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2010年8月11日 (水)

『猫』から『道草』へ

○Self‐consciousのage は individualismを生ず。社会主義を生ず、levelling tendencyを生ず。団栗の脊くらべを生ず。数千の耶蘇、孔子、釈迦ありといへと遂に数千の公民に過ぎず。・・・
○昔は御上の御威光なら何でも出来た世の中なり。
○今は御上の御威光でも出来ぬ事は出来ぬ世の中なり。
○次には御上の御威光だから出来ぬといふ時代が来るべし。威光を笠に着て無理を押し
という。

上記は、夏目漱石が1905~06年(明治38~9)に書いた「断片」(※小宮豊隆整理)にあり、そのまま『吾輩は猫である』の中で、獨仙君が語るのであるが、最初の「Self‐consciousのage は individualismを生ず。社会主義を生ず、levelling tendencyを生ず」の部分だけは『吾輩は猫である』には書かれてはいない。漱石は、社会主義を意識しながらも、それを直接表現することは避けており、すべては諧謔の中に包み込まれている。

しかし、漱石は西洋の近代文明がどのようなものであり、それがどうなって行くかについては、苦沙彌先生を訪ねて来る哲学者や獨仙君に大いに語らせている。例えば、隣の学校の生徒にボールを打ち込まれた先生が腹を立てることに対して、哲学者は次のように語る。

西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持って居るよ。第一積極的と云ったって際限がない話しだ。いつ迄積極的にやり通したって、満足と云ふ域とか完全と云ふ境にいけるものぢやない。・・・西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。・・・山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云ふ考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云ふ工夫をする。山を越さなくとも満足だと云ふ心持ちを養成するのだ。それだから君見給へ。禅宗でも儒家でも屹度根本的に此問題をつらまへる。・・・とにかく西洋人の積極主義許りがいいと思ふのは少々誤って居る様だ。君の様な貧乏人でしかもたった一人で積極的に喧嘩をしやうと云ふのが抑も君の不平の種さ。どうだい分ったかい。

要は「消極的の修養で安心を得ろ」と説法した訳である。また、次のようにも語る。

とにかく人間に個性の自由を許せば許す程御互の間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチエが超人なんか担ぎ出すのも全く此窮屈のやり所がなくなって仕方なしにあんな哲學に変形したものだね。・・・吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困って居る。夫だから西洋の文明杯は一寸いいやうでもつまり駄目なものさ。之に反して東洋ぢや昔しから心の修行をした。その方が正しいのさ。見給へ個性発展の結果みんな神経衰弱を起して、始末がつかなくなった時、王者の民蕩々たりと云ふ句の價値を始めて発見するから。無為にして化すと云ふ語の馬鹿に出来ない事を悟るから。

この頃の漱石には、西洋文明の「Self‐consciousnessの結果は神経衰弱を生ず。神経衰弱は二十世紀の共有病なり」(「断片」)に対して、『論語』にある「王者の民蕩々たり(太平の民はのびやかである)」や『老子』にある「無為にして化す(何もしないで感化をおよぼす)」をもってするようなところがある。しかし、「然れどもその自覚せる時は既に神経過敏にして何らの術もこれを救済する能はざるの時なり」(「断片」)とあるように、その後の漱石の歩みは、それにつきるものではない。

1915年(大正4)6~9月に書かれた『道草』は、『吾輩は猫である』と同じ時代を描いた漱石の自伝的小説ではあるが、表現、内容とも全く異なる小説である。その第「五十七」には、以下のようにある。

 無信心な彼は何うしても、『神には能く解ってゐる』と云ふことが出来なかった。・・彼の道徳は何時でも自己に始まった。さうして自己に終わるぎりであった。・・・極めて低級な欲望で、朝から晩迄齷齪してゐるやうな島田をさへ憐れに眺めた。
 「みんな金が欲しいのだ。さうして金より外には何にも欲しくないのだ」
 斯う考へて見ると、自分が今迄何をして来たのか解らなくなった。
 彼は元来儲ける事の下手な男であった。儲けられても其方に使ふ時間を借がる男であった。卒業したてに、悉く他の口を断って、ただ一つの學校から四十圓貰って、それで満足してゐた。彼はその四十圓の半分を阿爺に取られた。残る二十圓で、古い寺の座敷を借りて、芋や油揚ばかり食ってゐた。然し彼は其間に遂に何事も仕出かさなかった。
其時分の彼と今の彼とは色々な点に於て大分変ってゐた。けれども経済に余裕のないのと、遂に何事も仕出かさないのとは、何處迄行っても変わりがなささうに見えた。
彼は金持になるか、偉くなるか、二つのうち何方かに中途半端な自分を片付けたくなった。・・・何うして好いか解らない彼はしきりに焦れた。金の力で支配出来ない真に偉大なものが彼の眼に這入って来るにはまだ大分間があった。

『吾輩は猫である』から『道草』へ至る間に、おそらく「金の力で支配出来ない真に偉大なもの」が漱石の眼に這入って来たのであり、そのプロセスこそが漱石の作品群であり、私が私なりに見つけようとするものである。

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