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2008年4月27日 (日)

幸徳秋水とオークランド

 社会主義研究会では、安部磯雄や村井知至や片山潜といった、アメリカ帰りのクリスチャンが中心であったが、日露戦争が風雲急を告げると、1903年に非戦論の幸徳秋水は堺利彦とともに『万朝報』を辞して平民社を設立、以降、日本の社会主義運動は幸徳秋水と堺利彦が中心になっていく。

 幸徳秋水は土佐出身で、自由民権運動を経て中江兆民の書生となり、兆民から秋水の号を贈られる。英語を学び、新聞社の翻訳係りなどをしていたが、1898年に『万朝報』に入社、1901年に『二十世紀の怪物帝国主義』を刊行、これはレーニンの『帝国主義』よりも15年早く、1903年には『社会主義神髄』を刊行、その参考文献にはマルクス、エンゲルスからW.モリスまであげられている。

 平民社の発行する『平民新聞』は、非戦論の展開で発禁が相次ぎ、石川三四郎が書いた記事の筆禍事件で、幸徳秋水は1905年2月に巣鴨刑務所に収監され、5ヶ月に渡る収監の後、同11月にアメリカに渡り7ヶ月滞在した。幸徳秋水の洋行は、サンフランシスコとオークランドを中心とするエリアでの、亡命と癒しと再起に向けての滞在であった。高野房太郎、片山潜、安部磯雄、村井知至らが皆アメリカ帰りで新知識を持って帰って来ていたから、幸徳秋水にもアメリアに行きたいという思いがあったのかもしれない。

 平民社が解散した後に出た『光』という週刊新聞に幸徳秋水がアメリカから寄せた「桑港より-その2-」には、「わたくしは、まだアメリカ中流・上流の社会を知りません。また知りたくもありません。これらは、これまでの洋行者が、十分研究・吹聴したところです。わたくしは、ただ下層の社会運動・革命運動の潮流に接触してみたいと思っております」という記述があるが、「下層の社会運動・革命運動の潮流に接触してみたい」というところに、幸徳秋水による「これまでの洋行者」との差別化が見られる。

 当時、アメリカでは黄禍論が起こったように、西海岸には沢山の日本人の出稼ぎ労働者がいて、それに混じって社会主義者もいたようであり、幸徳秋水もそこに「集会も、言論も、出版も自由で、金銭ももうけやすいこの地において、熱心な運動をしたならば、日本社会運動の策源地・兵姑部、および迫害された同志の避難所をつくりだして、ちょうどロシア革命党員がスイスを運動の根拠としたようになりはしないかと思う。これは、わたくしの空想かもしれないが、できるだけはやってみるつもりである」と書いている。そしてこのことが、後に大逆事件をでっちあげられる遠因になっている。

 当地でアメリカ社会党の党員にもなった幸徳秋水は、さらに1905年に結成されたサンジカリズムの労働組合であるIWWとも接触している。
 「桑港より-その2-」には、「この手紙を書きかけているところへ、世界工業労働者組合の会員三名がきて・・」という記述があり、「桑港より-その5-」には、「社会労働党の人びとは、現時のアメリカにおける資本労働調和的組合に反対するがために、昨年六月から、あらたに『世界労働者同盟』という革命的労働組合かおこし、本部をシカゴにおいて、さかんに運動している。この組合に、その名のしめすように、まったく世界的で、人種的偏見などは、すこしもない。もし日本人労働者がよく団結して、この組合の一部となって提携して運動することになれば、有力な援助がえられたのだが、かなしいかな、日本労働者の多数は、社会主義も知らねば、世界的労働組合の存在も知らぬ。日本の労働者が知らぬばかりでなく、日本の紳士も名士も、いっこう知らぬ。ただ排斥派の労働組合があるのを知っているだけである。そして、それを社会主義者と混同している」という記述がある。
ここでも幸徳秋水は、「日本の紳士も名士も、いっこう知らぬ」と、自らの差別化を図り、明確にそれまでとは違う潮流、IWW的サンジカリズムの提唱を予測させる。

 1906年4月にサンフランシスコに大地震が起こり、それを体験した幸徳秋水は、「ぼくは、サンフランシスコの今回の大変災について、有益な実験をえた。それは、ほかでもない。さる十八日以来、サンフランシスコ全市は、まったく無政府共産制の状態にある。・・・財産私有は、まったく消滅した。おもしろいではないか、しかし、この理想の天地も、向こう数週間しかつづかないで、また元の資本家私有制度にかえるのだ。おしいものだ」(「無政府共産制の実現」)と書いた。異国の地で、一瞬、サンジカリズムの共和国を垣間見たのかもしれない。

 1906年6月、オークランドで社会革命党を結成した幸徳秋水は帰朝、すぐに開かれた歓迎演説会で「世界革命運動の潮流」を講演し、そこでそれまでの議会主義から、ゼネラル・ストライキを提案した。以後、労働運動、社会主義運動では、普通選挙法と議会主義による改革から、サンジカリズムとゼネストによる革命が主力となっていく。要は、サンジカリズムやゼネストも、アメリカから入ってきた訳である。

 アメリカでの交流と経験は、幸徳秋水に新しい社会のイメージを垣間見せたが、「アメリカは、けっして自由の楽土ではない。もし楽士であるとすれば、それは、ただ金をもっている人の楽土にすぎない。・・・かりそめにも貧富の懸隔のあるところには、革命の怒濤が、かならずおしよせてこよう、としているのである」(「桑港より-その4-」)とも書いた。そして、「貧富の懸隔のある」現実は、現代でも少しも変わることはないのである。

 オークランドは、古くはアメリカの社会主義者で作家のジャック・ロンドンを生んだ地であるが、60年代にはヘルズ・エンジェルズ(地獄の天使たち)からブラック・パンサー党を生んだアメリカでも筋金入りの対抗運動の地である。そして、サンフランシスコならびにオークランドという街が、60年代のアメリカの対抗文化運動だけでなくて、日本の対抗運動にとっても所縁の深い地であることに感慨を覚える。

 1998年に法制化された日本のNPOも、1990年代の初頭に、日本にアメリカにおけるNPOの存在と活動を知らせる活動をしたのは、オークランドにあるJPRN(日本太平洋資料ネットワーク)という日系のNPO団体であった。ここの活動家であったK氏やO氏は、日本をはみ出した留学生みたいなものであったが、日本にそれを伝えようとする熱意の背後には、かつてのオークランドの地における先人たちの霊があったのかもしれない。

※ 以上は、2006年7月 9日 に「幸徳秋水とアメリカ」、2006年7月11日に「幸徳秋水とIWW」と題して書いたブログをリライトしたものです。

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