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2013年4月30日 (火)

仙台・羅須他人協会

2013_127日から、バイクで仙台ヒデさんの作並の館に行ってきた。恒例の労農派と宇野理論の研究会ではあるのだが、だいたい途中で飲み始めてしまうのであった。今回もそうで、館での研究会を早々に切り上げて、温泉宿で夕食しながらの2次会となった。それでも、仙台ヒデさんがレジュメを用意してくれていたので、進捗のメリハリは立つのである。

ひとつは、これまで論議してきた「労農派論」の概要が示された。もうひとつは、「仙台・羅須地人協会」の概要が以下のように示された。

1.「仙台・羅須地人協会」設立の趣旨
 東日本大震災は、福島第一原発事故など、未曽有の災害をもたらしました。それは近代科学技術文明の転換を迫るものであり、リーマンショックやソブリン危機など、近代社会の資本主義経済の歴史的限界も明らかです。しかし、日本を初め先進諸国の故治・経済・社会の現状は混迷を深め、歴史的展望を完全に喪失しています。こうした現状を打開し、人類の未来に新たな展望を切り開く思想的営為が急務である、と考えます。
 われわれは、ロバート・オーエンからカール・マルクス、ウィリアム・モリスなど、先覚の「協同体的社会主義]のビジョンを正しく理解し、宮沢賢治による「継承の精神」を学び、社会変革の主体を形成するための思想団体を設立したいと思います。

2・「仙台・羅須他人協会」が目指す「新しい学校」の入学案内
 「仙台・羅須他人協会」が目指す「新しい学校」は、「3・11東日本犬震災」の様々な体験、その痛ましい犠牲の上に、近代工業化社会の科学技術文明の転換を目指してスタートします。今や近代社会の政治も、経済も、すでに歴史的限界を迎え、特に日本を始め先進諸国の生活も文化も混迷を極め、歴史的展望を喪失しています。こうした閉塞状況を打開し、人類の新たな展望を大胆に切り開かねばなりません。
 近代工業化社会が要請した、近代的な労働力商品=賃金労働の再生産のための学校教育もまた、制度的な疲労を露呈しています。近代的な労働力のための義務教育、そして大学などの高等教育も行き詰まりを示し、特に目本では終身雇用制の崩壊により、「義務教有一入試のための進学教育一一流企業への終身雇用」のエスカレーターは、今や運転不能、機能麻蝉の状況に近づいています。 6・3・3制の学制そのものが問われ始め、何のための大学進学か?その根本が問われています。大学を卒業しても、不安定な不正規雇用、さらに個人請負、ニートやフリーターなど、産業予備軍入りでしかない。
 かつてウィリアム・モリスは、ロンドンのテムズ川の河畔・ハマスミスの地で、職人学校「ハマスミス社会主義協会」を開いて、「共同体主義」の自由な教育を試みました。さらに宮沢賢治も、花巻の北上川・「イギリス海岸」のほとりに、農民学校「羅須他人協会」を実践しました。我々の目指す学校は、彼らの志を受け継ぐものです。官僚国家の上からの強制的な義務教育ではない。終身雇用のサラリーマン生活を目指すものではない。賢治が自ら花巻農学校の教師を辞し、「他人」としての地域の人材育成のために命を賭けた、新しい自由な開かれた学校を創造したいと思います。

以上をどうカタチにしていくのかが、これからの課題となる。とりわけ「自由な開かれた学校」は、復興のための「共同センター」の事業として、「仙台・羅須他人協会」のほかに、大阪には関西生コンが中心になって、1922年に賀川豊彦を校長にして大原社会問題研究所の高野岩三郎がつくった「大阪労働学校」の精神を引き継ぐものとしてつくられる予定である。

今回私は、来てくれた友人と作並の安いけどとてもいい温泉宿に2泊した。むかし協同組合の研究会をやった農業経済学者の野中章久さんと都市工学を研究する通称・野次馬の視線さんが来てくれて、夜遅くまであれこれと語った。次の機会には、さらに多くの方が来てくれることを期待している。

私は例年どおりバイクで行ったのだが、昨年のGWに行った後に、私は耳の病を患ってツーリングからは遠ざかっていたところであったが、小型バイクでのリハビリの甲斐あってか、なんとか長距離ツーリングもできた。作並までの片道は約400km、行きは7時間かけて休み休み走ったが、帰りは休憩は2度だけで、ばんばん飛ばして5時間で帰って来たところ。写真は、「賢治とモリスの館」とSW400GT作並エキスプレス号。

