« 今年の夏は | トップページ | 『それから』 »

2010年8月11日 (水)

『三四郎』

さて、次はいよいよ夏目漱石である。前述したように、50歳で会社勤めを辞めた私は、失業保険をもらいながら、フリーになったら読み直したいと思っていた二葉亭四迷と夏目漱石を再読した訳である。そして、『浮雲』や『それから』を正にリストラ失業小説としてリアリティをもって読んだ訳であるが、もうひとつそれらの背景に「日本の社会主義の原像」を垣間見たのであった。

再読は、『それから』と『門』から始めたのだったが、ここではそれら3部作の最初の作品である『三四郎』から始めたい。高校時代に読んで深く頭にインプットされたせいか、家を出た私は団子坂下に住み、団子坂上の産院で生まれた息子を「三四郎」と名づけたほどだが、息子には迷惑な話であったかもしれない。

さて、『三四郎』は、1908年(明治41)9~12月に朝日新聞に連載された。同年4~8月には島崎藤村の『春』が朝日新聞に連載されており、漱石は7月27日の高浜虚子宛の書簡に、「『春』と申す長編掲載了のあと引き受ける事に相成り九月初より・・」と書き、8月19日の渋川柳次郎あての書簡には、「『春』今日結了最後の五六行は名文に候。作者は知らぬ事ながら小生一人が感心故候。・・あの五六行が百三十五回にひろがったら大したものなるべくと藤村先生の為に惜しみ候」と読後感が記されている。

『春』の「最後の五六行」は、近代文学者にはえらく評判が悪く、前回の日記に書いたように、近代文学への「反革命」の狼煙みたいにも言われるが、漱石は「あの五六行が百三十五回にひろがったら大したもの」としたのである。そして書かれたのが、『三四郎』であるのだった。

そういうものとして『三四郎』を読み直すと、また新しく読めるもので、例えばひとつは、三四郎と汽車に乗り合わせた女と爺さんの話がある。旅順に出稼ぎに行ったまま帰って来ない亭主を持つ女に同情した爺さんはこう言いだす。「自分の子も戦争中兵隊にとられて、とうとう彼地で死んで仕舞った。一体戦争は何の為にするものだか解らない。後で景気でも好くなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿気たものはない。世の好い時分に出稼ぎなどと云ふものはなかった。みんな戦争の御蔭だ」と。そして荒正人は、「『三四郎』の初めに、女の示した底の深い謎と日露戦争への批判が提出されているのは驚異である。・・・後者の展開は余り追求されていなかった」と書いている。

ふたつ目は、「三つの世界」の話で、その中の「第二の世界」に生きる人で、以下のように書かれている。「第二の世界に動く人の影を見ると、大抵不精な髭を生やしてゐる。あるものは空を見て歩いてゐる。あるものは俯向いて歩いてゐる。服装は必ず穢い。生計は屹度貧乏である。さうして晏如としてゐる。電車に取り巻かれながら、太平の空気を、通天に呼吸して憚らない」と。廣田先生と野々宮さんに代表されるが、これは上昇(※私的には労働力の商品化)を拒否する生き方であろうか。

三つ目は、「露悪家」である。「露悪家」について私は、昔は女はみんなミネ子みたいな露悪家で、男には不可解だが魅力的だというレベルでしか考えていなかった。ところが今回、よく読むと以下のようである。

「臭いものの蓋を除れば肥桶で、美事な形式を剥ぐと大抵は露悪になるのは知れ切ってゐる。形式丈美事だって面倒な許だから、みんな節約して木地丈で用を足してゐる。甚だ痛快である。天醜爛漫としてゐる。所が此爛漫が度を越すと、露悪家同志が御互に不便を感じて来る。其不便が段々高じて極端に達した時利他主義が叉復活する。それが又形式に流れて腐敗すると又利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はさう云ふ風にして暮して行くものと思へば差支ない。さうして行くうちに進歩する。英國を見給へ。此両主義が昔からうまく平衡が取れてゐる。だから動かない。だから進歩しない。イブセンもでなければニイチェも出ない。気の毒なものだ」と。

こうなると「露悪家」とは、アダム・スミスで言えば『道徳感情』と『国富論』の間を行ったり来たりする人でもあり、廣田先生は「露悪家」の典型をアメリカ人に見て以下のように語る。

「(露悪家は)丁度亜米利加人の金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身が目的である行為程正直なものはなくって、正直程厭味のないものは無いんだから、萬事正直に出られない様な我々時代の小六づかしい教育を受けたものはみんな気障だ」と。

「第一の世界」とは、「明治十五年以前の世界」であるから、漱石流には日本の近代は「第二の世界」と「第三の世界」で成り立っているのだが、「第三の世界」の広がりを描いたのが『三四郎』であろうか。廣田先生曰く「亡びるね」であり、漱石文学の羅針盤は「第二の世界」を指している。ついでに書けば、二葉亭四迷の『浮雲』で言えば、文三の世界は「第二の世界」であり、昇の世界は「第三の世界」ということになるだろうか。

以上の三つのテーマは、漱石最後の『明暗』まで、ずうっとつながっている。漱石は『三四郎』のモデルを周辺の人物から得て、三四郎のモデルは一番弟子の小宮豊隆であると言われている。だから、三四郎が廣田先生の言うその理屈を理解するように、小宮豊隆が漱石を理解していたとすれば、果たして小宮豊隆は、東北帝大で同僚の宇野弘蔵とそんな話をしただろうか。

|

« 今年の夏は | トップページ | 『それから』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『三四郎』:

« 今年の夏は | トップページ | 『それから』 »