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2015年12月21日 (月)

2015年10月16日「太宰治と石上玄一郎」

昨日の朝日新聞の夕刊に、戦前に太宰治が下宿した杉並区天沼の碧雲荘が取り壊されるという記事があった。そして今朝、石上玄一郎の『太宰治と私』という本を読み終えたら、その最後の場面に、石上玄一郎が金の工面のために「思いあぐんだ時とっさにひらめいたのが太宰のことだった」とあり「杉並区天沼一丁目の碧雲荘」に太宰治を訪ねたところで物語が終わっていたのは何かのシンクロだろうか。石上玄一郎は弘前高校で太宰治と同期で、左翼体験をしている。太宰治も大学に入ってから共産党のシンパ活動やっており、昭和10年代には二人ともそこから足を洗って小説を書くようになる。いわば二人とも脱コミンテルン系のもの書きで、一時、石上玄一郎は労農派系の猪俣津南雄の世話になっている。私の書いた『土着社会主義~』は労農派論であるわけだが、猪俣津南雄についてはふれていない。それは、書いた時代が大正期までであったせいでもあるのだが、続編を書くならふれてみたいところ。猪俣津南雄は山川均の『共同戦線論」に対して、労農派のわくを超えて共産党との共闘をめざす「横断左翼論」を唱えたわけだが、彼の直系の労働運動の活動家であった高野実は、戦後に総評の事務局長になって「地域ぐるみ闘争」を唱え、その流れの地域労働運動の中に、いわゆる自主生産闘争もあったと思うからである。初夏の頃から読み始めた『太宰治全集』全12巻は、真夏の頃に7巻までを読んだところで中断している。残るは戦後編なのだが、その前に石上玄一郎に引っかかったわけである。明日は、鎌倉孝夫氏の出版記念会に行く予定。

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