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2013年4月25日 (木)

ほとんど「原発は安全です」のレベル

20130424 昨日は、未来の党の政策フォーラムに行って来た。政策フォーラムと言っても議員は阿部知子さん一人で党首も兼任の党、今回の参加者は前回よりも10人少ない20名であった。今回のお話は、河北新報論説委員の矢野奨氏から「東北再生への提言」をうかがった。

被災地では非日常の日常化がすすんでいて、何も好転しない状況が日常化しているとのこと。福一の近くで人が住めないほど汚染された町村では、町村ぐるみで福島市や郡山市やいわき市に「仮の町」をつくって移住しているが、移住先の住民との間に対立も生まれているというし、福島県全体でも福島に残って暮す人と、福島から出て行った人の間で、風評をめぐって対立が生まれているという。

矢野奨氏は、移住先で閉鎖的な「仮の町」に対して、移住先における「仮の住人」とか「ソフトな仮の町」といったことを提起していたが、被災地との関係を考える上で大いに参考になることであった。

私の住む街に新しく出来た高層の公務員住宅には、福島からの被災者が1000人以上住んでいる。近くにある生協では、組合員さんが店舗の上にあるスペースで福島からの被災者の方を招いて料理教室をやっている。昨日の朝刊には福島の酒を飲んで、福島の蔵元を応援しようとする人たちが紹介されていた。まあ、なんでも出来るところである。

先日、仙台ヒデさんは復興に向けて「協同センター・仙台」を立ち上げ、さらに作並にある自分の別荘を「仙台・羅須地人協会」として、ここで宮沢賢治の元祖「羅須地人協会」の再生と継続をしようとしている。私は、今週末にそこに行くのだが、そこに住んでいなくてどう活動するのか、考えてきたい。コミュニティを土地から切り離してソフトに考えれば、空間を隔ててでも自治体は可能であろう。何でつながるのか、である。

矢野奨氏によれば、被災した側からすれば、原発の再稼働などあり得ない話なのに、国は原発再稼働に向かって動き出し、被災地を訪れるボランティアの人たちも半減しているそうである。さらに、アベノミクスによる全国的な公共事業の拡大が、被災地におけ資材や人出の不足を生じさせ、復興の足かせになっているという。

昨今のアベちゃん、ナショナリズム丸だしにして中国、韓国のナショナリズムとのチキンレースを始めた。顔つきはまともな指導者とは思えないが、支持率は高いという。金融緩和でもTPPでもやってみれば、例えバブルだろうと景気はよくなるのではとの期待が大きいのだろう。しかし、アベノミクスへの期待など、ほとんで「原発は安全です」の神話を信じたことと同じレベルであろう。

私は、とりあえず阿部知子を応援する。よろしく!

※写真左は、衆議院第1議員会館から見た首相官邸。官邸も立派だが、新しい議員会館は宮殿のようであった。

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2013年4月17日 (水)

生活の柄の再構築

Photo_2歩き疲れては 夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋れては寝たのです
所かまわず寝たのです
歩き 疲れては 草に埋れて寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです
http://www.youtube.com/watch?v=XcUhACXKx7g

という高田渡の名曲があるけど、私の場合は歩き疲れないから眠れ~ないのです。昼と夜がズレたままで、夕方に起きて夕食後にお散歩をしてきたところ。働かない生活というのは、自分で律しないと生活がゆるくなり過ぎてしまう。そこで働かなくても、非稼ぎの仕事はしようと、あれこれと思うところ。

昨日、湯浅誠氏から「メールマガジン『湯浅誠からのお知らせ』へと登録させていただきました。このメルマガは、湯浅が名刺を交換させていただいた方々へ送らせていただいているものです」というメールがあった。昨秋に「反貧困」の集会で名刺交換したからであろうか、これからは「99%の貧困」化がすすむ時代だから、応援したいところ。反アベノミクス!である。

それから「未来の党」からも、4月24日の「政策フォーラム」の案内があったから、これにも行く予定。ここでは「卒原発」と「共生型社会(反貧困)」と「地方分権(コミュニティの構築)」と「平和構築(アジアとの連帯)」をすすめたいところ。
http://www.nippon-mirai.jp/news/index.php?Kiji_Detail&kijiId=14
「未来の党」がいいのは、小沢系が出て行ったおかげで、議員は阿部知子ひとりという「党」であって「党」でないところ。この可能性はおもしろい。阿部知子を応援しよう!

