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2008年9月 1日 (月)

100年という単位で

Photo 8月に、バイクで仙台は作並の大内先生の館に行ってきた。雨のツーリングではあったが、その後もずっと雨降りだったから、まあ仕方がない。館で先生とモリスとイギリス社会主義について話をして、モリスの仲間であったバックスについて知ろうと、その後、安川悦子著『イギリス労働運動と社会主義』(御茶ノ水書房1982)を読んだ。以下は、そのアバウトな感想である。久しぶりのブログであるが、また少しずつ書いていきたい。

1917年にロシアに革命が起こって、レーニンはそれにつづくヨーロッパ革命を期待したが、ヨーロッパに革命は起こらなかった。同様に、1848年にヨーロッパが革命騒ぎになった時に、マルクスは、資本主義の先進国であるイギリスに革命が起こることを期待したが、イギリスに革命は起こらず、その後のイギリスは、大英帝国の絶頂期を迎えたのだった。

マルクスは、1948年のヨーロッパ革命以後イギリスに亡命、イギリスの資本主義を分析して、やがて『資本論』を書き上げたのだったが、『共産党宣言』や『資本論』が英訳されて、イギリスにマルクス主義が知られるようになったのは、マルクスの晩年であった。

チャーティスト運動が終焉した後、イギリスはヴィクトリア期の大繁栄を迎えた。オウエンの企図したコミュニティ=協同社会は、功利主義的な消費協同組合に収斂し、労働運動は、熟練工主体で共済制度に重点をおくクローズドなトレード・ユニオニズムに収斂していった。

しかし、1880年代後半になって、イギリス資本主義がアメリカやドイツに追い上げられ、不況になると、次第に、不熟練工を中心にした「一般組合」が誕生し出したのだった。不況と、失業者による集会とデモと騒乱が相次ぎ、自由党からもそれまでの経済政策の常識であったレッセフェールの見直しが言われ、やがて労働者政党と階級形成が必要とされるようになり、マルクス主義が登場することになる。

マルクスとエンゲルスがそこに住んでいながら、イギリスでマルクス主義の発現が遅れたのは、正にマルクスの考察対象となったほどに資本主義化と市民社会化がすすんでいたせいだと思われる。資本主義化の進展は、常にその考察の先を行くものである。だから、先進資本主義国には、いわゆる革命は起こらない。

しかし、市場経済の拡大は国境を越え、後発国は先進国を追いかけて、経済は成長と停滞を繰り返し、どの時代にも、どの国にも過剰と貧困を生む。社会変革には、時間をかけた主体と社会の成熟過程が、世界規模で必要になる訳だが、そういうことに気づき始めたきっかけが、1880年代後半のイギリスにおける労働運動であり、気づいたのがW.モリスであったのではあるまいか。

当時、イギリスに安い商品を売り込んでいたのはアメリカであったが、そのアメリカでは、1886年5月にヘイ・マーケットで起きた8時間労働日を要求する集会で爆弾事件が起きて、死刑判決を受けたアナキストに対する抗議行動はロンドンでも拡大していた。

また、市場原理主義の国のアメリカで、1888年にエドワード・ベラミーの『かえりみれば』というユートピア小説が書かれて大きな反響を呼んでいたが、その機能主義的なユートピア像に対して、W.モリスは『ユートピアだより』を書いた。『かえりみれば』と『ユートピアだより』の違いにあるのが、イギリス流の社会変革観なのであろうか。

その後、アメリカではAFL流のトレード・ユニオニズムに対して、IWW(世界産業労働組合)という「グローバルな一般組合」が創られ、この組合はトム・マンらのイギリスの一般組合とも交流したのであった。

世界は、昨今のグローバリゼーション以前から、かようにつながっているのだ。1888年といえば、日本だって明治維新から20年、西南戦争後の松方デフレによる不況の中、秩父では困民党コミューンが立ち上がり、明治20年に二葉亭四迷は、日本初の言文一致小説『浮雲』に、リストラされる役人の文三を描いた。

100年という単位で見ても、経済も社会もそう変わっているわけではない。新しい社会も、そういうパースペクティブで考えた方がいい所以である。そして、私たちのささやかな営みは、これまた100年後の世界につながっていくはずなのである。

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