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2015年12月21日 (月)

2015年5月15日 「革命いまだ成らず」

中国関係の本読み、今週は孫文関係を読んだ。以下、簡単にメモするところ。
孫文は、1866年に広東省の小作農の子に生まれ、13歳で兄のいるハワイに渡りそこでハイスクールを卒業、帰国後に孫文が中国で見たのは「清朝の腐敗と横暴、民衆の迷信と因習、旧態依然とした社会」であり、これは後に日本留学の帰国後に魯迅や他の留学生が見たものも同じである。中国に戻った孫文は、洗礼を受け、医学を学んで学位をとり、マカオで医師開業をするのだが、医者になるのを止めた魯迅が中国人の精神を改革しようと文学の道にすすんだように、孫文は1894年にハワイで興中会を立ち上げると、清朝打倒、共和国創建の革命運動を開始する。その後30年間にわたる孫文の革命運動は、蜂起とその失敗、軍資金集めや政治工作のための欧米や日本への行脚と亡命つづきで、日本には十数回来日し、通算9年間もの亡命生活を送っている。

孫文が日本を訪れたのは、日清戦争後の1985年に広州での蜂起に失敗して亡命したのが最初で、孫文は日本政府の支援を期待するも対応は冷たく、実際に孫文を支えたのは宮崎滔天ほかの民間の有志であった。1905年に孫文は、東京において興中会と黄興らの華興会、章炳麟らの光復会を中心として中国革命同盟会を結成、その機関誌『民報』で三民主義と五権憲法を展開した。1911年に辛亥革命が起こり、1912年に孫文は南京で臨時大統領に就任して中華民国の成立を宣言するも、革命は袁世凱に裏切られ、1913年に日本に亡命する。2年9ヶ月間の亡命生活は頭山満がめんどうをみるのだが、日本政府には孫文のような大アジア主義の理念はなく、それどころか1915年に中国に21か条要求をおしつけて、孫文への対応も中国における日本の権益の拡張に利用できるかどうかの様子見だけの対応であった。

孫文は大アジア主義を唱えて、西欧にまさる民主主義国家をアジアで実現しようとした。孫文といえば三民主義で知られるが、それは吉野作造の民本主義のように天皇制と妥協した日本的な疑似民主主義概念なのではない。それどころか孫文は、欧米先進諸国の制度には不備な点があるから、新生中華民国ではそれをより完全なものにしなければならないと考えて、三権分立の立法・司法・行政の三権のほかに、それらと同じ重みをもつものとして、考試権と監察権を加えて五権分立とした。考試とは適材を選抜するための試験のことであり、監察とは官僚の不正を防止するためのものであるという。昨今、議会制民主主義の不備に対するカウンター・デモクラシーが言われ、官僚は資本家階級や労働者階級と並ぶ官僚階級であることが指摘され、革命の要諦は労働力商品と官僚階級の止揚にあるとされるのを見れば、この孫文の慧眼は圧倒的である。

孫文は大アジア主義の実現のために、欧米列強との不平等条約を解消したアジア唯一の独立国であった日本と手を組みたいと考えたわけだが、日本は脱亜の果てに欧米の帝国主義列強と同列かそれ以上に中国への侵略と利権の拡大をはかり、そのアジア主義も侵略の建前のものでしかなかった。1924年に国民党第一次大会が広州で開かれ、国共合作が成立すると、孫文は国民会議招集を呼びかけて北上し、その途中に日本に立ち寄り、神戸で2000名の聴衆を前に大アジア主義の演説会を行い、以下(要約)のように訴えた。
「西洋の物質文明は武力の文明、覇道の文明であり、東洋にはそれよりすぐれた王道の文化がある。王道の文化の本質は道徳、仁義である。アジアを復興させるためには、大アジア主義の下に、王道を基礎としたアジア諸民族の連合を図らねばならない。日本は、西洋の覇道の番犬ちなるのか、東洋の王道の干城となるのか、慎重に選ぶことにかかっているのです」と。

孫文は、この演説の3月半後に北京で病没した。死の直前に遺した言葉は、「革命いまだ成らず」であったという。60年の人生のうちの9年間を日本で過ごした孫文は、日本に対して何を思ったであろうか。最後まで彼を支えようとした数少ない友人への感謝のほか、日本政府に対しては失望しかなかったであろう。脱亜をめざして帝国主義にそまった日本は、孫文の唱えた大アジア主義を理解できなかったわけだが、その構造は脱亜の果ての敗戦を経て、今も日米同盟として継続している。

私は労農派で世界システム論的発想だから、アジア主義についてはこれまであまり得意ではなかった。しかし、現在の中国をどう見るのか、習近平をどう評価するのかといった時に、やはり中国的スパンでものを見ないと中国は理解できないだろうと思うようになった。文京区の白山上にある白山神社には、その近くに住んでいた宮崎滔天の家に泊まった孫文が、滔天とふたりで神社の石段に座って革命を語り合ったという石段が飾ってある。滔天が理解できなかったのは、孫文の大アジア主義の思想の持つ長いスパンであり、ふたりが共に分かち合ったのは道徳と仁義であったと思われる。短い中国行きだが、アジアから国家や個人を考えてみたくなった。

日本の「土着社会主義」と時代を同じくする中国革命関係読書は、あとは魯迅を再読するだけとなった。今回は上海→北京→紹興の魯迅記念館を回るから、これがいちばん大切な読書であろうか。

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