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2012年11月15日 (木)

一葉の日記から

 横山源之助が亡くなった白山前町は、晩年の樋口一葉が住んだ丸山福山町とは目と鼻の先である。横山源之助が明治23年頃から4年間住んだ谷中初音町も、同じ頃に本郷菊坂下に住んだ一葉の生活圏にあり、二人は同じ頃に同じエリアで貧乏生活をしていた。そして、一葉晩年の明治29年(1896)1月に、横山源之助は一葉を訪ねている。
 樋口一葉は、明治5年(1872)に東京で生まれた。父義則は甲州の百姓の出で、幕末に江戸に出て八丁堀同心の株を買い幕臣になり、一葉は父義則の死後、17歳で戸主になった。明治23年(1890)に本郷菊坂下の貸家に住み、裁縫と洗い張りで生計を立てるが、やがて金を得るために小説を書こうと半井桃水を訪ねて教えを請い、上野の帝国図書館に通って文学を勉強し、半井桃水に恋心を抱きながら、それで家族を養おうと一人夜ランプの灯の下で近眼の目を机にへばりつかせながら、肩をこおらせこおらせ小説を書いた。世は明治22年(1889)に大日本帝国憲法が発布され、曲がりなりにも議会政治が始まり、立憲自由党や立憲改進党といった民党が登場する頃である。
 明治25年(1892)に一葉は、桃水の主宰する『武蔵野』に初めて『闇桜』を書き、この時に初めて「一葉」のペンネームを使った。由来は達磨の葦の一葉で、「おあしがない」に因んだとものと言われている。
 桃水の紹介で『改進新聞』にも『別れ霜』を書いているせいか、「我が『改進新聞』も・・」と書くように、一葉は『改進新聞』をよく読んでいたようで、一葉の日記には議会の動きが割と頻繁に書かれている。しかし、桃水系に書いた作品はほとんど金にならず、明治25年11月に歌塾「萩の舎」の先輩の田辺龍子の紹介で『都の花』に『うもれ木』を書いて、初めて原稿料十一円七十五銭を得た。
 その頃、田辺龍子は自らもその創刊に関わった北村透谷と星野天知発行の新雑誌『文学界』に一葉を推薦した『文学界』は、明治26年(1893)1月に第1号が出て、そこには北村透谷や古藤庵(島崎藤村)らの青年たちが、非商業的な同人として新しい文学の息吹を伝えようとしていた。明治26年(1893)2月6日の日記には、以下のようにある。
 「こころざすは完全無双の一美人をつくらんの外なく、目をとぢて壁にむかひ、耳をふさぎて机に寄り、幽玄の間に理想の美人をもとめんとすれば、天地みなくらく成りて、そのうつくしき花の姿も、その愛らしきびんがの声も、心かがみにうつりきたらず。・・・おもひおもひて心は天地の間をかけめぐり、身は苦悩の汗しとゞに成りぬ。思慮につかれては、ひる猶夢の如く、覚めたりとも覚えず睡れりとも覚えず。さしも求むる美の本体、まさしくありぬべきものとも、なかるべきものとも、定かに見とむるは何時の暁ぞも。我れは営利の為に筆をとるか。さらば何が故にかくまでにおもひをこらす。得る所は文字の数四百をもて三十銭にあたひせんのみ。家は貧苦せまりにせまりて、口に魚肉をくらはず、身に新衣をつけず。老たる母あり、妹あり。一日一夜やすらかなる暇なけれど、こころのほかに文をうることのなげかはしさ。いたづらにかみくだく筆のさやの、哀れ、うしやよの中」と。
 「我れは営利の為に筆をとるか。さらば何が故にかくまでにおもひをこらす」の一文は、桃水と離れた一葉に『文学界』の登場に共感を呼び起こしたことをうかがわせる。3月21日に、一葉の書いた『雪の日』はその第3号に載せる由を伝えるために一葉を訪ねて来た高等中学の生徒なる平田喜一(禿木)と遅くまで話し込んだ一葉は、「『叉こそ』とて別れぬ」した。
 しかし、「昨日より、家のうちに金といふもの一銭もなし、母君これを苦るしみて、姉君のもとより二十銭かり来る」(3月13日)、「我家貧困日ましにせまりて、今は何方より金かり出す道もなし」(3月30日)、「われこそはだるま大師に成りにけれ とぶらはんにもあしなしにして」(4月19日)、「窮甚し」(5月29日)という日々の生活の様が度々書かれて、6月29日の日記に、一葉は以下のように書く。
 「此夜一同熱義実業につかん事決す。・・・これよりの行路難いかにぞや。されども、我らはらからは、うきよのほめそりしをけへり見るものならず。唯おのれのよしとみて進む処にすすまんのみ。霜ばしらくずれなば、叉立てなほさんのみ」と。6月30日の日記には、「人つねの産なければ、常のこゝろなし。・・・かつや文学は糊口の為になすべき物ならず。おもひの馳するまゝ、こゝろの趣くまゝにこそ筆は取らめ。いでや是れより糊口的文学の道をかへて、うきよを十露盤の玉の汗に商ひといふ事はじめばや。・・・せめて文学の上にだけも義務少なき身とならばやとてなむ。・・・とにかくにこえるをみまし空せみのよわたる橋や夢のうきはし」と志し、荒物・駄菓子屋を開こうと竜泉寺町に転居するのである。
