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2011年1月 8日 (土)

ヒノちゃんのこと

昨日、私が生協で働いていた時に世話になった方が亡くなったとの知らせがあり、今日は葬式に行って来た。

亡くなったのは、通称ヒノちゃんという私より干支がひとまわり上のジイさんで、ヒノちゃんは山梨の百姓に生まれて、高校を出ると歩いて東京に出てきて株屋で働き、60年代に山梨出身の社会党の代議士の秘書になり、社会党の専従活動家やトラック運転手などを経て、70年代に生協づくりに参加し、そこでしぶとく役員を務めた。

ヒノちゃんはおおらかな性格で、決して偉ぶることはなく、どんな相手ともにこやかに交渉事をまとめ、とぼけた顔して修羅場をくぐり抜け、囲碁、将棋、麻雀に強く、酒好きであった。秘書をしていた代議士の関係もあってか、菅さんなどは70年代からつきあいがあり、葬式には江田五月前参議院議長からの生花や菅総理大臣からの弔電などもあったのだった。

Photo さて、現在私は堺利彦全集の第6巻を読んでいて、第6巻には主に日本の社会主義運動史が書いてあるのだが、以前にもほぼ読んだので、その後のことを読もうと古書ネットで探して、正月に鈴木茂三郎の『私の歩んだ道』(河出書房新社1960)を読んだ。

鈴木茂三郎は戦後に社会党の委員長になり、「青年よ銃をとるな」の演説で知られる人だが、戦前は『労農』の同人であり、無産大衆党を結成、その無産大衆党の委員長になったのは堺利彦であった。そして戦後、鈴木茂三郎をしたって社会党に参加して衆議院議員になり、後に江田三郎と共に社会市民連合をつくり、その委員長になった人に大柴滋夫がいて、ヒノちゃんはこの大柴滋夫の秘書をやっていた訳である。

ヒノちゃんは、元旦には酒を飲み、3日には麻雀をし、4日に倒れて5日に亡くなったという。私は、ちょうどその頃に鈴木茂三郎の『私の歩んだ道』を読んでいたのだったが、こうなるとそれもシンクロニシティである。堺利彦も鈴木茂三郎も過去の人ではなく、人と運動を通して現在につながっているのだということを確認すると共に、ヒノちゃんの人柄と志を忘れないことを、今年の新年の計に加えようと思う一日であった。

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