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2013年6月14日 (金)

宇野弘蔵と福本和夫・つづき

前回書いた「宇野弘蔵と福本和夫」について、石見尚氏に意見を求めたら、「平山昇氏の『宇野理論と労農派』についての感想的意見」という返信があった。向坂派でない労農派論の形成と宇野理論のルーツ探しを始めたら、かつて私淑して学んだ石見尚氏の協同組合論に戻ってしまったところだが、石見尚氏が福本和夫の直系であり、いま宇野理論を学んでいる仙台ヒデさんこと大内秀明氏は宇野弘蔵の直系であるから、結局私は、宇野弘蔵と福本和夫が留学から帰国する船上で交わした会話の中をぐるぐると回っているだけなのかもしれないと思うところ。

石見尚氏からの返信には「貴稿の文中に福本和夫氏や小生の名前も登場しますので、それに関する限りの問題で、世に見落とされている大切な事項二つについて述べます」とあり、「1 福本氏の明治維新ブルジョア革命説について」と「2 資本論第3巻について」の2点について書いてあり、最後に「私は、資本論、特に第三巻からアソシエーション的生産様式による資本主義を超える社会体制の可能性を導き出しました。それはまた国家資本主義・社会主義の否定です。そしてスターリン社会主義経済学を批判しました。批判の点では一部、宇野氏と同じですが、論拠は違います」とあった。

石見尚氏の『福本和夫』には、「宇野理論の体系を示すものとして、多くの信奉者を作り出した『経済学方法論』(1962)が宇野によって著わされたとき、福本は宇野から寄贈をうけた。福本はところどころ傍線を引きながら読んだ跡のある同書を私に与えて、検討してくれと言った」(p66)とある。そこで石見尚氏は、前々回の日記「宇野弘蔵と福本和夫」に引用した宇野理論についての見解をまとめたようであるが、1962年に福本和夫と石見尚氏は雑誌「マルクス主義公論」(1962年7月)に特集「社会主義と生産協同組合の問題」をまとめる。石見尚氏が「福本和夫と私とが、あらましこのようなことを話し合って作った」というその論旨を私的に引用すれば、以下●のようになる。

●「福本和夫と私は、60年安保闘争の一段落した1962年の初め頃から、スターリン主義を発生させたソ連の政治経済機構について検討した」、「私たちは、マルクスが『コータ綱領批判』(1875)で述べる意見と、エンゲルスが『反デューリング論』(1878)第三編「社会主義」で行なう説明との間に微妙な差異があることを問題にした」、「社会主義への移行にかんするエンゲルスの不十分な説明は、国家と党の揚棄を曖昧にした。スターリン主義の政治集団がエンゲルス説を悪用して、過渡的国家とそれに従属する未熟な企業組織を、やがて国家資本主義として体制化し固定化していく余地を残したのである」
●「協同組合工場のように生産過程が連帯しあう個人の集団によって統治される経済組織が発達しなければならない。農村においても、協同組合工場に相当する、自治と自己教育を基本とする経済共同組織が必要である。それは、個人農民が出資し管理運営する生産協同組合である。そして、都市、農村の大衆が習熟した生産協同組織の運営原則を応用した、各種の社会団体、文化・教育団体などが地域社会と共和国を形成する。これが、マルクスが想定していた社会主義であろう」
●「マルクスはその研究過程で、協同組合的様式による生産体制が、資本主義経済を揚棄する可能性をもつことを発見した。つまり資本主義的市場経済では、価値法則は個々の生産者から独立し、あたかも人間の外部にある自然法則のように働く必然性を帯びたのであるが、協同組合生産は人間組織の内部に価値法則を内在化し、市場価値法則による疎外を人間社会の内部で克服する条件をもつ点に着目した。それは『資本論』第1巻第11章での、マンチェスターの労働者と資本家との共同所有の針金製造工場についてのコメントにあらわれ、第3巻第39章で、「資本制的社会形態が揚棄されて社会が意識的かつ計画的な組合(アソシエイション)として組織されると考えてみれば、10クォターは、240シリングに合まれているのと同等量の自立的労働時間を表示する。だから社会は、この土地生産物を、それに合まれている現実的労働時間の二倍半では買い取らないであろう」とのべている。これは、協同組合的生産がひろく社会に普及した場合には、市場経済が生み出す虚偽の社会的価値によって、商品の価値が評価されるのではなく、商品経済があっても価値法則はそのまま通用するのではないことを、差額地代に即してのべた注目すべき箇所である」
●「マルクスは社会主義における国家の死滅を、アソシエイションによる分権的計画経済とその自主管理体制または自治の進展と不可分に結びつけて考えていたことが、以上によって理解できるであろう。マルクス主義では、国家が先導して、国家に従属した協同組合を育成するということはありえない。その逆である。協同組合的な自主管理の原理、方式が定着し、社会統治制度にまで発展することによって、新しい市民社会の文字どおりの民主政治が同時的に成長し、古い国家−資本家国家であれ、労働者国家であれ−に交代していくのである。だから、マルクスは『ゴータ綱領批判』で、労働者国家が総労働の社会主義的組織を発生させるために、国家補助により生産協同組合を設立するという、ラッサールの国家社会主義を断乎として斥けるのである」と。(p109-116)

