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2011年12月26日 (月)

2011年総集編①今年の読書から

12月も残りあと6日間となった。思えば、今年はブログをまだ3回しか書いていない。今年は日本史に残る災いの年となったが、だから書けなかったとは言わない。大したことはないけど、私なりに日々を送った。年が明ければ、また歳をとるわけで、ジジイになっても新しい年をまた元気に送れるように、残る年末に少しだけ今年の総括をやっておこうと思う。以下、今年の総集編のブログである。

今年の前半は本が読めず、昨年来のつづきの労農派論と脱労働力商品論に全く手がつかなかった。サルトルの「飢えた子どもを前にして」ではないけど、「大震災を前にして」というか、原発の破産を目の当たりにして立ちすくんでしまったみたいなところであった。

それでも後半は何とか読め出して、秋になるとけっこう読めた。収穫は、ホイジンガの『中世の秋』と『ホモ・ルーデンス』だろうか。カントは『純粋理性批判』を1/3だけ。それと、1月に読んだ水野和夫・萱野稔人『超マクロ展望 世界経済の真実』、5月に半田正樹氏からいただいた『交響する社会』、11月に読んだ柄谷行人『世界史の構造』の3著は、グローバリズムに対して、国家の位置づけ、役割を見直すという点で共通していたのだった。

1110 本の出た順に書くと、昨年に出た『世界史の構造』で柄谷行人氏は、「宇野弘蔵は資本主義の発展段階を国家の経済政策のレベルで見ようとした。そのとき、彼は『資本論』ではカッコに入れられていた国家を再導入したのである。しかも、『資本論』がとらえた純粋資本主義の原理を変更することなしに。経済政策から資本主義の発展段階を見るという見方は、国家を資本とは別の能動的な主体として導入することである。国家はたんに資本主義経済の変化によって規定されてきたのではない」と書き、

110110_3月に出た『超マクロ展望 世界経済の真実』で、萱野氏は、「なんでも民営化していくべきだと考える市場原理主義者」や「資本主義を市場における交換へと還元するような認識」を批判して、「資本主義は市場経済とイコールではない」「資本主義は市場の論理だけでは存立できない」「国家による税の徴収と、資本による利潤の追求が合わさって、資本主義における蓄積というものがなりたっている」と書き、

Photo 4月に出た『交響する社会』で、半田正樹氏は、「資本制経済社会においては、市場経済=商品経済による一元的編成の外部に、市場経済=商品経済とは異なる原理にたつ国家という共同体がそびえ立つ」「国家および市場経済とともに、互助・相互扶助・互酬を基礎とし、利他心を心性の核とする共同体原理を社会構成の主軸においた構想こそがもとめられている」と書いている。

そんで、「互助・相互扶助・互酬を基礎とし、利他心を心性の核とする共同体原理を社会構成の主軸においた構想」の先駆としての賀川豊彦の『友愛の政治経済学』(日本生協連2009)と再刊された隅谷三喜男の『賀川豊彦』(岩波現代文庫2011)小林正弥『友愛革命は可能か』(平凡社新書2010)を読んだ。

111216 賀川豊彦『友愛の政治経済学』は、1935年に行われたアメリカでの講演が本になったもので、原文は英文で、当時25カ国で出版されたという。日本での翻訳と出版は2年前。1935年に日本でこの本を出版するのは困難だったと思われるが、70年以上経って、やっと日本に賀川豊彦の友愛経済学が逆輸入された訳である。

そこには、1930年代の世界恐慌を背景に、そこから抜け出して「新しい社会」を創るための理念と構想が語られていている。賀川豊彦は、それをアメリカ人に分かり易く体系立てて語っているから、この翻訳本は賀川豊彦の思想を理解する上で絶好の本である。さらに、この本に書かれている恐慌と失業への処方箋は、現代の世界にもそのまま通用するレベルであり、リアリティがある。

1935年出版の『友愛の政治経済学』で賀川豊彦は、2010年出版の『世界史の構造』における柄谷行人の「われわれは、互酬的な原理の高次元での回復を消費=生産協同組合に見てきた」「カール・シュミットは、国家死滅の唯一の可能性を消費=生産協同組合の一般化において見出した」「シュミットがここでいう世界国家とは、カントがいう世界共和国と同じである」という結論を、75年前に提起して、実践している。

農協、生協、信用組合ほかのネットワークづくりのみならず、『友愛の政治経済学』でカントの「永久平和」論についてふれた賀川豊彦は、戦後に世界連邦づくりの運動まで起こしている。実践力でいえば、インテリの柄谷行人氏の1000倍くらいであろうか。

10年ちょっと前に会社(生協)勤めを辞めた私は、ロバート・オウエンと賀川豊彦あたりから協同組合また考え直してみようかと思った訳だが、それは私も「真の協同組合とは、その活動の広がりにおいて、全コミュニティ的なものである。古い組合はそのサービスを自分の組合に限定していた」(『友愛の政治経済学』(p87)と理解したからでもあった。要は、「友愛」と「相互扶助」を再構築しようと思った訳である。今年の読書は、昨年の読書からは少しずれたが、急がば回れでといったところであろうか。

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