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2008年1月19日 (土)

アソシエーショニズム

 レーニンのプロ独論は、レーニンの工業化論と一体ですが、モリスが描いたユートピアは、非工業化社会です。『ユートピアだより』に描かれた「芸術化された生活」こそが、モリスの考えたコミューン(コミュニティ)のイメージであり、そのイメージを自らかたちにしたのがケルムスコット・ハウスだったのではないでしょうか。私的には、「生活の芸術化」こそが“脱労働力商品への道”であり、生活の芸術化=脱商業化した生き方こそが、いわゆる「コミューン」への第一歩であると思うところです。

 このブログは、3年前に書き始めた時から「コミューン論」のつもりであり、2回目のブログ(2005年6月5日)ではパリコミューンにもふれ、「コミューンがユートピアと違うのは、どこにもない訳ではないからである」と書きました。モリスの実践から考えれば、コミューンとユートピアは「どこにもない」と言うよりは、けっこうリアルな話しだと思うし、市場原理や地球温暖化への対抗を考えれば、環境芸術的な生き方と、そういった生き方をする人々のコミュニティづくりというのが、いわゆる「コミューン」への道だと思う次第です。

 さて、大内先生は、モリスがパリコミューンについて書いていることから、マルクスの『フランスの内乱』を読み解きながら、コミューン論を書き出しています。私も学生の頃に『フランスの内乱』を読んで感激したものですが、私の方はマルクスの見解に拘らずに少しアバウトに論を展開させたいと思います。

 パリコミューン以前にヨーロッパでは1948年の革命運動がありました。産業革命的には未成熟であったヨーロッパでは近代国家づくりが広がっていて、それらの運動の最左派にはブランキやワイトリングの「私的所有の否定としての共産主義」という提起があって、マルクスとエンゲルスも同年それを『共産党宣言』にまとめました。工業化と労働運動が未成熟な革命運動からは、ブランキ的な革命党と所有論的アプローチと非民主的なプロ独論が生まれるということで、これは正にロシア革命において現実になりました。

 一方、それ以前からイギリスで行われていたのは普通選挙法の要求を掲げたチャーティスト運動でした。1844年にマルクスは『経哲草稿』を書き、引き続きエンゲルスと共に『ドイツイデオロギー』を書いて唯物史観を確立しますが、イギリスはその頃には産業革命期を終えて、1844年にはロッチデールに協同組合が誕生し、1846年には穀物法を廃止して自由貿易に、1847年には10時間法ができて工場改革がすすみ、ヴィクトリアニズムと呼ばれる資本主義の興隆がはじまりました。

 パリコミューンは、1948年の革命の後にできたルイ・ポナパルトの政権が推進した国家の産業化後の出来事で、同じく国家による産業化を推進したプロシアとの戦争を契機にした出来事で、両国とも追いつけ追い越せの目標はイギリスでした。
 マルクスの『フランスの内乱』からパリコミューンを見ると、「ついに発見された国家形態」とか「敗北の美学」とかになりがちで、次には「国家論→プロ独論」が出てきてしまいます。また、柄谷行人氏はパリコミューンを1848年の革命の延長に見て、「マルクスの社会主義理念はプルードンのもの」(『世界共和国へ』p12)で、それを「アソシエーショニズム」だとして、パリコミューンはその「最後の光芒」だとします。

 パリコミューンで決起したコミュナールの多くは無名のプルードン主義者であったといいます。プルードンの職人型労働者のアトリエを基礎にした連合主義は、小生産者的と言われ、柄谷行人氏は職人型労働者によるアナキズムは19世紀末には重化学工業化によって基盤をなくしたとしますが、私にはその非工業化性とモリスの工房には何か通じるところがあるように思われるわけです。

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