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2008年3月22日 (土)

フローベールとマルクス

mixiにかまけてブログをさぼっている内に、季節は春になってしまった。

Photo フローベールの『感情教育』を読んだ。前に代表作の『ボヴァリー夫人』を読んだ時に、なるほど本物の自然主義とはこういうものかと思ったものだったが、『感情教育』はさらに「現代史の幕開け」となったフランスの2月革命を体験させてくれる。20代で実際に2月革命を体験したフローベールは、1869年に『感情教育』を出版するが、執筆にあたっては周到な資料調査をしたと言われ、実際にその第3部は2月革命とそれへの反動としてあった6月事件のルポルタージュとしても読めるのだった。

Photo_2 2月革命の分析、報告書としては、マルクスの『フランスにおける階級闘争』(1850)がある。フランスにおける階級闘争を分析したマルクスの著作としては、1870年のパリ・コミューンを分析した『フランスの内乱』(1870)と、ルイ・ナポレオンによる第2帝政の成立を分析した『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1851)があるが、それら3部作の第1作目となる『フランスにおける階級闘争』は、『ドイツ・イデオロギー』(1845-6)から『共産党宣言』(1848)によって確立された唯物史観(階級闘争史観)による分析となっている。

マルクスはその冒頭で、「革命的進歩は、その直接的な成果によってではなく、逆に、強大な反革命を生み出すことによって、すなわち敵を生み出すことによってその進路をきりひらいたのであり、この敵と闘うことを通じてはじめて、革命の党は真に革命的な政党へと成熟したのであった。このことを立証するのが、以下のページの課題である」と書き、2月革命を以下のように分析する。

「プロレタリアートは臨時政府に、また臨時政府を通じて全フラソスに共和政をおしつけることによって、たちまち独立の党派として前面に立ちあらわれた。・・・さいごに、二月共和制は、資本を背後にひそませていた王冠をうちおとすことによって、ブルジョアの支配を純粋な形で出現させた。・・・労働者は、七月革命でブルジョア王政をたたかいとったように、二月革命ではブルジョア共和制をたたかいとった。
 ブルジョアジーと協力して、労働者は二月革命をなしとげた。・・・労働者たちは、ブルジョアジーと並んで自己を解放しうると思ったように、他のブルジョア諸国民と並んで、フランスの国境の中でプロレタリア革命を完遂できるものと思っていた。しかしフランスの生産関係はフランスの対外貿易によって、世界市場におけるフランスの地位および世界市揚の法則によって制約されている。世界市場の専制君主たるイギリスに反響を及ぼすヨーロッパ的な革命識争なしに、フランスはどのようにしてその生産関係を打ちやぶればいいのであろうか?・・・フランスの労働者階級は、まだ自分自身の革命を遂行するだけの能力をもっていなかった。
産業プロレタリアートの発展は、一般に、産業ブルジョアジーの発展によって制約される。産業ブルジョアジーの支配のもとではじめて、産業プロレタリアートは、その革命を国民的なものにまで高めうる。広汎な国民的存在となることができ、そこではじめて彼らは、みずから近代的生産手段をつくり出すが、これがそっくりそのまま彼らを革命的に解放する手段となるのである。ブルジョアジーの支配がはじめて、封建社会の物質的な根を引き技いて地面をならすが、この地面の上でのみプロレタリア革命は可能である。フランスの産業は、他のョーロツパ大陸諸国のそれよりも成熟しており、フランスのブルジョアジーは、他の諸国のそれよりも革命的に発展していた。しかし二月革命、これは直接金融貴族に向けられたものではなかったか? この事実は、産業ブルジョアジーがフランスを支配していなかったことを証明している。産業ブルジョアジーは、近代的産業があらゆる所有関係を自己に適合するように形成したところでのみ、支配することができる。そしてこの産業は、それが世界市場を征服したところでのみ、この権力を獲得できる。なぜなら、国家という枠は、近代的産業の発展にとって不十分だからである」と。
とても分かり易い。課題は、プロレタリアートが多数派になり、世界革命が起こるだろう未来に先送りされている。

王党派にブルボン系の正統王党派とオルレアン派があるように、ブルジョワジーには金融ブルジョワジーと産業ブルジョワジーがいる。そして、パリには多数のプチ・ブルジョワジーと職工服のプロレタリアートがいて、その誰もが革命の変遷の中で共和派を自称し、バリケードを築いたり、それを弾圧したりする。2月革命は普通選挙をもたらしたが、それによって当選した多数はブルジョワ派であり、さらにその後、フランス全土では圧倒的多数の農民が歓迎したのはルイ・ボナパルトであった。

