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2012年10月21日 (日)

次はいつ会えるかな

夏のはじめに発症した耳の病は、結局耳の神経に腫瘍が見つかって、今月のはじめに東大病院でそれを放射線でつぶす手術をした。難聴と耳鳴りとふらつきは相変わらずだが、それ以上飲む薬もつける薬もなく、後は半年ごとにMRIを撮って、経過を観察するだけになった。それでも、増殖しつつあった腫瘍をつぶしただけでも安心が出来る。後は、耳鳴りは生きてる証拠と思って、これとつきあいながら残りの人生を生きるしかないのだが、死ぬか耳鳴りかみたいな緊張感があって、ダラダラと生きているよりもいいかもしれない。

そこで、これからどんな生き方か、枯れ方をしようかと思っているところへ、名古屋で大学の先生をしている友人の通称オカビーからメールがあった。オカビーは、UCバークレー校を出た後世界を放浪、80年代からサンフランシスコに在住してアメリカのNPO活動を日本に知らせた第一人者である。メールの内容は、以下の様で電話があった。

「どうも御無沙汰してます。元気ですか。耳が調子悪いそうですが。こっちは元。30年くらい若返ってバスケ部のレギュラーらと毎日バスケやってます。実はこの10月16―20日くらいに、タイズ財団のパイクさんの友人で、元ACORN代表のウェイド・ラスキさんが訪日します。ACORNというのはアメリカの草の根団体では大御所というか巨大組織で、全米に1200か所の支部があり、会費を払う会員が50万人以上います。低所得者層、労働運動、マイノリティー運動、コミュニティ開発運動その他地域活動に定評があります。ウェイド・ラスキさんはこの創設者です。・・ラスキさんはパイクさんの昔からの友人だそうで、パイクさんはラスキさんに日本に行ったらOkabeに会うように言ったそうで、それでどこか案内したいのですが、いい案内先はありませんか」とのことであった。

そんで、ラスキさんは18日に明治大学で「暮らしを軸にした労働の再編」というシンポジウムをやるというので、参加してみた。アメリカの労働運動というのは、AFL-CIOが中心だから、労働組合主義で反共だということになっているのだが、世界に先駆けて産業の空洞化やサービス化、組織率の低下と非典型的雇用労働者の拡大がすすんでいて、労働組織は企業内から企業外、コミュニティを基盤としたものへ、ユニオンからワーカーズ・アソシエーション、コミュニティ・オーガナイジング・モデルへと変わりつつあるようである。だから、同じような状況を後追いする日本の労働運動は、それをまた参考にする訳である。

シンポジウムには、江戸川ユニオンの小畑さんや首都圏青年ユニオンの河添さんが参加していたので、ラスキさんの訪問を相談すると、お二方とも20日には集会を企画していて、「そこにならどうぞ」と言われたので行くことにした。久しぶりに会った小畑さんは、江東で運動していた山崎さんとの共訳で、最近『アメリカの労働社会を読む辞典』(明石書店2012.7)を出していたので、買って来た。

それから、これも退院した後に、むかし私が生協で働いていた時の組合員の方から電話があって、「住んでいる団地住民の高齢化がすすんで、自治会仕事のやり手がなくて、みんな私に仕事が回って来る。どうしたらいいだろうか」という相談を受けた。そんで、その団地で生協の組合員であったおばさんたち4人と、ついでに当時の生協の理事長の下山さんにも声をかけて、シンポジウムの前日に門前仲町で飲んだ。

団地にあった生協の二つの店舗は、ひとつは生協の運営する高齢者のデイケア・センターになり、もうひとつは赤字で来年閉店になるという。おばさんたちはみな60代で、デイケア・センターの世話になるにはまだ早く、昔のようにもう一度活動してみようかという話になり、高齢者サービスのNPOをつくって、閉鎖される店舗に場所を貸してもらおうかという話になった。そして、下山さんは、現在は経済産業省玄関前で「脱原発テント」をやり、フクシマの支援をしているから、20日にラスキさんと訪問したいと言うと、これも「いいよ」となったのであった。

そんで、昨日は朝から、オカビーとラスキさんを連れて、現在は経済産業省玄関前の「脱原発テント」→芝公園での「反貧困世直し大集会2012」に案内するという謂わばボランティアをやったのだった。

121020 9時にラスキさんの泊る九段下のホテルで待ち合わせて、経済産業省玄関前の「脱原発テント」に案内。経済産業省前をオキュパイし、このテントを泊りこみで死守しているのは60年安保世代の爺さんたちで、私の元ボスであった下山さんから話をうかがった。このテントは、現在は枝野経産省大臣のお目こぼしで撤去されずにいるのだそうだが、政権が代われば、おそらく撤去されるだろうとのことであった

ラスキさんは、昨晩は首相官邸デモにも参加したとのことで、大震災とフクシマ後の日本にこういう運動が起こっていることを分かってもらえたと思うところ。テントとデモは提携しているから、政権が代わってテントが撤去されたら、デモはどんな扱いをされるのか、これからが正念場であるという気がした。

121020_1 「脱原発テント」の後は、「反貧困世直し大集会2012」が開かれている芝公園に向かった。地下鉄で一駅半くらいの距離なので、愛宕通りを歩いて行った。会場に着くと、湯浅誠さんがいたからラスキさんを紹介すると、湯浅さんはACORNを知っていて、ラスキさんがその創設者だと知ると驚いていた。通訳はオカビーがやってくれるのだが、湯浅さんは元政権参与、英語も達者であった。

オカビーは生まれは栃木県だが、アメリカ国籍を取得していて、今ではアメリカ人である。アメリカ人を案内して、昼飯は何を喰うかと思っていたら、会場のテントには炊き出しの焼きそばがあったから、カンパしてそれを食べ、あとはやはりテントのパンとコーヒーで何とかなった。会場では何人かの顔見知りとも会って、ラスキさんも「いろいろな人に会えてよかった」と言ってくれた。日本の社会運動も、大組織主導からアメリカ型草の根になっていくようで、まあ、それを見てもらえたかなと思うところであった。

その後は、江戸川で開かれる「地区労全国集会」に案内する予定であったのだが、ラスキさんは午後に韓国に向かうというので、ホテルに戻ると別れ、オカビーとお茶の水で一杯飲んだ。オカビーは大学の学部長でありながら、昨晩「青春18キップ」の鈍行で来たら、電車が沼津で終わってしまったので、沼津のネットカフェに泊ったそうである。帰りももちろん「青春18キップ」の鈍行である。

オカビーは、来春には70歳まで働けるという超安定した教職を棄てて、アジアへの放浪の旅に出るという。根っからのフーテン、バカボンド、放浪者である。「次はいつ会えるかな」と言うから、「これが最後かもしれないね」と言う。以前サンフランシスコに行った時に、オカビーの家に泊めてもらったことがあった。私が帰国する朝に、仕事に出かける彼と玄関前で少し立話をした。それから「さよなら」と言って、握手して別れたことを思い出した。

還暦を過ぎて、最近は体調も悪くなり、気分的にもリタイア状態であったのだったが、今週は少し昔を思い出した。また少し何かをやってみることは、長生きにつながるだろうかと、帰り道に思ったりしたのだった。

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