1962年に福本和夫と石見尚氏の間でこういう議論がなされた背景には60年安保闘争やスターリン批判があり、宇野弘蔵から贈られた『経済学方法論』(1962)があったのかもしれないが、もうひとつ戦後の福本和夫には『日本ルネッサンス史論』というライフワークがあり、それが着想されたのは1936年、釧路の獄中であったという。そして「その着想のモメント」について、石見尚氏はこう書く。「この謎を解く鍵は、労作『日本ルネッサンス史論』自体のなかに見出される。それは、この学術的研究書のなかに不協和音ともおもわれる、かつての日本資本主義論争にたいする批判が挿入されている点である。すなわち明治維新の革命の性格やその後の日本国家の権力の規定について、封建派と労農派の見解にたいして、自説を展開せざるをえないという筆の異常なはみ出しが、その動機を物語っている」と。

宇野弘蔵は、『中央公論』1935年11月号に「資本主義の成立と農村分解の過程」を書くが、これも「講座派と労農派の見解にたいして、自説を展開」するところにモチーフがあったと思われる。獄中の福本和夫がこれを読んだとは思われないが、ふたりのモチーフに通じるものがあるのは、1930年代という時代のせいであろうか、船上で交わした会話のせいであろうか。

留学からの帰国の船上で議論して「ケンカ分かれになった」という福本和夫について、宇野弘蔵は「ぼくはどうもコルシュじゃないかという感じをそのときからもっていた」と語っている。経済学部出身でひたすら『資本論』を勉強してきた宇野弘蔵は『資本論』の経済学を語り、法学部出身でルカーチやコルシュにも会ってきたという福本和夫はひたすら唯物史観について語たものと思われる。帰国後、宇野弘蔵は東北大学の先生になり、福本和夫はコミュニズム運動のリーダーになった。

大学生になって向坂逸郎編の『マル・エン選集』(新潮社)でマルクス主義入門をした私は、その後ルカーチやコルシュを読んで刺激を受け、その後宇野弘蔵を読んで、「脱労働力商品的に生きることが社会主義につながる」と思い、その後を生きた。そんなことを思い出しながら、留学からの帰国の船上で宇野弘蔵と福本和夫はどんな議論をしたのかを想像すると、自分の考えていることなど、結局は自分がしてきた読書の世界を円環しているだけだと思わされる。

資本主義の矛盾は「生産力と生産関係の矛盾」であるとする所有論的アプローチからすれば、石見尚氏の書くように、社会主義とは生産力と生産関係の矛盾を止揚するものとしての「協同組合的所有と協同組合共同体」となる。一方、資本主義の矛盾は「労働力商品化の矛盾」であるとする宇野理論からすれば、社会主義とは労働力商品化が止揚された社会である訳で、私はそれを「脱労働力商品化した人々によるコミュニティ」であると考える訳だが、「協同組合的所有と協同組合共同体」を否定するつもりはない。それもあるし、「共同体」や「アソシエイション」や「コミュニティ」はもっと多様にあるのだと思うところで、そのつなぎ方を考えるところ。それが、私の「労農派論」であろうか。

130613さて、こうなると、次はやはり山川均の共同戦線論、「宇野弘蔵と山川均」について考えてみようと思うところで、図書館に『山川均全集』をリクエストした。今週はやっと梅雨らしい日々となったから、外出はひかえて、本を読むにはちょうどいい。梅雨は、あと1ヶ月くらいだろうか。梅雨が明けたら何をするか、今年は昨年行かれなかったキャンップをしに行こうと、ネットでキャンプ用のコンロとチェアを注文して、昨日届いた。梅雨明けを楽しみにしながら、当面は読書を楽しむところである。

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