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2015年12月21日 (月)

2015年5月23日「近代化の日本型と中国型」

中国関係読書の最後は魯迅の再読、今朝布団の中で「祝福」(1924)という小説を読んでいたら、永井荷風の「花火」(1919)を思い出した。「花火」は、「午飯の箸を取ろうとした時ポンとどこかで花火の音がした」ではじまるわけだが、「祝福」も「夕暮れのなかにしきりに閃光がひらめき、つづいて鈍い音がひびくのは・・爆竹である」で始まる。そして「花火」が大逆事件の囚人を見たことにインスパイアされた小説であるように、「祝福」は中国の人身売買的な結婚という旧弊を描いた暗い小説である。魯迅の作品には、ほかにも外国文学や夏目漱石や芥川竜之介の作品に影響されて書かれたものがあるし、永井荷風は同居していた弟の周作人が愛読した作家であったから、魯迅が荷風を読んでいても不思議ではない。暗い話は暗く描くのではなく、淡々と描けと魯迅は荷風から学んだのかもしれない。終わり方もにている。

魯迅の小説はどれも短いから、さっとは読めても、その奥深さを理解するのは再々読くらいは必要である。最初の作品集『吶喊』(1923)にある「狂人日記」とか「阿Q正伝」が代表作として有名だが、味わい深いのは『吶喊』からは「薬」や「小さな事件」、「故郷」といった小作品。次の作品集『彷徨』(1926)からは、「祝福」、「酒楼」、「孤独者」といった故郷での旧友との再会と彷徨話。魯迅の小説はだいたい暗いのであるが、飲み屋で酒を飲むプロットなど多く、なるほど魯迅はこう飲んだのかなど分かる。そして日本人が読みやすいのは、なんといっても「藤野先生」で、これは『朝花夕捨』(1926)に入っていおり、そこにある「范愛農」もそうで、魯迅の人生は日本人にとって身近にあったから親しみやすいのであるが、それらの作品の時代背景と魯迅文学の土着性はとても奥が深くて、再読をあきさせない。また、晩年(1935)に書かれた「出関」には老子が、「起死」には荘子が出てくるのだが、革命文学論争を背景に、魯迅がいかなる心境にあったのか、興味はつきないのであった。

竹内好は『内なる中国』(筑摩書房1987)にこう書いている。
「魯迅が、近代中国の最大の啓蒙家であることは、衆評が一致している。虚無の深淵を内にふくんだ。孤独の精神が、どうして、あらわれとして啓蒙家でありえたかということは、一見、不可解のようであるが、この二重性格こそ、伝統と革命とのからみあった近代中国の二重性格性において魯迅の位置を決定する問題解決の鍵となるだろう。魯迅は、自分の思想を「民族主義と個人主義の起伏消長」であったと自己反省している。このことは、この矛盾が魯迅において自覚されていたことを示すものである。
思想史的に見れば、魯迅の位置は、孫文を毛沢東に媒介する関係にある。近代中国が、それ自体の伝統のなかから自己変革を行うためには、魯迅という否定的媒介者を経ることを避けることはできなかった。新しい価値が、外から加わるのでなく、古い価値の更新として生れ出る過程には、ある犠牲が要求される。その犠牲を一身に背負ったのが、魯迅であった。まことに魯迅こそは、その重荷に湛えうる、一片の媚骨ももたぬ。毛沢東の評したように<植民地、半植民地国民としてもっとも貴重な性格>であった」(p26)と。

これは日本人にとって定番の魯迅論であるわけだが、今回ポスト団塊の世代の藤井省三氏の『魯迅』(岩波新書2011)を読むと、藤井省三氏は竹内好を以下のように批判していた。
「竹内は政治と文学の対立という構図で魯迅論を展開していた。戦時下を生きていた竹内にとって、<政治と文学>は極めて深刻な意味を持っていたのではあるが、魯迅が生きていた1900年代から30年代の中国における政治と文学の状況は、竹内が直面していた戦時日本的状況とは相当に異なっていた。魯迅論としては竹内の議論は不毛な観念論であったといえよう」。
「竹内の魯迅論は大きく変化していく。・・・このような竹内の魯迅論が変質する際には、1949年の中華人民共和国建国、いわゆる人民革命の成功が大きな影響を与えていたと考えられよう。・・・竹内好ら中国文学者をはじめ多くの日本人が人民共和国に過度の期待を抱き、社会主義中国を賛美した。それは蔑視と侵略の半世紀に対する反動でもあったのだろう。・・・
その後も竹内は最晩年まで・・中国を鏡とする近代日本批判の評論家として活躍した。このような戦後竹内の魯迅研究者としての名声は、彼が戦中の著『魯迅』で描き出した政治と文学の対立に苦悩する魯迅像を日本の読書界に広め、大宰が『惜別』で描いたにこやかに笑う人間臭い個性的な魯迅像を駆逐していったのである」と。

私の今年の読書課題は、太宰治である。政治と文学派や近代文学派から太宰治に張られたレッテルをはがすことが、戦後文学の見直しになるのではとの希望的予感もあるのだが、その前に、竹内好の以下のもうひとつの見解について、少し考ええおきたい。これは、今回の中国行きでの私の課題でもある。
「戦後に魯迅を読むことを通してある仮説を立てたわけです。それを簡単にいいますと、近代化には複数の型があるのじゃないかということですね。それを仮に日本型と中国型と呼んだわけです」(前掲書p208)という問題である。

果たして昨今の日中対立は、近代化の「日本型と中国型」の対立なのであろうか、大内先生からは「中国、アジア・インフラ投資銀行AIIBが提起しているもの」という持論時論が送られて来た。中国側が関心をもつのは、おそらくこの問題であろう。

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