)運動からの影響があったことが分かる。

前述した周恩来のフランス留学というのは、大学への留学というよりは研修生型の工場などで働きながら苦学することで、「勤工倹学」という。第一次大戦で労働力の欠乏したフランスと、日本をはじめとする諸外国に学びたいとする中国の意向が一致して行われたようで、周恩来やトウ小平や陳毅といった後の中国共産党の中心人物が参加しており、若き毛沢東もこの運動の推進者であったという。

以上のように、中国における社会主義の成立には、日本やフランスやコミンテルンからの影響があり、幾多の権力闘争を経てやがて毛沢東主義へと収斂し、文化大革命と改革開放を経て現在の習近平体制に至っている。果たして、その先はどこに行くのだろうか? この辺りも今回の中国行きのポイントなのだが、どこまで交流できるやら。これまで読んだ本は孫文関係が抜けているから、今日は図書館に行って、その辺りの本を借りてこよう。

|

« 2015年5月8日「秋風秋雨人を愁殺す」 | トップページ | 2015年5月15日 「革命いまだ成らず」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113260/62910061

この記事へのトラックバック一覧です: 2015年5月8日「中国行きのポイント」:

« 2015年5月8日「秋風秋雨人を愁殺す」 | トップページ | 2015年5月15日 「革命いまだ成らず」 »