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2009年7月20日 (月)

脱労働力商品への道-その4-

ということで、次は「新しいコミュニティ」とはどういうものか、という話になる。前にふれたように、柄谷行人氏は「労働力商品を廃棄するとはどういうことか、実はこれは簡単なことで、協同組合にすることです。・・・ぼくがいうのは、資本主義の積極的な揚棄としての協同組合ですね。いまの現実の協同組合とはまた別ですけどね」と言っているわけだが、私的には、それはいわゆる協同組合というよりは、「脱労働力商品的働き方と生き方と一体になったコミュニティ」ということになる。協同組合的に言えば、「ポスト・ロッチデール型の協同組合」とでもなるだろうか。

ロッチデールの協同組合を生んだイギリスをモデルに協同組合史的にみれば、協同組合は産業革命の進展とともに発生した。中川雄一郎『イギリス協同組合思想研究』(日本経済評論社 1984)によれば、イギリス協同組合運動は1760年以来、3つの時代区分をもつということで、その第一は「1760年に設立された・・船大工による協同製粉所からの・・初期あるいは原生的と称される協同組合運動」であり、第二は「(オウエンの)いわゆる協同組合共同体の建設を目的にした協同組合運動」であり、第三は「最初の近代的協同組合といわれるロッチデール公正先駆者組合の出現とその後の発展である」というふうになる。

そして、この第二と第三の時期というのは、『恐慌論』に「1819年の戦後恐慌を最後として、イギリスはいわゆる景気循環の過程を周期的に繰り返すという典型的な形で示すことになるのである」(P27)、「17、18世紀西欧諸国に発生し、イギリスにおける発展によって始めて歴史的に一時代をなして来た資本主義は、産業革命を経て19世紀20年代に至って漸くその基礎を確立すると共に、資本主義に特有なる発展過程を示すことになったのである。一方に労働力の商品化、他方に生産手段の固定資本化の増進か実現されるということは決して偶然的なることではない」(P126)とあるように、まさにイギリスにおいて純粋資本主義が確立し、ヴィクトリア期の大繁栄を迎えた時期だったのであり、ロッチデールの成功というのも、その中での成功なのであった。要は、協同組合の成功も、労働力の商品化を前提にしていたわけである。

28名の設立者の半数がオウエン主義者であったロッチデールの先駆者たちは、1844年にロッチデール公正先駆者組合を創って、その目的を「食料品、衣類等を売る店舗を設置する」こと以外に次のように宣言した。
「多数の住宅を建設または購入し・・・組合員の住居にあてる」、「失職した組合員に職を与えるため、物品の生産を始める」、「組合は若干の土地を購入し、矢職した組合員にこれを耕作させる」、「実現が可能になりしだい、本組合は生産、分配、教育および政治のカを備える。・・・自給自足の国内植民地を建設し、同様の植民地を創らんとする他の諸組合を援助する」、「禁酒ホテルを開く」と。

これを読むと、当初の先駆者たちの大きな目的に「失職した組合員に職を与えるための国内植民地(コミュニティ)の建設」があったことがわかる。しかし、やがて「利用割戻し」や「出資配当」といった功利主義的な運営によって、成功への道を歩み始めるのと併せて、併設した生産協同組合を閉鎖し、協同社会建設の目的を放棄したのである。D.H.コールの『イギリス労働運動史』(岩波書店)には以下のようにある。
「オーウェンの理念はなお或る程度人々の胸に懐かれていて、“協同主義共和国”は協同組合主義者の口に言葉として残っていた。しかしただ商業をするだけになってしまったこの運動の方法は、あまりによく節約と自助を説くヴィクトリア時代の支配的哲学に適合していたので、そのためそれ以前の一切のものが一掃されてしまった」(『イギリス労働運動史Ⅱ』(P41)と。

私は現役の生協職員であった頃は、この辺りのことばかりを考えていた。だから、このあたりを書き出すと長くなるから、ここではこれ以上書かない。ただ、森戸辰男が昭和13年に出した『オウエン モリス』(岩波書店)には、以下のように書かれていて、私がそんなことを考える半世紀以上も前に、すでにここまで見えていたということで、以下を載せておく。

「英国の資本主義は19世紀の間に3段階の発展をとげたといはれている。第2期は自由主義の姿における英国資本主義の全盛時代であって・・・しかしこの自由主義的資本主義の繁栄は、すでに70年代の後半頃から段々と破綻の兆候を示し・・・かつてオウエンの指導の下に全国大労働組合として支配階級に強い衝撃を与えた労働組合運動は・・・資本主義下における労働条件の維持改善を目的とする協調的組合となり、オウエン的千年王国の控室と考えられた協同組合は、ロッチデール先駆者組合の新たなる発足によって、資本主義下における協調的小売組合としての消費組合に転化した」(『オウエン モリス』P160-162)と。

