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2013年2月12日 (火)

あらためて文学とは何かを思う

※今回も労農派論からは少し回り道をして、今読んでいる永井荷風の『断腸亭日乗』の読後メモなぞ書くところ。昨晩読んだ昭和16年の日記などは、ほとんど反軍国主義小説としても読める。中国への侵略戦争は既に行われており、2.26事件以降政党政治は軍を中心にした翼賛会政治に変わりゆき、日常生活の規制も日増しに増えて行った。昭和16年12月8日に太平洋戦争が始まる訳だが、永井荷風は腹を決めたように日々を書き記す。荷風へのリスペクトとシンパシーを込めて、昭和16年から72年経った今、備忘録的に以下メモを書き置くところ。

Photo 昭和16年に永井荷風は63歳、今の私と同年で、元旦の日記の書き出しは以下である。
「昭和十六(一九四一)年昭和十年辛巳正月起稿荷風散人年六拾三
正月一日風なく晴れてあたたかなり。炭もガスも乏しければ湯たんぽを抱き寝床の中に一日をおくりぬ。昼は昨夜金兵衛の主人より貰ひだる餅を焼き夕は麺麭と林檎とに餓をしのぐ。思へば四畳半の女中部屋に自炊のくらしをなしてより早くも四年の歳月を過したり。始は物好きにてなせし事なれど去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚しく世の中遂に一変せし今日になりで見れば、むさくるしくまた不便なる自炊の生活その折り折りの感慨に適応し今はなかなか改めがたきまで嬉しき心地のせらるる事多くなり行けり。時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひながら崖道づたひ谷町の横町に行き葱醤油など買うて帰る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり。かくのごとき心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり」と。

崖上の洋館に一人住み、女中も置かなくなって久しい4畳半で自炊しながら、「時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひながら崖道づたひ谷町の横町に行き葱醤油など買うて帰る」の景など、ああ荷風はいいなと思うばかりで、この先かみさんに先に死なれたりしたら、私の貧乏生活もかくなるものかとアナロジーすれば、老いていくことなどもさほど気にならなくなる。次の2月の日記もいい。
「二月初四。立春 晴れてよき日なり。薄暮浅草に往きオペラ館踊子らと森永に夕餉を食す。楽屋に至るに朝鮮の踊子一座ありて日本の流行眼をうたふ。声がらに一種の哀愁あり。朝鮮語にて朝鮮の民謡うたはせせば嘸ぞよかるべしと思ひてその由を告げしに、公開の場所にて朝鮮語を用ひまた民謡を歌ふことは厳禁せられゐると苔へさして憤慨する様子もなし。今は言ひがたき悲痛の感に打たれざるを得ずりき。彼国の王は東京に幽閉せられて再びその国にかへるの機会なく、その国民は祖先伝来の言語歌謡を禁止せらる。悲しむべきの限りにあらずや。今は日本人の海外発展に対して歓喜の情を催すこと能はず。むしろ嫌悪と恐怖とを然してやまざるなり。今かつて米国にありし時米国人はキューバ島の民のその国の言語を使用しその民謡を歌ふことを禁ぜざりし事を聞かぬ。今は自由の国に永遠の勝利と光栄とのあらかことを願ふものなり」と。

「今は自由の国に永遠の勝利と光栄とのあらかことを願ふものなり」なんて書いちゃって大丈夫?、特高に日記を押収されたら獄入り確実だよと心配になるが、荷風の腹は決まっている。6月15日、18日の日記には、以下のようにある。
「六月十五日。・・日支今回の戦争は日本軍の張作霖暗殺及び満洲侵略に始まる。日本軍は暴支膺懲と称して支那の領土を侵略し始めしが、長期戦争に窮し果て俄に名目を変して聖戦と称する無意味の語を用ひ出したり。欧洲戦乱以後英軍振はざるに乗じ、日本政府は独伊の旗下に随従し南洋進出を企図するに至れるなり。然れどもこれは無智の軍人ら及猛悪なる壮士らの企るところにして一般人民のよろこぶところに非らず。・・・欧羅巴の天地に戦争やむ暁には日本の社会状態もまた自ら変転すべし。今日は将来を予言すべき時にあらず」と。
「六月十八日。(町の噂)芝口辺米屋の男三、四年前召集せられ戦地にありし時、漢口にて数人の兵士と共に或医師の家に乱入したり。この家には美しき娘二人あり。医師夫婦は壷に入れたる金銀貨を日本兵に与へ、娘二人を助けてくれと歎願せしが、兵卒は無慈悲にもその親の面前にて娘二人を裸体となし思ふ存分に輪姦せし後親子を縛って井戸に投込みたり・・・かの兵士は漢口にて支那の良民を凌辱せし後井戸に投込みしその場の事を回想せしにや、ほどなく精神に異状を来し、戦地にてなせし事ども衆人の前にても憚るところなく語りつづくるやうになりしかば、一時憲兵屯所に引き行かれ、やがて市川の陸軍精神病院に送らるるに至りしといふ」と。

荷風は「無智の軍人ら及猛悪なる壮士ら」を恐れることなく「聖戦」の実態を記す訳だが、この営み、今の世の人の「聖戦」への反省の程を知れば、荷風の驚き、嘆きは街の変貌どころではないであろう。9月の日記には、以下のようにある。
「九月初三。晴。日米開戦の噂しきりなり」。
「九月初六。(無題録)・・米国と砲火を交へたとへサンフランシスコやパナマあたりを占領して見たりとて長き歳月の間には何の得るところもあらざるべし。もし得るところありとせんか。そは日本人の再び米国の文物に接近しその感化に浴する事のみならむ。即デモクラシイの真の意義を理解する機会に遭遇することなるべし。(薩長人の英米主義は真のデモクラシイを了解せしものにあらず。)」と。

荷風は「今日は将来を予言すべき時にあらず」としながらも、ほとんど4年後の日本をを言い当てている。そして、12月の日記は以下である。
「十二月八日。褥中小説『浮沈』第一回起草。ほ下土州橋に至る。日米開戦の号外出づ。帰途銀座食堂にて食事中燈火管制となる。・・」。
「十二月九日。くもりて午後より雨。開戦の号外出でてより近隣物静になり来訪者もなければ半日心やすく午睡することを得たり。夜小説執筆。雨声しょうしょうたり」と。

あらためて文学とは何かを思うところ。以上の覚書は、『断腸亭日乗』の極一部であるに過ぎない。『断腸亭日乗』は戦後に陽の目を見る訳だが、それは日記と言うよりは、『墨東奇譚』に並ぶ荷風文学の傑作である。別に戦争のことばかりを書いている訳ではなく、全編が矜持ある生き方の指南書でもあるから、とりわけこれから老後に向かわれる方には、ぜひ一読をお勧めしたい。

※偏奇館跡の図は、松本泰生「東京の階段」(日本文芸社)から。
 図の左下が谷町。現在の首都高速の谷町Jctの辺り。

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