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2008年4月25日 (金)

島崎藤村

Photo  10年くらい前、ちょうど出向に出された頃に関川夏央の『二葉亭四迷の明治四十一年』という本を読んだら、「そうか」と思うと同時に「やられた」とも思って、50歳過ぎて会社勤めなどやってられない、私もそういう世界で遊びたいものだと、8年前の4月に会社勤めを辞めたのだった。そんで、8年前のちょうど今頃、DTPを学ぼうと専門学校に通いながら、会社勤めを辞めたら読もうと思っていた二葉亭四迷と夏目漱石を読み出した。そのへんのことは、2007年1月14日のブログ「世界はつながっている」に書いた。

 失業期間中にうまく職業訓練校に入れて、翌年から「本づくりSOHOダルマ舎」を立ち上げて、細々とDTP仕事をしながら、足りない分はスーパーでパート仕事をしていた。そしたら3年前に、スーパーが閉鎖になって会社都合解雇ということになり、雇用保険もすぐに支給になったから、少しものでも書こうと、このブログを立ち上げたのだった。その後また、DTP仕事とパート仕事でしのいでいたら、この春にパート先をまた会社都合解雇ということになったので、今度は、この間に書き散らしたものを何とかまとめてみようと思っている訳である。果たして、いかにしたらブログからいわゆる書物がつくれるものなのか、職業上のフィールド・ワークでもあるのだ。

 そんで、まとめるとなると難しいのは切り口である。ブログは気ままにかけるが、それをただ並べればいいのかとなると、そうはいかない。ブログはプロットみたいなものだから、まとめるには構成が必要だ、とあれこれ考えながら今日もまたブログを書くのだが、日本の近代について書くのに、切り口としての二葉亭四迷と夏目漱石はすでに関川夏央がやってしまっているから、今回、私としては島崎藤村から入ってみることにする。

Photo_2  正宗白鳥の言説によって、島崎藤村は「文豪」とされているが、近代文学における文豪は森鴎外や夏目漱石であって、島崎藤村はそれより下に見られている。一高は落ちたし、官費で留学したわけでもないし、けちだし、姪には手をつけるし、文章は下手だし、という訳である。そして、正宗白鳥の言説は、藤村をかばうようでありながら、その実「文豪」と揶揄して、藤村評価のガラスの天井になっているような気がするのである。そのせいか、藤村論は少なくて、そんで私が狂言回し的にでも使ってみるかと考える訳である。

 ちょうどペリーの艦隊が浦賀沖に現れた頃から明治維新を経て、明治の初期の頃までを背景にした小説に藤村の『夜明け前』がある。『夜明け前』は、島崎藤村が木曾路は馬籠宿の庄屋・問屋であった父・正樹をモデルにして書いた小説で、主人公の青山半蔵は、御一新の夢破れて零落し、やがて屋敷牢で狂死するのであるが、その前に四男の和助を東京に遊学させる。この和助こそ島崎藤村で、和助のその後は、岸本捨吉として『春』や『桜の実の熟する時』などに描かれることになる。

 私は高校生の時に『春』を読んで感激した。その最後で、北に落ち行く岸本捨吉が「ああ、私のようなものでも、どうかして生きたい」というフレーズは、近代文学派からは日本文学をダメにしたフレーズのように言われるが、自然主義派の私は好きであった。「文学界」を中心にした北村透谷との交友などにも惹かれたが、岸本捨吉が何故に放浪して悩むのかはよく分からなかった。せいぜい、文学青年とはそういうものであるというのが納得であった。

 『春』より後に書かれた『桜の実の熟する時』という小説は、時代的には『春』に描かれたのよりも前の時代の藤村が描かれている。藤村については、没落した庄屋の四男が血縁もない叔父にあずけられて、ハイカラなミッション・スクールであった明治学院に通えたのは何故かということも疑問であったが、『桜の実の熟する時』を読むと、藤村は実業家になるべく期待されて、アメリカに修行に行くべく英語を学ばされたということが分かる。明治学院を卒業した藤村は、横浜にある叔父の商店の番台に座るのであるが、やがて明治女学校の教壇に立ち、教え子に恋するようになる。そして、それを振り切るようにして、関西に放浪に出るところでこの小説も終わる。

 そこで、文学への思い絶ち難く、世話になった叔父の期待を裏切ったことなどが、藤村の重荷になっているのだろうということが理解できるのであり、藤村にしてみれば、文学で身を立てる以外に自らの証はないのだということが理解できる。仙台の東北学院を経て、小諸で文学修行の日々を送り、やがて『破戒』を書いて藤村は勝負に出る。そのために家族を犠牲にしたことで、さらに藤村は悪く言われるのであるが、藤村にしてみれば、『破戒』を完成させる以外に身の証は立てようがなかったのであろう。

 『破戒』は、主人公の丑松をアメリカはテキサスの牧場へと旅立たせるところで終わる。これもまた、なぜアメリカに旅立たせるのかと、西洋自然主義文学と比較した不自然さをあげつらわれるが、私的には上記の経過からすれば、主人公をアメリカに旅立たせること以外には、藤村の文学は完成されようがなかったと思われるところである。

 テキサスの牧場と聞くと、突飛な話のようにも思えるが、私的には、ニュー・ハーモニーの共同体づくりに失敗したロバート・オウエンが、再度、共同体をつくろうとしたのはテキサスだったし、後に日本の共産主義運動を指導した片山潜なども、テキサスで牧場経営などをやろうとしたことがあったから、さして突飛な話には思えない。『破戒』という日本近代文学史上の傑作の終り方としては、それが学んだドフトエフスキーの『罪と罰』と同様に、片やシベリア行きで片やテキサス行きだが、美しい終り方だと思う訳である。

 さて、何が言いたいのかと言うと、明治維新で幕府が倒れると、アメリカというかハワイなどには、すぐに移民が渡っている。当時の日本にとっては、アメリカが一番身近な西洋だったのであり、日本の近代化もそこから始まっている訳である。次回以降、そんなのを少し見ていこうと思うが、これまでブログに書いた文章のリライトもあるので、多少の重複もあるかもしれない。ブログから書物を作るとはどういうプロセスなのか、コメントも含めて、試行錯誤したいところです。

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