それから、来週末には作並にある仙台ヒデさんの「賢治とモリスの館」に行く。仙台ヒデさんはここをベースに、宮沢賢治の「羅須地人協会」の再生と東北の復興、W.モリス型のコミュニティ社会主義をめざして、「仙台・羅須地人協会」を立ち上げたところ。
http://homepage2.nifty.com/sakunami/
ここは実践の場であり、理論センターでもある。mizu-pさんと彼の中古の軽自動車で行って、1泊2食つきで6500円の安温泉宿に泊まり、研究会をやってくる予定。

安眠するには、やはり日中に適度に身体を使うのがいいのだろう。そこで、働いていなくてもと言うか、この歳になったからこそやれるようなことを、あれこれとやろうと思うところ。まあ、老後の生活の柄の再構築であろうか。

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2013年4月13日 (土)

コモンへの道

72_2  アントニオ・ネグリが、来日中だったようである。そんで、私もちょうど『コモンスウェル』を読み終えたところ。3月31日に上巻の感想を書いたから、今回は下巻のそれを書く。

三部作最初の『帝国』をグローバリゼーションの現状分析とすれば、2作目の『マルチチュード』は主体形成論であり、3作目の『コモンスウェル』は革命論であろうか。実際に『マルチチュード』の日本語版解説には、「ネグリ&ハートは・・すでに『帝国』三部作の最期を飾る本にとりかかりはじめている。それは・・暫定的に『革命』と呼ばれているそうだ」と書かれている。という訳で、『コモンスウェル』の最終章(第6部)の表題は「革命」である訳だが、私的に要約すれば、以下のような展開になっている。

「革命的共産主義が、同一性の解放ではなく自由への生成のプロジェクトであるためには、別の言い方をすれば、労働の解放ではなく、労働から自由になることのプロジェクトであるためには、労働者のアイデンティティを超える自己変容のプロセスが開始されなければならないのだ」(p206-7)。

「アイデンティティから特異性へと視点を転換させることにより、とりわけこのプロセスにおける革命的な瞬間〔=契機〕を明確にすることが可能になる。アイデンティティの観点からは、革命的プロセスは自己廃棄という形で否定的・逆説的にしか理解できないのに対し、特異性の観点に立つことで、それは姿態変換の瞬間として〔肯定的・積極的に〕とらえられるようになる。・・・特異性は〈共〉を多数多様性から成る領域として指し示し、それによって所有財産の論理を打ち壊す。所有財産にとってアイデンティティにあたるものが、〈共〉にとっての特異性なのだ。・・アイデンティティは同一性の解放を手にすることはできるかもしれないが、自由への生成を獲得できるのは特異性だけなのである」(p217)。

「アイデンティティの廃棄はまた、先に述べたような〈共〉の腐敗をもたらすすべての制度──家族、企業、ネーション〔=民族/国民〕といった──を打ち壊すことを必要とする。こうした破壊行為にはたいていの場合、支配権力に対する暴力的な闘いが合まれているし、それらの制度が今、私たちが何者であるかを部分的に規定するものであることから、流血をしのぐ苦痛を伴う作業がもたらされることも必至だ。革命は臆病なハートの弱い人間のためのものではない。それは怪物のためのものなのだ。自分か何になる〔=生成変化する〕ことができるかは、いま自分がそうであるところのものを失ってこそ見えてくるのだから」(p218)と。

千坂恭二さんも書いているが、ネグリは謂わば構造改革派の延長にあり、ネグリの言う革命は、私的には「コモンの生成」と、それを担う「マルチチュードの主体形成」と読める。ならばどこが「革命」なのかと言うと、以下のようになる。

「今日、私たちが現出しつつあるのを目のあたりにしている別の近代性──諸々の特異性から成るマルチチュードと〈共〉との相互作用を基盤とするもの──以外に、革命にふさわしい領域はない。きわめて図式的にいえば、近代性を規定するアイデンティティー−所有財産−主権の三本柱は、別の近代性において、特異性−〈共〉−革命によって取って代わられる。今や革命が、ついにもっとも重要で必要なものとなりつつあるのだ」(P226)と。

