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2008年12月23日 (火)

ギルド社会主義から自主生産闘争への道

よく晴れて、風も無く、静かな年の瀬の祭日。今年も、あと1週間である。春先からブログの書き直しを始めて、5月に『ディケンズ』を書いて以降、いよいよロバート・オウエン書き始めようと思ったところで少し回り道して、夏に「賢治とモリスの館」を訪ねた以降、秋口から19世紀のイギリス関係を読み始めたのだったが、以下のように、とりあえずまとめておきたい。

Photo 中川雄一郎著『イギリス協同組合思想研究』(日本経済評論社1984年)を読むと、産業革命の最中に資本主義の形成に対して、さまざまな共同体設立の試みがあったことが分かる。市場経済と自由競争、財産権と個人主義を是とする資本主義とその原理となった古典派経済学に対して、共同体と相互扶助をもってするわけだが、そのどれもが短期間で失敗している。

Photo_2 そして、ロッチデールの協同組合だけが、市場経済の中で功利主義的に運営することで、消費組合として成功した訳だが、その理由は、昭和13年刊の森戸辰男の『オウエン モリス』に、既にこう書かれている。
「かつてオウエンの指導の下に全国大労働組合として支配階級に強い衝撃を与えた労働組合運動は・・・資本主義下における労働条件の維持改善を目的とする協調的組合となり、オウエン的千年王国の控室と考えられた協同組合は、ロッチデール先駆者組合の新たなる発足によって、資本主義下における協調的小売組合としての消費組合に転化した」(p162)と。
なんだ、私が25年間働いて結論した生協の本質が、70年前に既に書かれていた訳である。

そこから、生協勤めを辞めた後、オウエンのニュー・ハーモニー、コミュニティづくりは何故失敗したのか、オウエン以後はどうであったのかというのが、この間の読書の読みどころとなった訳である。

19世紀半ばのイギリス資本主義が絶頂期を極めたヴィクトリア期には、上記の森戸辰男の文章にもあるように、労働組合も協同組合も体制内化がすすんだ訳であるが、知識人の中から文化的な反体制運動が起こった。カーライルやラスキンから、モリスにいたるロマン主義的反抗である。

産業主義による環境破壊とブルジョワの俗物性を嫌悪したラスキンは、 ”There is no wealth but Life(生命なくして富はない)” と書いて、古典派経済学に異を唱え、中世の職人仕事に理想を見出し、晩年、自ら中「聖ジョージ・ギルド」を企画して試行錯誤した。また、モリスが参加した社会民主連盟の機関誌『ジャスティス』の創刊資金を提供したエドワード・カーペンターも、煙害公害を告発するのとともに、工業と農業を結合させた「産業の村」を構想して、農業と共同生活を実践した。

モリスは、土には親しまなかったが、モリス商会以来、工芸ギルドを主宰した。後に、社会主義運動にも参加するようになり、『資本論』に学ぶが、モリスの社会主義は、下記の森戸辰男の『オウエン モリス』に書かれているように、ギルド社会主義であった。
「モリスの理想社会・・・それは田園的環境のうちで、生活の煩苦なく、自由と歓喜を以て仲間と一緒にその労働を楽しむところの工匠の世界である」(p252)。「モリスの社会は自由の原理にもとづいて構成せられ、色々な形における在来の権力組織の代わりに、個人の自由に基礎をおく地方的・職業的小自治体(コムミュウンとギルド)が公生活の単位となり、広範なる包括的な一大連合体に結合するに至るのである」(p256)

前に書いたように、明治・大正期の日本の社会運動家に影響を与えたのも、カーライルやラスキンやモリスの思想であり、賀川豊彦も宮沢賢治も白樺派も、ギルドやスモール・コミュニティづくりを試みた訳である。しかし、ロシア革命以降に流入したボルシェヴィキズム=階級闘争とプロレタリア独裁の思想が、悪貨が良貨を駆逐してしまった。

Photo_2 では、イギリスにおいて社会主義はどうなったのかを見てみると、概略は、フェビアン主義から労働党へという経過であるが、スミス、リカード、ミルからケインズまでを生み出す国では、社会主義も多元的であり、モリス以降、D.H.コールを経て、ギルド社会主義の水脈はつづいているように思われる。

戦後、「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家を実現したイギリスPhotoは、やがて「先進国病」といわれた経済停滞に陥った。そして、私にも馴染みの70年代、ルーカス・エアロスペースという大企業における会社側の首切り合理化案に対して、労働者側は「ルーカス・プラン」と呼ばれる対抗プランを出す。これは労働者のイニシアティブによるモノづくり案であって、いわば自主生産であり、労働党内閣のトニー・ベンは、これを支持した。

70年代の日本は、先進国に追いつけ追い越せのモノの生産と、そのためのコンピューター化、合理化がすすんで、それに対して、反合理化闘争が闘われていて、東京の東部地区では、「倒産→自主生産闘争」という闘争方法がとられていった。そしてそこでは、イギリスの「ルーカス・プラン」が知られるようになってきた。そして、この「倒産→自主生産闘争」こそが、現在につづき、私が昨日参加した「自主生産ネットワーク」のルーツなのである。

08 昨日は、夕方になって雨の降り出した中、自主生産ネットワークの忘年会に行ってきた。場所は、11年間争議を継続中の上野のバイク屋のKモータースの占拠中の建物である。忘年会をやっている隣の2部屋には、それぞれ若い男女が布団にくるまって寝ている。訊けば、「研修所」から逃げ出してきた中国人とのことで、争議で占拠中の建物が、いわばシェルターになっている訳である。

自主生産ネットワークというのは、倒産→争議を経て、労働組合が中心になって自主生産→自主再建した企業の互助組織で、私のやっているNPO自主事業サポートセンターもその会員になっている。争議に勝って再建されたとは言っても、どこも明日をも知れぬ零細企業ばかりで、忘年会も白菜と豆腐がメインの鍋が中心で、会費は2000円であった。

それでも、みなけっこう元気で、今年争議を解決した南千住のJ食品は、空いたスペースに住む所のない失業者のシェルターをつくろうかなどと話していた。超貧乏な零細企業が、金も無いのにこういう企画をやろうとするのだから、世界に冠たる優良企業が、円高で赤字になるくらいで、派遣労働者を寮からも追い出そうとするのは、天誅ものである!

Kモータースは、今年倒産してしまったのだが、この秋、争議メンバーが元の店を使って「Big Beat」というバイク用品屋を自主再建した。倒産したり、クビを切られたら、ハローワークに行って、また雇用を求めるものだが、自主生産をすすめる労働組合に相談して、自ら活路を拓くことこそ必要である。雇われ=労働力商品でありつづけることからは、未来は切り拓けないというのが、私の結論である。

自主生産ネットワークの忘年会で酒を飲みながら思ったのは、モリスがそう思ったように、過去と現在と未来はつながっているのであり、さらに国境も超えてつながっているということである。モリスの『ユートピアだより』を初夢代わりに再読しながら、新年を迎えようと思っている。来年は、私の干支であり、私は還暦である。100年に1度という大不況を体験できることを、ことのはか楽しみにしている。

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