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2015年12月22日 (火)

2015年12月18日『民芸なくらし』

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社会評論社の松田社長から丸山茂樹『民芸なくらし』(2015.11)という新刊書をいただいた。知り合いの協同組合研究家に丸山茂樹さんがいるけど、本書の著者は別人である。民芸とは民衆的工芸の略で、無名の職人が手作りする安価で実用的な生活用具のことで、それの持つ「用の美」を発見した白樺派の柳宗悦、陶芸家の河井寬次郎、濱田庄司の3人は1924年頃に出会って、以後その「民芸なくらし」を広めて行く。丸山茂樹『民芸なくらし』には、柳、河井、濱田、それにバーナード・リーチを加えた人々の出会いと交友が描かれている。

私が民芸にふれたのは、6年前に上野の東京都美術館で「生活と芸術 アーツ&クラフツ展」で、大内秀明氏と観に行ったわけだが、会場にはモリス関係の展示と並んで、後に三国荘と称された民芸館が再現されていた。そこで私は柳宗悦の『民芸とは何か』を買って読んだのであったが、2年前に中見真理『柳宗悦』(岩波新書2013.7)が出たので読んでみると、柳宗悦の運動とその時代は、この間に大内秀明氏と私が本にまとめた時代や現代とも重なるのであった。キイワードは「生活と芸術」であり、その流れの中に宮沢賢治の羅須地人協会や民芸運動もあるわけである。

丸山茂樹『民芸なくらし』を読了後、そういえば多岐祐介氏も柳宗悦のことを書いていたなと思い出し、彼の『文学の旧街道』(旺史社2002・2)から「不可能性の美学」と「柳宗悦と朝鮮」を今日1日かけて読んだ。多岐祐介氏はこの文章を30歳そこそこで書いたわけだが、彼は20代にいったいどれほどの本を読み思索したのであろうかと感心する。上記3冊の中では、多岐祐介氏の論考が一番残る。多岐祐介氏はこう書く。「(柳宗悦が)朝鮮の値打を発見した眼差で、日本を振返ると、そこに民衆の日本、民芸の日本が見えた。朝鮮との出会いは、柳宗悦にとって、自己確認の試金石であり、朝鮮美観の深まりは、洋学派知識人柳宗悦の日本回帰への過程だったといえる」(『文学の旧街道』p248)と。そして、それにつづけて柳宗悦の『李朝陶磁器の特質』から以下を引用する。
『丁度あの仏蘭西を中心としたゴシックの時代芸術が去った時、個人芸術がその位置を占めたのと同じである。宗教芸術はかくして民衆の温かい所有から去って了つた』と。

この観点はラスキンのゴシック評価と同じであり、昔から文学よりは啓蒙、「文学と革命」の二元論派の私は、どうしても話を運動の方に持って行きたくなる。柳、河井、濱田の3人が「下手の美」を探して全国を歩き回ったちょうど同じ頃、宮沢賢治は花巻で「羅須地人協会」をひっそりと立ち上げた。そしてこの二者は別物かというと、私的にはまったく別物ではないのである。1月9日に仙台で、大内秀明氏らが「宮沢賢治誕生120年 1/9賢治農民芸術祭」を行い、そこには宮城県内のほぼ全ての協同組合組織が参加する。そしてこの運動は、いま韓国で急激に広がりるるある協同組合運動に通底している。朝鮮の美を発見した柳宗悦は、1924年に朝鮮民族美術館を京城に開設し、いま私たちは韓国の協同組合運動に学び連帯をすすめている。今日は一歩の外出もせず、酒も飲まずに本を読んだのであった。

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