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2009年7月11日 (土)

そして、恐慌へ

そして、労働力商品の矛盾が恐慌に転化していくのは、次のとおりとなる。

「資本主義は社会の基本的な関係として資本家と労働者との関係をも労働力を商品化して商品形態をもってし、全社会を商品経済化したのであるが、・・・労働者は人間であって、資源ではない。単なる物としてあるわけではないし、また単なる物として生産されるわけにはゆかない。・・・労働の、したがってまた資本主義社会では資本の生産物たる消費資料によって年々再生産されるのである。またそれでこそ資本も一社会を支配する形態となったのである。労働人口の過不足自身が前にも述べたように資本家的生産の発展の内部的要因となってあらわれるのであって、それは資本主義に内在的なる矛盾をなすのである。単なる物と物との問の矛盾でなく、人間を物とする形態自身から生ずる矛盾である」。(P98-99)

「資本の過剰としての商品の過剰は・・、勿論、これを社会的に処理し得れば恐慌として発現するものではない。しかし社会的に処理するということ自身がすでに商品経済として不可能なことなのである。・・・個々の資本は、互いに出来得るだけ早く売抜けようとする。いい換えれば過剰生産物の処理自身がすでに商品経済的に行われるのである。それは資本の過剰が直接に利潤率の低落によってではなく、間接に利子率の昂騰による支払不能によって暴露されるのと対応した現象といってよい。かくして資本の過剰は同時にまた人口の過剰として現われざるを得ない。・・・一応は人口に対する資本の過剰としてあらわれ、それがまた資本に対する人口の過剰の形態に転化するのであるが、それは一定の資本家と労働者との関係の下においては、資本は自ら生産したものをも資本として処理し得ないことになるということを示すものに外ならない。労働者もその労働力を商品として販売して資本の形態を与えることなくしては、これを労働力たらしめることを得ないという関係にあることから生ずることである。資本が資本として過剰なのである。そしてそれがまた産業資本と貸付資本との対立の形式において表現せられなければならない所以をなすのである」。(P99-100)

「かくて過剰の資本と過剰の人口とは決して相容れないものではない。好況期の発展過程では貨幣は単に商品交換の手段に過ぎないものとしてあらわれ、商品のみが真に価値あるものとして、しかも資本として労働者の剰余労働を獲得し得るものとして資本家の手にあった。ところが今や商品はより多くの価値を得る手段どころか、単なる商品としても販売し得ないものとなっている」。
「貨幣のみが価値を有するものとなり、あらゆる商品はひたすらに貨幣への転化を求めつつある。資本もまた貸付資本としての貨幣形態にあるもののみが資本としてあるかの如き観を呈して来る。元来は利潤の一部分を利子として分与せられるに過ぎない貸付資本が、産業資本に代って資本を代表するものとなるわけである。それは全く資本家的生産方法に内在的なる矛盾の爆発の顛倒した表現に外ならない」。
「商品乃至生産手段の形態にある巨額の資本が、その資本形態の故にその活動を渋滞し、それがためにかかる現象を呈するのである。資本の蓄積ばかりでなく、再生産過程自身が全体にわたって停滞することになり、労働者は失業するか、労働時間を減ぜられるか、賃銀を切り下げられるかする。自ら生産した消費資料を購入すべき貨幣を手に入れることか出来なくなる。消費資料は有り余るほどにありなからこれを生産した労働者自身も消費することか出来ないということになる。それは生産手段が有り余るほどありなから資本として労働力と結合せられないということと相対応した現象をなすわけである」と。(P101)

宇野弘蔵は、『資本論』を純粋資本主義の原理論として、その要諦に労働力商品論をおいて、マルクス未完の「恐慌論」を「経済学の原理論のいわば結論をなす」とした。しかし、マルクスが『資本論』に対象化したイギリスにおける純粋資本主義の時代は、1820年から約半世紀で、1873年以降には、資本主義の金融資本主義化や株式会社の普及が始まり、20世紀の大恐慌を経た後は、国家による資本主義への介入が始まった。

いわば国家社会主義であったソ連型社会主義は崩壊したが、一方の資本主義が景気循環と資本の過剰を解決したかと言えば、資金ジャブジャブ的な「社会的処理」によって、恐慌は回避されているに過ぎないと言えるし、労働力の商品化の問題は、近年の格差、ワーキングプア問題に見られるように、矛盾の発現を強めてさえいる。脱労働力商品論を構想する所以であるが、さて、いよいよここから先が「脱労働力商品論の構想」となる。

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コメント

ダルマさん、ご無沙汰しています。
こちらのブログ、頑張ってますね。

僕にはちょっと難しくて内容にコメントはできませんが、知的活動やってるなって、うれしくなります。

ではまた

投稿: ottocento50s | 2009年7月11日 (土) 07時58分

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