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2009年7月 5日 (日)

ブルック・ファーム・ファランクス

もうひとつ、アメリカにおけるコミュニティづくりで調べたかったのは、1840年代のアメリカン・ルネッサンスの最中に、超絶主義者たちがボストン近郊につくった「ブルック・ファーム共同体」についてであった。1941年から始まったこの共同体は、1844年には「ブルック・ファーム・ファランクス」と改名されるが、それはフーリエ主義(ファランステール)の影響からであったという。

それより先に、アメリカでニュー・ハーモニー共同体づくりに失敗したロバート・オウエンは、その『自叙伝』に「フーリエが一つの実際的共同体を形成するために・・社会の形成に関するすべての知識を得たのは、この報告書からであった」(『自叙伝』p406)と書いている。「この報告書」とは『ラナック州への報告』のことで、オウエンはフーリエなど私のまねだとしている訳だが、果たしてアメリカにおけるフーリエ主義の共同体は如何であったのか、というのが知りたいことであった。

結論から言うと、「ブルック・ファーム・ファランクス」は「ニュー・ハーモニー共同体」よりは長く続いたけれど、7年目に火事と財政難から終焉している。『緋文字』を書いたホーソーンは、大金を投じてそこに入植したが、「夢想的な兄弟たちとの労役と非現実的な計画の共同生活を経験」(『緋文字』p41)して幻滅し、半年ほどで撤退している。

Photo ブルック・ファームについて、超絶主義の提唱者であったエマソンは懐疑的であったようである。濱田政二郎『ユートピアとアメリカ文学』(研究社 1973)には「冷静な個性尊重者であるエマソンが、幾家族もの農業に未熟な者たちが営む、いわば晴耕雨読の共同生活が、はたして円滑に行われるかどうかについて、大きな疑問を抱いていたことは確かである」(p84)、「エマソンが賢明にも予言したように、ブルック・ファーム解体の原因も、せんじつめると関係者各人そのもの、つまり構成要素としての人間にあったようだ」(p88)とある。

理想主義的なコミュニティづくりの失敗の原因が「構成要素としての人間にある」というのは、オウエンのニュー・ハーモニーにも通じているし、同様の多くの試みにも通じている。では、いかにしたらコミュニティづくりは上手くいくのかを考えた時に、同時代の唯一の成功例としてあるのが、前々回に書いたソローの「ウォールデン」である。「ウォールデン」は、いわゆる共同体ではないが、個人主義をベースに置いている。前にも書いたが、それをベースにしないと、相互扶助はうまくいかないというのが私見である。

1836年に『自然』を書いて超絶主義を提唱したエマソンは、イギリス資本主義形成期において反時代主義的であったカーライルと交流して影響を受け、ソローはエマソンに私淑し、さらにエマソンは無名のホイットマンを見出す。そして、若き夏目漱石は「”Leaves of Grass” を通読するときは作者は是れ宛然たる一個の好詩人なるべし蓋し其文学史上に占むべき地位に至っては百世の後自ら定論あり余の如き外国人が入らざる品評を試むるの要なきなり・・」(「文壇における平等主義者ウオルト・ホイットマンの詩について」1893)という文章を書き、後にイギリスに留学した漱石は、「漱石発狂す」と言われながらも、カーライル博物館に4回も足を運んでいる。

私は漱石の『それから』と『門』と『こころ』が好きで、何度も読んだ。そして、私が代助や宋助や先生の生き方に見るのは、漱石の「私の個人主義」への歩みである。それは、ソーローやホイットマンにつながる個人主義であり、いわゆるブルジョワ・イデオロギー、功利主義には相容れない個人主義である。

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