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2008年5月 4日 (日)

エドワード・ベラミー『かえりみれば』

 19世紀後半のアメリカは、「金ぴか時代」と言われている。南北戦争以降の60年間に、アメリカはそれまでの農業国からイギリスをしのぐ工業国へと大発展している。鉄道、鉄鋼、石油といった新しい産業を中心に「トラスト」と呼ばれる巨大な株式会社ができて、産業を支配していった。ロックフェラーのスタンダード石油や、J.P.モルガンのUSスチールといったトラストは国内市場や外国貿易を独占し、寡占化にともなって倒産した独立自営の小企業主たちは賃金労働者となったりした。また、南欧東欧からの新移民が激増して、アメリカの人口は1860年の3100万人から、1910年の9200万人へと3倍増し、言葉の不自由な新移民は都市のスラムに住んでスウェット・ワークして、工業化の底辺を支えた。

 鈴木直次著『アメリカ産業社会の盛衰』(岩波新書)には、「工業力の躍進とともに、“メイド・イン・アメリカ”は世界へ浸透した。20世紀が始まった最初の年、1901年に、あるイギリス人ジャーナリストは“世界のアメリカ化”という一文を雑誌に発表して、いかにアメリカ製品がイギリスの家庭に入り込んでいるかを明らかにした」とあった。このアメリカを中国に、イギリスをアメリカに置き換えれば、100年前のアメリカは、現在の中国と同じことをやっていたのが分かる。新移民たちが「スウェットショップ(労働搾取工場)」に押し込まれて、安価な消費財の生産に携わるところなど、まるで、かつての日本の女工哀史や、内陸の農村から出てきて上海の工場で働く現在の中国の女工さんと同じである。

 また、オットー・L・ベットマン著『金ぴか時代の民衆生活・古き良き時代の悲惨な事情』(草風社)によれば、1877年に経済危機、1893年から1898年にかけては不況で、全労働者の5人に1人に当る400万人が失業者し、1890年には、人口の1%の人々が得た利益は、残りの99%の人の総収入と同じであったという。そして、1881年から1900年の間に、600万人以上の人をまきこんで、2378回のストライキがあったという。

 しかし、産業界と政界が一体となったアメリカでは、ストライキに対して大統領が州兵をして弾圧させるというのも、あたりまえのことであったし、1890年には「シャーマン反トラスト法」が成立したものの、実際にトラストが規制されることはなかったという。1892年にはカーネギー製鋼会社で、1894年にはブルマン車輌会社で大きなストライキが起こった。
さて、そんな時代を背景に、1888年にエドワード・ベラミーの『かえりみれば(Looking Backward)』が発表された。1888年といえば、イギリスにおいてマルクスの『共産党宣言』が初翻訳された年であるが、そんな時代に、アメリカでは共産主義社会を先取りするかのようなユートピア小説が出版され、多くの読者を獲得していったのである。

 その背景には、アメリカにおける弱肉強食を是とする社会的ダーヴィニズムがあたりまえの、むき出しの市場原理主義の現実があったのだと思われる。『かえりみれば』の書き出しにある、車に乗った勝ち組と、その車の綱を引く苦力のごとき負け組みとの対比の比喩を読めば、競争社会における多数の負け組みの状況と、現在また再生されようとしている市場原理社会の原点がよく分かる。

 現在の日本ではベラミーはほとんど読まれないというか、知る人も少ないが、アメリカに留学した安部磯雄は、ベラミーを読んで社会主義者になったという。堺利彦はそれを『百年後の新社会』と題して翻訳し、賀川豊彦はベラミーに感激して、ベラミーの娘を訪ねたという。そこで、ベラミーについて、インターネットで検索していたら、「サンフランシスコ・クロニクル紙」の「独立記念日の社説」というのがあって、そこには「異義あり!」ということで、次のような内容であった。

