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2015年12月21日 (月)

2015年5月8日「秋風秋雨人を愁殺す」

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今月末に中国に行くので、中国革命の本を読んでいる。日本の社会主義運動が1917年のロシア革命以前から始まっているように、中国の革命運動もそうである。どちらも日清戦争が契機で、戦争に勝って中国から賠償金を手に入れた日本は、それを原資にして資本主義が興隆する一方に社会主義の思想と運動が芽生え、負けた清国は日本にならって近代化を急ぐ一方に清朝打倒の革命運動が広がり出す。先般、私はその頃の日本の社会主義話を本にしたのだが、そこに書いたのと同じ頃の中国の運動との時代性や関係性を調べてみたいわけである。

そこで順番というか、読み易そうな本からということで、武田泰淳の『秋風秋雨人を愁殺す』から読み始めた。この本は、秋瑾という日本に留学した中国の女性革命家が、帰国後に革命党を立ち上げながらも捕らえられて処刑されるところから始まる。秋瑾は1904年に日本に留学するのだが、1905年に日本政府が清国留学生取締規則を出したのに対して秋瑾は反対運動を起こし、留学生会館で行われた集会で留学生の全員帰国を主張し、それに賛成しない者をなじって短刀を投げつけたという。秋瑾は日本で言えば、菅野すがと伊藤野枝を合わせたような女性である。

秋瑾が日本に留学していた時に魯迅も東京にいて、魯迅は留学生会館で秋瑾を目にしたようである。そして、革命を急いだ秋瑾は1907年7月に逮捕され処刑されるのだが、自白をこばんだ秋瑾が唯一残したのが「秋風秋雨人愁殺」の七文字であったという。仙台医専をやめた後、文学をやるべく再来日した魯迅はそのニュースを東京で知り、1919年4月に秋瑾の処刑をモチーフにして『薬』という小説を書く。秋瑾が革命を起こそうとして処刑された地は紹興で、紹興は魯迅の生地でもある。今回の中国行きでは、上海と北京と紹興にある魯迅記念館を回る予定、紹興には秋瑾の記念館もあるらしい。

戦前から戦後も中国文学と中国各地を逍遙した武田泰淳は、魯迅と秋瑾をモチーフに『秋風秋雨人を愁殺す』を書いた。読んで、「まいった」というのが読後感であった。それにしても、土着社会主義をキイワードに中国革命史を一夜漬けしようとして、最初からなんと魅力的な本と出合ったものか。『秋風秋雨人を愁殺す』の時代背景は、日本で言えば、1905年の平民社解散と幸徳秋水の渡米、夏目漱石の『吾輩は猫である』執筆、1906年の日本社会党結党、夏目漱石の『坊っちゃん』執筆と「命のやりとりをする維新の志士の如き烈しい精神で文学をやってみたい」という決意、1907年の日本の社会主義運動で直接行動と議会主義が分裂、夏目漱石の朝日新聞社に入社と重なる。夏目漱石が引っ越した後の西方町の漱石住居跡に移り住んだ魯迅は、朝日新聞を取って漱石の小説を読んだという。

GW前半は座椅子煎餅で本が読めたのだが、後半は遊びと酒飲みで読書が中断した。読んだものを忘れないうちに、メモするところです。

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