「アイデンティティの廃棄」とは、俗っぽく言えば「家族、企業、ネーション〔=民族/国民〕」からくる「○○家の出とか、□□会社の社員とか、××国の国民」とかいった属性の廃棄であり、それを通してマルチチュードはこれらを超えて姿を現す。かつては革命的であるためには、自らのアイデンティティを自己否定しようとしたものだが、必要なのは「アイデンティティを超える自己変容のプロセス」であり、それは「特異性の観点に立つことで、それは姿態変換」するという。資本の墓堀り人としてのマルチチュードは、以下のように登場する。

「〈私〉と〈公〉の両方の管理を逃れたマルチチュードの自律性の拡大、教育と実習訓練(協働、コミュニケーション、そして社会的な出会いの組織化における)を通した社会的主体の変貌、そしてその結果としての〈共〉の漸進的な蓄積・・その過程のなかで、資本は自らの墓堀り人を生み出すのだ。資本が自らの利益を追求し、自らの存続を維持しようとするならば、それは生産的なマルチチュードの力能と自律性の拡大を促進する以外にない。そして、その力能の蓄積がある一定の閥を超えたとき、「〈共〉的な富」を自律的に支配し、統治する能力をもつマルチチュードが姿を現すのである」(P172-3)と。

そして、上記のようなプロセスを経た「脱出(エクソダス)」が必要であり、「脱出」こそ階級闘争であるとネグリは言う訳である。3月31日の『コモンスウェル』上巻の評にも書いたように、それは私的には「脱労働力商品化の過程はコミュニティの形成と一体である」となる訳だが、ネグリはその過程のキイワードを「協働、自律、ネットワーク組織」とし、それ(参加と協働)をベースにネグリは民主主義、「市民が共に統治する社会」、「コモンスウェル」を構想する訳であり、その過程は、以下のように書かれている。

「レーニンは、党のヘゲモニー下で社会的闘争集団を接合することにより、対抗権力を形成するという計画を考え出したが、それはある点では、対決の相手である中央権力のアイデンティティを鏡像のように正確に模倣したものだった。・・・だが、主体性と革命的な意思決定の理論として考えたとき、それは今日の世界にとってまったく不適切なものでしかない。・・・必要なのは革命的な意思決定と、上からではなくマルチチュードの運動の内側からの支配権力の転覆を確立する組織化のプロセスである。・・・基本的な前提はきわめて単純だ。人びとが職場ですることと、そこで用いる技術(技術的構成)が、政治的行動の領域における彼(女)らの能力(政治的構成)に寄与するということである」(p236-7)。
「資本主義の指令が命じる垂直的・階層秩序的な協働の形態とは対照的に、生政治的労働は水平的なネットワーク状の協働の形態を剔出する傾向があるということだ。生政治的労働のもつこれら三つの特徴──協働、自律、ネットワーク組織──は、民主主義的な政治組織を築き上げるうえで堅固な構成要素となる」(p239)。
「革命は必ずしも流血を必要としないが、力の行使は必要とする。・・・今日では、「非武装のマルチチュード」のほうが武装集団よりはるかに実効性があり、脱出のほうが正面攻撃より強力である可能性が高まりつつあると私たちは見る。この文脈でいう脱出とは多くの場合、妨害行為や共同作業からの解脱、さまざまな対抗文化の実践、全般化された不服従といった形をとる」(p262-4)と。

こうなると、『帝国』~『コモンスウェル』の三部作は、大著でなにやら難しげに書かれてはいるが、結論はそう難しいものでもない。 柄谷行人の『世界共和国』や『世界史の構造』もそうだが、それぞれがそれぞれの特異性、切り口から入って、結論は同じようなところに来ている。僭越にもあえて言ってしまえば、私がブログに書きつづけていることもまたそうである。

ならば、ネグリの特異性は何かと言えば、マルクスも柄谷行人も「生産協同組合」とまでしか書かなかった〈共〉に向けての生成のプロセスを書いたことであろうか。協同組合から〈共〉へのキイワードは、「平等」や「相互扶助」や「功利主義」よりも、「特異性」と「協働」と「脱出」となる。「共同体の特異性」と「共同体の特異性」が出会うところから「〈共〉=(コモン)」は始まる訳である。

資本主義は、もはやバブルを繰り返すか、1%の富裕化と99%の貧困化へと格差を拡大する以外に稼ぐすべがなく、アベノミクスの金融政策はインフレによる財政赤字のチャラを目指しながら、やがて膨大な財政赤字を残して破綻するだろう。別な道を行くことこそ、まともな道である。「コモンへの道」を歩もう。

