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2014年7月 8日 (火)

梅雨の読書

今朝は朝から晴れだ。今年の梅雨は入りも早く、時折は雨季の如くに降る雨、雨と曇りばかりの日々がもう1ヶ月もつづいて、頭にカビがはえたようで、どうもテンションが上がらない。雨の日は、昼間から寝転がって本を読むくらいしかやることがない。最近読んだ新刊書から、伊藤洋志『ナリワイをつくる』(東京書籍2012.7)、高坂勝『減速して自由に生きる』(ちくま文庫(2014.1)と内田樹『街場の共同体論』(潮出版2014.6)の3冊がおもしろかったので紹介しておくところ。

140616伊藤洋志『ナリワイをつくる』(東京書籍2012.7)は、副題に「人生を盗まれない働き方」とある。目立たない本だけど、私の買ったのは第5刷、こういう本が読まれているのはいいことで、著者と同様の若い人に読まれているのだとすれば、なおさらのことである

著者はこう書く。「ナリワイとは、ハードな自給自足でもなく、生活より利益優先のバトルタイプ資本主義ファイターでもない、ぼちぼち稼ぐ暮らし方を目指す」と。大正9年の国税調査では、当時の日本には35,000種の職業があったという。それが現在の厚生労働省の分類によれば、2167種類しかないという。産業の大規模化と専業化によって、人々は労働者化されてナリワイをなくしたわけである。

著者はこうも書く。「貨幣経済がグローバル化して、比較競争できるビジネスは世界レベルで競争が起きていく。そんな時代に、どういう働き方・暮らし方があり得るか」。「競争とは無関係な部分をつくり出し、生活をゆるぎないものにする一つの作戦が、個々人が時分のナリワイを持つことである。自分でつくった小さな事業が、直接目に見える人に役に立ち、仕事になる、これはとても面白い」。「ようは、なんでもいいから自分でサービスを考えて誰かに提供することを、試行錯誤すればいい」と。

伊藤洋志氏1979年生まれだから、私より30歳わかいわけだが、50歳で会社勤めを辞めて私がやろうとしたことは、まさにこの本に書いてあるとおりのことであった。食うためにDTP仕事のナリワイをつくり、足りない分はあれこれとバイトし、NPOをやったり、DTPを兼ねて遊びのイベントを仕掛けたり、収入は少ないなりに人生を楽しんできた。今年で私は前期高齢者になってしまったが、今私が就活する立場であったら何をするだろうかと考えると、おそらく伊藤洋志氏と同じように発想するだろうと思われる。

140704高坂勝『減速して自由に生きる』(ちくま文庫(2014.1)は、副題が「ダウンシフターズ」。下方にシフトする生き方、がんばらないで減速して生きることのおすすめである。高坂勝氏は1970年生まれで、30歳で大手流通会社を退職して、自分の好きなこと、好きな音楽を流してギターも弾いてとかで、池袋で6.6坪のBARを始めたわけだが、ここにいたる経過がまずおもしろい。BARは一人でも出きるようになるべく小さい店にしてと始めたわけだが、そのミニマム主義に共感する人々が集まるようになって、「繁盛しないことを目標にした」そのBARは現在では週休3日でもやっていけるようになり、次に空いた時間で千葉の匝瑳市で米と大豆を自給する「半農半BAR」生活をも始めた。これがまたおもしろい。

高坂勝氏は、匝瑳市で米と大豆を自給する「半農半X」の人々も増えて、これからはみんなが好きなことをして暮らせるような「総自給自足的社会」「総自営業的社会」をオーガナイズしながら社会変革をめざしているという。会社勤めを辞めた後、私は「脱就労者のコミュニティ」づくりみたいなことを考えてきたところだが、やはり仲間づくりは高坂勝氏のように、実践を通じてやるのがよいと思うところである。

140704_2内田樹『街場の共同体論』(潮出版2014.6)は出たばかりの本で、内田樹氏は1950年生まれ、フランス思想を専門とするけっこうネームの学者であり、合気道の師範でもある。そして近年大学を退職して、神戸に凱風館という合気道の道場、「武道と哲学のための学熟」をつくった。内田樹氏は、「市場原理で壊された社会を元に戻すには、この社会の中に局所的に<非市場原理主義的な場>を作り上げるところから始めるしかない」と言い、「非対照的な人間関係の再構築」「縦軸の人間関係を取り戻す」と言い、そこはやせ細った「公」と肥大化した「私」の間にある「セミ・パブリックな共同体」の標準になるだろうと言う。

協同組合などは、「官」と「民」の間にあって「共」の領域を自認するところだが、「共」が「相互扶助」で「平等」的であることに対して、内田樹氏の「セミ・パブリックな共同体」は、世代と世代を「パス」でつなぐ「共同体」であろうとしている。これも誰かがやらねばならないことであろう。

以上の3氏に共通するのは、「貨幣経済がグローバル化して、比較競争できるビジネスは世界レベルで競争が起きていく。そんな時代に、どういう働き方・暮らし方があり得るか」、「庶民を巨大経済システムのもとで働かせて給料を渡し、余分で必要のないモノを消費させる」資本主義のシステムと、そのシステムに合わせて働かざるを得ないサラリーマンや、そのシステムを前提にそこに就活する若者と、そういうものとしての現在の学校教育に対する違和感であり、それに対して「足るを知る」「身の程を知る」「貧乏だけど、愉快に暮らす」生き方の提案であろうか。

私が会社勤めを辞めた頃は、「自営業者のコミュニティ」づくりなどと言ってもよく理解されなかった。それを目的につくったはずのNPOも、その仲間が「生業づくりよりも正規の就職だ」とか言い出してつづかなくなってしまったものだが、『ナリワイをつくる』、『減速して自由に生きる』、『街場の共同体論』などを読むと、10年前とは時代が変わっているなと思わされる。高坂勝氏も書いているが、2008年のリーマンショクから2011年の3.11を経たあたりから、やはり時代の潮目は変わっているのかもしれないと思わされる。

内田樹氏は「まえがき」に以下のように書いている。
「社会システムの舵取りをしている人たちが幼児化しています」。「今日本で進められているさまざまな『改革』は、あと何十年かすれば、『あんなことをしなければよかった』と、みんながほぞを噛むようなことばかりです。『あんなことをしなければよかったこと』だけを、官民挙げて選択的に遂行しようとしている」。「日本人が自分たちの犯した失敗に気づくまでの間に、日本はどれだけのものを失うでしょう」と。

私は今、昨年の秋に仙台で立ち上げられた「仙台・羅須地人協会」の東京支部をつくろうと思っている。「仙台・羅須地人協会」は「文明の転換による東北の復興」をミッションにして、宮沢賢治の「羅須地人協会」とウィリアム・モリスの「アーツ&クラフト運動」にインスパイアされてつくられた。内田樹氏は「セミ・パブリックな共同体」としての「学びの共同体」を言うわけだが、とりあえず「仙台・羅須地人協会」東京支部(※通称「東京・羅須地人協会」)は、上記の3著から学べば、①「半生業半X」的働き方、②「都市における農業との関わり」、③「自由な個人のコミュニティ(共同体)」みたいなものとして動き出そうと思うところです。もし、ブログを読まれた奇特な方で、ご関心のあります方は、とりあえず「仙台・羅須地人協会」にご参加下さい。そして、ご自分の住まわれる地にそれぞれの「○○・羅須地人協会」を立ち上げてください。連帯しましょう。

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