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2009年7月10日 (金)

さて、恐慌論

さて、恐慌論であるが、これまでマルクス主義的には「恐慌の必然性=革命の必然性」として理解され、19世紀後半からの金融資本主義の成立は、20世紀に入るとレーニンの『帝国主義論』とロシア革命によって、それこそ20世紀は「戦争と革命の世紀」となり、左翼主義は「帝国主義戦争を内乱へ」とアジったものであったが、20世紀末近くに起こったベルリンの壁とソ連の崩壊は、恐慌論そのものを沈黙、忘れさせてしまった観がある。

2005年に出版された大内秀明氏の『恐慌論の形成』(日本評論社)は、「何で今さら恐慌論」的に、ほとんど売れなかったのではないかと思われるが、昨年来「100年に一度の金融危機」が到来すると、突然、風俗現象的に「恐慌論」が書店に並ぶ昨今となった。

大内秀明氏の『恐慌論の形成』は、40年前に出された氏の『価値論の形成』(東京大学出版会1964)の姉妹書であり、『価値論の形成』が宇野弘蔵の『価値論』を対象にした価値形態論の理論形成史であるように、『恐慌論の形成』も宇野弘蔵の『恐慌論』を対象にした理論形成史であり、「金融パニックの不可避」に言及している。その「序文」には、以下のようにある。

「恐慌の消滅が「恐慌論」の消滅、その不在になってはならないと思う。・・・ポスト冷戦の90年代、IT革命がアメリカ経済の復権をもたらし、ニューエコノミーの楽観論が「景気循環の消滅」を主張した。「恐慌の消滅」から「景気循環の消滅」である。しかし同時に、新型バブル経済の崩壊は、日本経済を長期不況の淵に沈めた。東京発の世界金融恐慌の恐怖のシナリオがくり返された。
 人類史上類例をみない長期のゼロ金利や量的緩和によって、金融パニックは回避された。「恐慌の消滅」は、恐慌の回避にすぎなかったし、問題の解決ではなかった。もし、超低金利を拒否する政治力学が作動したら、金融パニックは不可避だったのではないか。そして回避された恐慌こそ、巨額の不良債権を足かせとした「資金の過剰」、設備の過剰としての「資本過剰」、そして「労働過剰」の三つの過剰を暴露することになったのだ」と。

これまで見てきたように、恐慌の発生は、人々にそのリアクションとして非市場主義的な経済の在り方や共同体といったものを構想させてきた。そして私は、10年前に会社勤めを辞めて、「金融パニックの不可避」の状況の中から、このブログで、コミュニティの在り方を模索してきて、それを「脱労働力商品的生き方」としてきたわけである。

「脱労働力商品的生き方」とは、宇野弘蔵によれば、人間を「労働力商品」とすることに資本主義成立の要諦があり、同時にそこに恐慌の原因があるのだとすれば、なるべく労働力商品にならないような生き方をしようということである。もともと私自身は、若い頃から大企業への就職意欲が乏しく、書店員から生協職員、その後はSOHOと、小生産者的に生きてきたわけだが、それは「私なりに」であって、一般的な「脱労働力商品的生き方」というわけではなかった。そこで、やっと一般的な「脱労働力商品的生き方」とは何かを考えてみようと、宇野弘蔵の『恐慌論』を読んでみたのであった。

宇野弘蔵の『恐慌論』(岩波書店「宇野弘蔵著作集・5」)には、以下のようにある。

「元来、恐慌なるものは貸付資金の回収不能が時を同じうして相当広汎に生ずるところに現われるものであって、現象的には必ず金融恐慌をなすものである」。(P24)

「投機的物価騰貴は銀行を中心とするあらゆる金融機関の手に集中せられる資金の融通と、さらにまた生産規模の拡大によってその形成を予想される資金を目あてに行われるいわゆる信用の創造とによって、賃銀の実質的騰貴を最後まで阻止することになるのであるが、しかしそれがために生ずる資金の需要増加は、現実に商品の販売によってその価値を実現せられて形成せられる資金の供給によって充足せられないために利子率をますます騰貴せしめずにはおかない。借入資金は勿論のこと、その利子の支払いさえまた借入資金をもってせられることになる。かくて商品の売却によってその支払いをなさざるを得なくなると、投機的に釣上げられた価格は反動的に急激に下落して、想定された利潤率は現実的に極度の低落を見ることになり、支払不能に陥らざるを得ない。そこに恐慌現象を生ずるのである」。(P79)

「貨幣のみが価値を有するものとなり、あらゆる商品はひたすらに貨幣への転化を求めつつある。資本もまた貸付資本としての貨幣形態にあるもののみが資本としてあるかの如き観を呈して来る。元来は利潤の一部分を利子として分与せられるに過ぎない貸付資本が、産業資本に代って資本を代表するものとなるわけである。それは全く資本家的生産方法に内在的なる矛盾の爆発の顛倒した表現に外ならない」と。(P101)

これを読むと、日本のバブル経済の破綻とその後の長期不況も、昨年来のアメリカ発の金融パニックも、その原因はいわゆる恐慌と同じである。では、その恐慌の原因となるのは何かというと、エンゲルス、レーニン流のいわゆる「社会的性質と領有の私的性質との矛盾」ではなくて、それこそ「労働力なる商品」なのである。

「労働力の商品化は、資本主義社会の根本的な基礎をなすものであるが、しかしまた元来商品として生産されたものでもないものが商品化しているのであって、その根本的弱点をなしている。恐慌現象が資本主義社会の根本的矛盾の発現として、そしてまた同時にその現実的解決をなすということは、この労働力の商品化にその根拠を有しているのである.。恐慌論は、先に述べた典型的恐慌現象を基礎にして、資本の蓄積の増進と共に、資本にとって一定の限度をもった条件の下に商品化し得る労働力を中心として周期的にその矛盾が爆発し、またその矛盾が現実的に解決されるという関係がいかにして必然的に生ずるかを明らかにするものとして、経済学の原理論のいわば結論をなすのである」(P60)となる。

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