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2013年11月21日 (木)

友愛会

131121_2昨日は仙台ヒデさんが東京に来て、御茶ノ水の総評会館で打ち合わせ。今日は午前中に仙台ヒデさんと芝の友愛会館に行った。友愛会館には戦前の友愛会の労働運動の資料室があるから、一度行きたいと思っていたら、先週お会いした石井一彦氏からそこの長事務局長の間宮悠紀雄氏をご紹介いただき、ていねいな対応をいただいたところであった。

芝公園の近くにある友愛会館は総評会館の何倍か立派なビルで、その中に友愛労働歴史館がある。友愛会というと戦後に安部磯雄、高野岩三郎、賀川豊彦らが呼びかけ人になって、日本社会党に結集するも、そこから分かれて西尾末広らが反共社民として民社党を結成したから、左派からは批判の対象となったわけだが、歴史的にみれば、日本の労働運動のルーツであり、戦前の労働運動の主流派であり、友愛会館も戦前の運動の中から獲得されたものでった。

友愛会館のある場所は、明治27年にユニテリアン教会惟一館が建設された場所で、日本に社会主義思想を持ち込んだ安部磯雄らのアメリカ帰りのクリスチャンたちは、そこを拠点にして『六合雑誌』などで欧米の社会主義思想を日本に知らせた。そして大逆事件後の冬の時代に、高野岩三郎の教え子でユニテリアンであった鈴木文治は、大正元年にそこで友愛会を結成したわけである。そうは言っても、ではなぜユニテリアン教会が社会主義や労働運動に結びついたのか、いまいち分からないところがあったわけで、いろいろと勉強になったところであった。

また、総評会館も以前は芝にあったし、日本の第2回メイデイは芝の埋立地で行われおり、東京地評も浜松町辺りにあって、あの辺りは労働運動と所縁の場所なのだなとは思っていても、なぜそうなのかはよく分からなかった。明治の頃はあの辺りまで海であったようだから、銀座の隣の築地のように、外国からのものが入りやすかったのだろうくらいに思っていたところであった。

友愛会の歴史の展示の最初が福沢諭吉から始まるわけだが、間宮氏は「福沢諭吉がいなかったら友愛会もなかったであろう」と言っていた。それはユニテリアンを日本に呼んだのは福沢諭吉であったからだという。福沢諭吉は日本の近代化のために、当時ハーバード大学の神学部にあって、あまり説教くさくないユニテリアン派を日本に呼び、自らの慶応義塾の近くの芝に教会の場所を斡旋したということであった。そこで、福沢諭吉とユニテリアン教会惟一館での労働運動を許したマッコーレイ牧師が、最初に並ぶわけである。

『六合雑誌』全巻を収録したDVDも手に入れたから、いい資料になる。友愛会については、まだ見直すところも多い。宿題の多い冬になりそうである。

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