ここでは既にロッチデールの本質が喝破されている。「労働組合運動は・・・資本主義下における労働条件の維持改善を目的とする協調的組合となり」ということは、労働力の商品化が完成して、労働運動、とりわけ労働組合運動は、労働力の商品化を前提とした運動として完成したということでもある。そして、同時に労働者は労働力の再生産のために自らが生産した生活資料を買い取る消費者になり、協同組合運動はロッチデール型の消費組合として「成功」したわけである。だから、資本主義のパラダイム内にある協同組合運動と労働組合運動は、オウエン流の「協同社会の建設」や生産協同組合について、否定的になるわけである。

森戸辰男は、オウエン主義の要諦を次のように書いている。
「オウエンの社会思想は、第一に、協同主義と呼ばれて、共存共労の自足的小協同団体を基礎形態とするものであり、この団体の中心目的はつねに性格形成に存してした。すなはち、すなはち、彼は貧窮と悪徳と不幸との原因である自由競争と営利と分争と私有財産とを原理とする資本主義社会を協同・一致・共労・共存の協同体に転換することによってのみ富裕と美徳と幸福が可能となるものと信じた」(P61)。
そして、ニュー・ラナークからニュー・ハーモニー、さらにオウエンの生涯を貫いた信念は、まさにそれであった。

『空想から科学への社会主義の発展』の中で、ロバート・オーウェンらを「空想的(ユートピア)社会主義者」としたエンゲルスは、「資本主義的生産の未熟な状態、未熟な階級状態には、未熟な諸理論が対応した」としたが、エンゲルスがユートピア性の否定ゆえに、自らが後に破綻した中央集権的な科学的社会主義のルーツのひとりになってしまったが、G.D.H.コールが「オーウェンが父となった社会主義、協同組合運動は自由な協同体への奉仕の要求をおし進め、国家の要求に従属し力の貯蔵所としての中央集権権力の樹立を欲しなかった」(『オウエン自叙伝』解説)と書くように、オウエン流の協同社会の構想は「共存共労の自足的小協同団体を基礎形態とするもの」であったのだった。

オウエンやフーリエに見られるように、19世紀前半の自由主義的資本主義に対するオルタナティブは、謂わば「自足的農業コロニー」づくりであった。そして、自由主義的な純粋資本主義が確立した後、イギリスはどうなったのかというと、『恐慌論』には、こうある。
「ところが19世紀70年代以後になると、その周期性の点ではそれほどでもないが、好況、恐慌、不況の循環の過程自身は漸次に異った様相を示して来る。73年の恐慌後の不況か恢復されて好況に向ったのは70年代末であったが、80年代初めの好況は、極めて短期間であったし、またその好況から83年以後の不況への転換も従来のような急激な恐慌現象を伴りものではなかった。90年における転換も同様であった。98年乃至1900年における繁栄が不況に転換する際にもイギリスはもはやドイツにおけるような産業恐慌を経験しなかった」と。(P30-31)

「産業革命を経て19世紀20年代に至って漸くその基礎を確立」したイギリスの資本主義は、「73年の恐慌後」には既に行き詰まりの兆候を見せる。後発の資本主義国であるドイツやアメリカは、保護主義的政策や株式会社制度や金融資本でイギリスを追い上げていく。イギリスは排外主義的な帝国主義戦争に向かい、国内では増大した非熟練労働者によるストライキが続発し、イギリス人からは見向きもされなかったロンドン在住の亡命ドイツ人のマルクスの本を、やがてイギリス人も読むようになり、イギリスにもマルクス主義による社会主義の運動が生まれる。

しかし、1880年代初頭のイギリスでは、マルクスの『共産党宣言』も『資本論』もエンゲルスの『空想から科学へ』も、ドイツ語版か須ランス語版で読むしかなかった。これは、19世紀のイギリスは資本主義の唯一の勝ち組で、労働組合運動も勝ち組的なトレード・ユニオニズムであったからでもあるのだが、もうひとには、イギリスにおける議会主義と市民社会の成熟といったことがあった。それ故に、エンゲルスもマルクスもそこから学ぶことが多かったわけだが、そのことはイギリスにマルクス主義の教条主義的な解釈から逃れた思想や運動を生みだし、ウィリアム・モリスらによるギルド・コミュニティの形成といった脱労働力商品化の試みも生まれるのである。

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