さて、季節はいよいよ脱寒である。「コモンスウェル」も読むだけではなくて、自らの脱労働力商品化と併せて試行錯誤したいもの。とは言っても、私はもうほとんど働いてはいないけど、GWの前後に「仙台羅須地人協会」へ行く予定。80年前に宮沢賢治が始めた謂わば「コモンの探究」を引き継ごうという試みである。耳のMRI検査は異常なかったし、季節は申し分ない。やっとこさ、いざ東北へである。

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2013年4月 6日 (土)

枯れ木も山の賑わい

20130405 天気予報では今晩から台風並みの風雨となるとあったけど、今晩は「日本未来の党の政策フォーラム」というのに行って来た。未来の党は、昨年末の総選挙の直前に滋賀県知事の嘉田由紀子が「卒原発」を掲げて旗揚げし、それに小沢一郎の生活の党が乗っかって、小沢から「いっしょにやれば100議席はいける」と吹かれてやってはみたものの、結果は阿部知子の1議席だけであった。

私が生協にいた時のボス(理事長)はSP(社会党)の人で、そのまた親分は土井たか子が委員長をやった時に書記局長であった曽我祐次氏で、曽我氏は仙台ヒデさんが80年代にSPのリニュアールをやった時に、その音頭をとった人でもあって、時々いっしょに飲む機会があり、その節に「阿部知子はいいよ」と言っていた。

社民党の党首に固執するだけの福島瑞穂に対して、いくらかセンスのいい阿部知子は昨年秋に社民党を離党して「未来の党」に参加した訳だが、結果は惨敗、挙句の果てに小沢一郎が政党助成金をかっさらって「生活の党」を立ち上げた後、「未来の党」は名は残したものの、阿部知子ひとりになってしまい、政党要件も満たさない。

「なんでい、ひでえじゃねーか、阿部知子が可哀そう」というのが、私の感想。そこで阿部知子に、「お手伝いできることがあったらやりますが」とメールすると、「未来の党」が始めた「政策フォーラム」の案内が届いた訳である。ガランとした会場でぼっとしていると、阿部知子さんが「ごくろうさま」と声をかけてくれた。

80年代にフェミニズムが流行った頃に、アメリカの作家サラ・パレツキーの女探偵ウォーショスキーのシリーズをよく読んだ。その後、本箱がいっぱいになってみんな棄ててしまったが、小説の中に主人公ウォーショスキーの近所に住むコントレラースとか言った元職工の爺さんが出てくる。男には距離を置くウォーショスキーではあるが、少しうっとおしく思いながらもコントレラースには気を許し、コントレラースもウォーショスキーを保護しているつもりでいる。

ある時、ウォーショスキーが暴漢たちに襲われた時に、コントレラースがレンチやスパナを持った昔の職工(組合)仲間とともに現れて大乱闘を演じて、ウォーショスキーの危機を救う場面があった。「むかしはスト破りの連中とよくやったものさ」とコントレラースは言う訳で、アメリカの労働運動にはそういった歴史がある。

嘉田由紀子は、昨年末の総選挙に立ち現れ、その後の小沢一郎都の顛末を見ると、「なんだ、このおばさん」の印象であったが、滋賀県知事として「住民自治と地方分権」を語る時には、まともな知事であった。ただ、ひとりもしくは少数の意向で「党」がつくられるのはよくないと思うところ。幸い党の代表は阿部知子になったから、みんなでこの小さな党を盛り上げたいと思ったところ。

しかし、二人の話を聴いていると、期待されているのは女性と若者であった。本日の参加者は、総勢30名ちょっとだろうか。うち報道関係が5~6名、主催者関係もその位いただろうから、純粋の参加者は20名といったところ。うち私のようなハゲ、白髪のジジイは3~4名。枯れ木も山の賑わい、と言ったところであろうか。

次回の「政策フォーラム」は、4月24日(水)17:00~19:00.場所は、衆議院第一議員会館 第6会議室。テーマは、「被災地復興の課題~東日本大震災・福島第一原発事故から2年を経て~」、講師は矢野奨さん(河北新報社)である。

私はまた行くつもり。暇で物好きのジジイのみなさん、ぜひ一緒に「枯れ木も山の賑わい」をやりたいところです。最後は枯れ木に火をつけたり・・、してはいけませんが。

※写真は、対談する嘉田由紀子滋賀県知事と阿部知子衆議院議員。政党のフォーラムと言うには、実にささやかな集まりであった。

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