 9/11以来、ブッシュ大統領とアシュクロフト法務長官は、彼らの政策に反対し、人権と自由擁護をかかげる市民たちの愛国心を問い、かれらの意見を排斥してきた。しかし、それはたいへんなお門違いというものだ。「異義を唱えること」ほどアメリカ的なことはない。そして、アメリカ合衆国独立記念日の今日ほど、その歴史の再検討に適した日はないだろう。「異議申し立て」の伝統。イギリスに反対して革命を誘発したアメリカ植民者たちは、ボストン港に紅茶を投げ捨てただけでなく、イギリス王朝と貴族社会を否認する、共和国政府を創造した。トマス・ジェファーソンの輝かしい言葉で書かれた「独立宣言」は、「すべての人の平等」を謳ったばかりでなく、「政府が、その目的達成の障害になった場合は、市民が異義を唱える。」ことを奨励した。それに止まらず、「合衆国の父」たちは、憲法制定にあたり、補足第一条で、発言、集会、請願の自由を保証し、「異義を唱える」権利をわれわれに与えた。・・・たとえば、1881年に、今使われている「忠誠の誓い」を書いたフランシス・ベラミーは、社会主義を奉じる編集者で、キリストを社会主義者と呼んだばかりに、ボストンの教会から追放された。彼のいとこのエドワード・ベラミーが書いたユートピア小説「Looking Backward」は、何千人ものミドルクラスのアメリカ人を鼓舞して「愛国者(nationalist)クラブ」に入会させた。・・・「異義を唱える」ことは、決して反愛国的ではない。「異義あり!」こそアメリカ流なのだ。独立記念日おめでとう!(翻訳:風砂子デアンジェリス)。

 この社説にあるように、アメリカではベラミーはまだ知られているようである。ベラミーの描くユートピアは共産主義社会であるが、ベストセラーになった『かえりみれば』は、当時、多数の読者を「愛国者(nationalist)クラブ」に参加させたという。ベラミーにとっては、ユートピアとナショナリズムはつながっていて、ナショナリズムの実現は、共産主義的ユートピアの実現であった。次項に書くが、20世紀の初頭のアメリカにはIWW(世界産業労働組合)という、サンジカリズムを基調にした過激な労働運動の興隆があった。IWWの争議では、ベラミーの「愛国者(nationalist)クラブ」の運動と同様に、赤旗ではなくて星条旗が振られたという。要するに、アメリカにおける異議申し立ての背景にあるのは「建国の精神に帰れ」ということなのである。建国時にあった平等で民主的なコミュニティこそが、アメリカ人にとってはユートピアに近いものなのではないかと思われるが、これが「アメリカ流」なのであろう。

 それから、もうひとつ、アメリカ人の運動は「建国の精神に帰れ」というのと同時に「進取の精神」という特徴がある。インターネットでベラミーを検索すると、日本の大学でベラミーをやっているのは、文学部というよりも都市工学みたいなゼミであったりして、これはユートピアの中心には、フーリエでもオウエンでも、いつも壮大な建築物が構想されているせいなのかもしれない。これは、産業化の初期においては、住宅ほかインフラから食品販売にいたるまで、行政や他の民間セクターは未発達であったから、せいぜい資本家が工場の周辺に自ら貧弱なそれを用意していたせいだからではないかと思われた。だから、その時代のユートピア的コミュニティは、せいぜい数千名規模だが、その中心に壮大な建築物を共有する相互扶助的な社会として構想されたのであろう。ロバート・オウエンの協同組合の店舗というのも、その中に位置づけられている。そして、それよりも工業化のすすんだ時代のベラミーの場合は、ボストンという都市の規模でそれが構想されており、モノを購入する場は近代的なスーパーのイメージである。

 ウィリアム・モリスは、ベラミーの『かえりみれば』を読んで、『ユートピアだより』を書いたと言われる。ベラミーの描いたユートピアの革新的かつ機能的なことに異議を申し立てた訳である。モリスが『ユートピアだより』に描いた社会は、イギリス社会の歴史と伝統を背景にした非工業的な社会であったが、ベラミーの描いたユートピアには、現在のインターネット配信を連想させる電話による音楽の配信まで登場するのである。

※以上は、2006年3月27日に書いた「エドワード・ベラミー『かえりみれば』」のブログをリライトしたものです。

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