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2013年2月16日 (土)

脱労働力商品化への道

今日は雨降りで外出しないから、2月8日に書いた「脱労働力商品化の過程」の最後でふれた「労働力商品における個人と自由の問題」について、少し考えてみるところ。これまでのように社会主義を国家主義化させないためには、国家を資本家的所有とか労働者的所有とかの生産関係の所有論からみるのではなくて、労働力商品をベースにみることになる。

前述したように、私的には社会主義国家は「脱労働力商品化した人々によるコミュニティ」をベースに、その連合体としての最小限国家という組み立てになる訳だが、この場合の国家は小国の方が成り立ちやすく、大国の場合はEUのようなリージョナルな連邦国家となる。また単位国家の形は、北欧にみられるように王国や立憲君主国であってもいいわけである。

これまでの社会主義論では、国家との仲立ちに「党」が介在して、そうでないものは無政府主義ということになって、社会主義にあらずとされた訳だが、党主体の社会主義の経過と現状をみれば、そうである限り社会主義は国家主義と縁が切れない。かつて社会主義とは「党」が介在することが当たり前のように考えられていた訳だが、それは謂わば後知恵で、レーニン主義以前はそうではなかった。例えば、堺利彦の社会主義など、1914年に書かれた「大杉君と僕」という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

Photo_2 「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派は(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

日本の社会主義運動は平民社に始まり、やがて三つの流れになったと書く訳だが、その三つの流れは対立している訳ではない。「幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である」訳で、堺利彦にあっては、社会主義と無政府主義は濃淡のボカシをもって連続しているのである。

同様に、「表の左端なる無政府的個人主義者中の、宗数的文芸的なる逃避者耽溺者(日本現時文芸家の多数)を取って考える時には、表の右端なる個人主義の下に付記したる、平和無害なる独善独楽家とすこぶるよく相似ていることを発見する」というふうにつながっている。永井荷風の『断腸亭日乗』を読んでいたら、永井荷風が銀座のカフェで辻潤にからまれて逃げ出すという話があったが、堺利彦流に解釈すれば、永井荷風と辻潤はそうちがう訳ではない。私はどちらも好きである。

宇野弘蔵の『「資本論」五十年』によれば、宇野弘蔵の社会主義入門は、中学から高校にかわる頃に大杉栄の『生の闘争』に堺利彦が書いた「大杉君と僕」という序文を読んでからということで、そこには「社会主義鳥瞰図」が添付されており、宇野弘蔵の『「資本論」五十年』はここから語りだされている。

そこで宇野弘蔵は、大杉栄と山川均からアナキズムとサンディカリズムの影響を受けたことや、萩原朔太郎を愛読したことを隠さない。果たして含蓄経済学と言われる宇野理論は、いかなるボカシを通してそれらとつながっているのだろうかと妄想するところ。宇野弘蔵は、大正13年(1924)にドイツ留学から帰国して東北帝大の助教授になってから昭和14年(1938)に2月に教授グループ事件で検挙されて入獄、昭和17年(1941)に東北帝国大を辞職し、戦中は民間の研究所でしのいでいる。

銀座のカフェで永井荷風にからんだ辻潤は、昭和19年の空襲の最中に居候先のアパートで虱まみれで餓死してしまう。辻潤はかつて女房の伊藤野枝を大杉栄に寝取られ、マックス・シュティルナーの『唯一者とその所有』を訳し、尺八門付けの放浪をし、低人を自称するニヒリストであったが、その生き方は萩原朔太郎に共感され、宮沢賢治の『春と修羅』を発見して評価した。

別に辻潤は宇野弘蔵と関係がある訳ではないが、ここに登場した堺利彦以下の面々にはどこか通底するものがあるように私には思えて、それは何かと言えば、やはり個人と言うより私にこだわる自由な生き方をもって人生をしのいだということであるように思う。そしてこの私の自由は、唯物史観的なブルジョワ概念にある個人主義や自由主義といった歴史的概念とは別のものであると思う訳である。

例えば、原発がなくならないのは、結局は原発容認派が多数になってしまうからであり、そうなってしまうのは、生活水準を落とさないためには原発が必要だという考え方が産業社会では合理的判断とされるからである。だから、ブルジョワ概念にある常に合理性を求める個人主義や自由主義のレベルではその合理的判断を批判できない。生活水準を落とさないためには原発が必要だという合理的判断に基づく生き方は、労働力商品的な生き方であると思うところである。

一方、「生活水準」を落としても涼しい顔をして生きていくというブルジョワ合理主義から自由なスタイルが、脱労働力商品化への道だと思うところであり、そのためにはブルジョワ概念にある個人主義や自由主義や営利企業ではない、新たな個人と自由とコミュニティが必要となると考えるところ。

ブルジョワ概念にある個人主義や自由主義を否定して、協同主義や共産主義をもってするにしても、その協同主義や共産主義が権威に転化することは大いにありうることで、それを防ぐには、あらゆる権威に対置しうる個人と言うよりは私が必要であると思うところ。コミュニティと脱労働力商品化との関係でいえば、個人における脱労働力商品化の営みが先なのである。

ネットを見てたら、小出裕章さんがインタビューに答えて以下のように言っていた。
「どういう社会を作るべきなのか? が最も重要なテーマです。原発事故は、代替エネルギーをどうするか? 経済をどう成長させるか? というようなレベルの話ではありません。私たちの生き方そのものが問われていることに気づいてほしいと思います」と。
ひとりひとりの脱労働力商品化による新しい社会のイメージが見くるところである。

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