 明治26年10月25日の『塵中日記』には、「此夜、田辺査官来訪、貧民救済之事につきてはなしあり」とある。遊郭のある竜泉寺町に転居して以来、一葉は毎日店を訪れる吉原辺りの子供たちに接しながら、やがては遊郭に売られてゆく娘たちに同情と共感を寄せたものと思われる。
 明治27年2月に、一葉は久佐賀義孝という謂わば相場師を訪ねて、「顧問になり呉れ殊に会計云々」と久佐賀義孝から千円の金を引き出そうとしている。この話は、やがて久佐賀義孝から「妾になれ」と言われた一葉がそれを拒否して終わるのだが、では一葉はこの金を何に使おうとしたのかについて、一葉研究家の和田芳恵は「一葉が頼んだ事業は、和歌以外のものと考えられる」、「この事業は、日記にはないが、下層社会を対象にした実際運動であったらしい」と書いている。
 明治27年5月に、一葉は、竜泉寺町から本郷丸山福山町に転居する。そこは小石川の砲兵工廠に近く、その職工なども集まる銘酒屋や安待合のある坂下の湿った処であったが、そこには『文学界』の若い同人たちがしばしば訪れるようになった。その年末、久佐賀義孝から「妾になれ」と言われてそれを拒否した一葉は、『大つごもり』を『文学界』に書き、年をあけての明治28年1月には『たけくらべ』を『文学界』に連載し出し、同年9月には『にごりえ』を発表するのである。これは、文学史上で「奇跡」と呼ばれる出来事であるが、これこそが下層社会に生きる人々に共感した一葉における「事業」であったのであろうと思われる。
 そして、この「奇跡の十四ヶ月」が終わろうとする頃に、横山源之助が訪ねて来る。一葉の日記には以下の記述がある。
 「かどを訪ふ者、日一日と多し。毎日の岡野正味、天涯茫々生など不可思儀の人々来る。茫々生は、うき世に友といふ者なき人世間は目して人間の外におけりとおぼし。此人とび来て、二葉亭四迷に我れを引あはさんといふ。半日がほどをかたりき」と。
 その頃の横山源之助は、底辺社会のルポルタージュを書いて好評を得て、地方にも及ぶ本格的な調査活動を開始しようとしていた時期であった。一葉に「うき世に友といふ者なき人」と目された横山源之助は、半日がほどの間に一葉と一体何を語ったのか。
 1月22日の一葉の日記「みづの上」には、以下の記述がある。
 「みたりける夢の中には、おもふ事こゝろのまゝにいひもしつ、おもへることさながら人のしりつるなど嬉しかりしを、さめぬれば、又もやうつせみのわれにかへりて、いふまじき事、かたりがたき次第など、さまざまぞ有る。・・・はかなき草紙にすみつけて世に出せば、当代の秀逸など有ふれたる言の葉をならべて、明日はそしらん口の端にうやうやしきほめ詞など、あな詫しからずや。かかる界に身を置きて、あけくれに見る人の一人も友といへるもなく、我れをしるもの空しきをおもへば、あやしう一人この世に生れし心地ぞする。我れは女なり。いかにおもへることありとも、そは世に行ふべき事かあらぬか」と。
 明治29年(1896)は一葉最期の年であり、前年に発表した『たけくらべ』以来、一葉の名声は上がるばかりで、多くの文人たちが一葉を訪れるようになる。しかし、この「みづの上」の一葉はクールである。「さめぬれば、又もやうつせみのわれにかへりて、いふまじき事、かたりがたき次第など、さまざまぞ有る」とは、一体何がさまざま有り、語りたかったのであろうか。そして、この感慨と横山源之助の訪問は、何か関係があるのだろうか。
一葉訪問後に横山源之助が一葉に送った手紙から推測して、和田芳恵は以下のように書いている。
 「どういうことが二人の話題になったかわからない。しかし、一葉が文学者生活をやめて、そのことを実行してみようと云ったらしいことは考えられる。また、源之肋が共感しているのだから、下層社会のことだろう。・・・一葉が社会の不条理を感じてのことだから、素描な意昧での社会主義的なものかもしれない」と。
 横山源之助は、やはり同じ頃に一葉を訪ねた斎藤緑雨と一葉をめぐってつばぜり合いを演じたようでもある。関良一『一葉研究小史』によれば、「緑雨によれば、一葉は緑雨にたいして、もし死後に自身の作品集が刊行されるならば、緑雨か横山か、ふたりのうちのいづれかがその編纂に当ってほしいと遺言したといふ」とある。晩年の一葉が頼りにしたのは。世間に外れて生きるこの二人であったのかもしれない。
 明治29年6月23日の一葉の日記に、「毎日社の横山、鎌倉材木坐にありて文おこす。民支社の人と同宿し居るなりとて、事ありげの書きぶり成き。返じやらず」とある。一葉に心を寄せて手紙を書き送るも、軽くいなされながら横山源之助は、後に『日本の下層社会』にまとめられる調査の旅に出る。そして、調査活動をしていた最中の同年11月に、樋口一葉はその短い生涯を終えるのである。

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