フランス革命と2月革命には、その後の革命のあらゆるモデルが存在する。20世紀になってもプロレタリアートが少数派であったロシアにおけるレーニンのボルシェヴィキなど、ジャコバン派とブランキズムの末裔でしかないし、1960年代の成熟した産業社会における学生運動の中で語られた言説など、『感情教育』に描かれたように、2月革命期に熱く語られた若者たちの言説と少しも変わるところがない。

『フランスにおける階級闘争』にある唯物論的な歴史の見方、唯物史観を芸術に適用すると「社会主義レアリズム」ということになり、革命的な課題を実現するために、唯物史観による分析どおりの物語が書かれることになる。『感情教育』の中にも、セネカルというプロレタリア派が出てきて、「芸術はもっぱら大衆の教養を目的にしなければならない。道徳的な行為に人をみちびく主題でなければ表現してはならない。それ以外のものはみんな有害である」と言ったりする。しかし、これだと芸術は革命が成就して、千年王国的な社会が実現したとすると、いらなくなってしまう。

一方、フローベールが描こうとしたものは何だったのであろうか。『感情教育』の主人公であるフレデリックには、医者であった父の意向に背いて、法律を学び、文学の道にすすんだフローベールの面影がある。年上の人妻への恋と2月革命の体験を含む若き日を回想しながら、それを交差させ、エクリチュールするフローベール。周到な準備の下で構想されたであろう『感情教育』は、私には島崎藤村の『夜明け前』と、レイモン・チャンドラーの『長いお別れ』と、プルーストの『失われた時をもとめて』をまとめて読んだような驚きと余韻を残した。おそらく、これが本当の写実主義(レアリズム)であり、文学なのであろうという感慨である。

学生の頃に、文学好きの仲間が集まって、御茶ノ水の文化学院やアテネフランセのあるマロニエ通りにあった「ゴロー」という喫茶店で、サルトルの『文学とは何か』の読書会などをやったことがあった。「サルトルとマルクス主義との関係は」とか、「詩とは、散文とは」とかやったものだったが、今「文学とは何か」と問われれば、フローベールが「ボヴァリー夫人は私だ」と言った如く、「文学とは写実主義であり、フローベールである」というのが私の答えである。

Photo_3 当時、サルトルを語り合った友人に柴田芳幸という高校の1級上の先輩がいた。その後、私は生協で働きだしてサルトルを読まなくなってしまったが、柴田さんは大学院でフランス文学を学んだ後に給費留学生でフランスに渡り、現在は地方の公立大学で先生をしている。一昨年に私と柴田さんの共通の友人が亡くなり、その時に久しぶりに会ったら、『マラルメとフローベールの継承者としてのサルトル』(近代文芸社2005年刊)という著書をいただいた。そして、そこには以下の記述があるのだった。

「19世紀前半の「長兄たち」つまりロマン派にまで、要するに、「既成=文学」にまで遡りつつ、サルトルは、ルイ=フィリップ治政下(1830-48)に自己形成し〈第二帝政〉下(1852-70)にものを書くことになるギュスターヴ・フローベールのような「ポスト・ロマン派修業=作家」の文学状況を、その修業=作家が「未成=文学」としての「〈絶対=芸術〉」のなかに「神経症的解決」を見いだすかぎりにおいて、描き出している。・・・たしかにまだ、年代順の問題が残っている。しかしそれこそが、歴史的時間性の典型的にサルトル的考え方なのである。それが意味するのは、サルトルは決定論(先行性→後行性)に反対であり、存在論的自由(後行性→先行性の意義)に賛成だということである」と。

これはサルトルの晩年の大著である「フローベール論」=『家の馬鹿息子』についての評なのであるが、要は、サルトルは『文学とは何か』のつづきを追いつづけ、柴田さんもまたそうであったのが分かるのであり、サルトルや柴田さんがフローベールを論じるのは、「挫折の彼方(愛)としての〈絶対=芸術〉」、「前進的で歴史的な総合と並んで重要な方法的契機、つまり遡行的で構造的な分析」というフローベールの方法論に行き着いたからだと思われた。写実主義の巨匠のフローベールは、単なる自然主義を超えている。

会社勤めを辞めた頃、マロニエ通りをイメージして、以下の「REFLECTION」という詩を書いた。ついでに載せておく。

REFLECTION

時を かわす 私の向こうに
手慣れた日常が 待ち受けている

くり返し 口ずさむ メロディーが
わけもなく心を 空へと向かわせる

あの頃の夢 思い出させて
あの頃の日々 蘇らせる 時の反射

言葉は 夢見て きらめきながら
つきぬけていく どこまでも 虚空の虚空まで

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