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2010年8月11日 (水)

『二百十日』と『野分』

漱石の『二百十日』と『野分』は、昔は漱石のものは一通り読もうということで読んだ本だったから、『二百十日』は、嵐の中阿蘇山に登るという程度の印象しか覚えていなかったが、再読すれば、「華族と金持」批判の書である。さらに、「白井道也は文学者である」に始まる『野分』は、短編でもあり昔読んだ時の印象は乏しかったが、再読すれば、物語の最後で白井道也は「現代の青年に告ぐ」というテーマの演説会を開き、それはそのまま当時の漱石の声であるように思える。

『野分』に、演説会に行こうとする白井道也と、行かせまいとする妻との間で、以下のやりとりがある。

「今日の演説は只の演説ではない。人を救ふための演説だよ」
「人を救ふって、誰を救ふのです」
「社のもので、此間の電車事件を煽勤したと云ふ嫌疑で引っ張られたものがある。所が其家族が非常な惨状に陥って見るに忍びないから、演説会をして其収入をそちらへ廻してやる計画なんだよ」
「そんな人の家族を救ふのは結構な事に相違ないでせうが、社会主義だなんて間違へられるとあとが困りますから・・」
「間違へたって構はないさ。国家主義も社会主義もあるものか、只正しい道がいいのさ」。

そして、演説会で白井道也は以下のような話をする。

「自己は過去と未来の連鎖である」。
「人間が腐った時、叉波瀾が起る。起らねば化石するより外に仕様がない。化石するのがいやだから、自ら波瀾を起すのである。之を革命と云ふのである」。
「英国を鼓吹して憚からぬものがある。気の毒な事である。己に理想のないのを明かに膨露している。・・凡ての理想は自己の魂である。うちより出ねばならぬ。奴隷の頭脳に雄大な理想の宿りやうがない。西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度において奴隷である」。
「金は労力の報酬である。だから労力を余計にすれば金は余計にとれる。・・然し・・高等な労力に高等な報酬が伴ふであろうか・・今の世でも教師の報酬は小商人の報酬よりも少ないのである。・・労力の高下では報酬の多寡はきまらない。・・金があるから人間が高尚だとは云へない。金を目的にして人物の価値をきめる訳には行かない」と。

『野分』は、1907年(明治40)1月に「ホトトギス」に発表された。執筆されたのは、1906年(明治39)12月とのことであるが、同年8月に東京の市電賃値が値上げされ、反対運動が暴動化している。そして、漱石が市電賃値の値上反対の運動に加担していると書かれた新聞記事を送ってくれた友人に対して、8月12日に漱石は以下の手紙を送っている。

「都新聞のきりぬきわざわざ御送被下難有存候電車の値上げには行列に加わらざるも賛成なれば一向差し支無之候。小生もある点に於て社会主義故、堺枯川氏と同列に加わりと新聞に出ても毫も驚ろく事無之候ことに近来は何事も予期し居候」と。

そして、9月に漱石は『二百十日』を書き、12月には『野分』を書いたのだった。『野分』の中で白井道也が演説会をやる神田の演説会場は、社会主義者もよく使う場所であり、市電賃値の値上反対の運動は堺利彦らが起こしている。果たして、その頃の漱石は何を考えていたのだろうか。荒正人は『野分』は「小説としてみれば、未熟である。だが・・漱石の文学の原型を探るうえには、思いがけず大切な作品である」(集英社『漱石文学全集』4巻解説)と書いている。

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