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2015年12月21日 (月)

2015年2月23日 「柄谷行人氏による期待どおりのモリス評価」

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昨日の朝日新聞の書評欄に、柄谷行人氏がモリス&バックス『社会主義 その成長と未来』の書評を書いていた。この本は、大内秀明氏が『土着社会主義の水脈~』と同時進行で翻訳をすすめ、出版記念会もいっしょにやった謂わば兄弟本です。そして、柄谷行人氏は下記にあるように期待どおりのモリス評価をしてくれている。

「ウィリアム・モリスは現在の日本では、特に室内装飾のデザインで知られている。・・彼はまた、『ユートピアだより』を書いた、空想的社会主義者として知られている。事実、モリスはアーツ&クラフツ運動の指導者であり、また詩人であった。
しかし、ほとんど知られていないのは、彼がイギリスで、マルクスの生存中に、最初期のマルクス主義者として活勤したということである。モリスがマルクスについて知ったのは、20歳年少のバックスを通してであった。バックスは音楽を専攻するためにドイツに行ったが、マルクス主義者として帰国した。マルクスの三女エリノアとともに、彼らは1885年に社会主義同盟を結成した。また、彼らは本書を協同で書いた。
興味深いことに、モリスは、日本では明治から大正にかけても高名であったが、もっぱら社会主義者としてであった。たとえば、幸徳秋水や山川均は、本書を社会主義に関する必読書として紹介している。では、なぜこのような逆転が生じたのか。一つには、ロシア革命以後に、ロシア的マルクス主義が圧倒的に強くなったからだ。モリスは、イギリスの現実にもとづいてマルクスが書いた『資本論』の認識を踏まえつつ、オーウェンやラスキンなどイギリスの多彩な社会主義の伝統を受けついで考えた。が、ロシア革命以後、そのような試みは黙殺された。その結果、モリスはたんに芸術家・詩人と見なされるようになったのである。
とはいえ、どちらの面が重要か、と問うべきではない。それらは分離してはならないし、また、分離できないところに、モリスらの「社命主義」の神髄がある。1893年、すなわち日清戦争の前年に出版された本書は、現在、読みなおす価値のある古典である」と。

先の出版記念会で、佐藤優氏は「日本のインテリの思考型は90%が講座派からのものです」と言っていた。これはロシア革命後にロシアから入って来た共産党型のマルクス主義が戦前~戦後を通じて日本のインテリとその思考パターン、さらには文学や芸術にまで大きな影響を与えたということであり、戦後は共産党だけでなく、共産党を抜けたインテリや反共産党を唱える新左翼も含めて、日本の左翼や駄インテリのロジックは、大方は今もなおそうだということなのであろう。これが、これまでモリス&バックス『社会主義 その成長と未来』が翻訳されなかった背景であろう。

そんなこともあって、戦後も70年近く経ってから、昨秋に『土着社会主義の水脈を求めて 労農派と宇野弘蔵』(社会評論社)と『社会主義 その成長と未来』(晶文社)を出したわけで、おかげさまで両書とも売れ行きは順調、『土着社会主義の水脈を求めて 労農派と宇野弘蔵』は残り部数は少なくなった。柄谷行人氏は、「1893年、すなわち日清戦争の前年に出版された本書は、現在、読みなおす価値のある古典である」と書くわけだが、「日清戦争の前年に」にどんな意味があるのかを考えてみたい。

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